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α7 III の彼

私の 愛してやまない 1つ上の恋人。

そんな恋人が好きな物、カメラ。
彼は一眼レフを使って、写真を撮る。
その相棒が、α7 III。
彼の写真は 風景 物 人 と多種多様だが、1番の特徴は
動いている物の残像そのものを写し撮ること。

写真に詳しくない私には、その撮り方がなんという技法なのか 名称は分からないが、ただの写真ではなく
例えば 動いている車の写真なら 車が走っている後に
その車の残像が残っていたり、かと思えば 人が消えていたりする。

繰り返しになるが、写真に詳しくない私は 彼の撮った写真を見た時「なにこれ?!」と心の中で叫んだ。多分口にもしていただろう。凄いとしか言いようがなかった。なぜならその写真を見た瞬間、自分自身が見たはずのない、写真の中の風景が 彼の切ったシャッターの残像により その場所の 温度 空気感 光の具合 が まるで動画のように 私の頭の中で再生されたからだ。彼の作品は私と出会う前に カメラのコンテストのようなもので表彰されたこともあるくらい、素晴らしいものだった。



そんな彼の撮る写真が、私は大好き。
でも その彼のファインダー越しに写るわたし自身の姿は




この世で1番嫌いだった。



そうはなれない 私。

2020年3月。1回目の緊急事態宣言。
高校生最後の年にして、緊急事態宣言により学校は休み。なにしよう、となった私が始めたのが

ダイエット だった。

食べるのも作るのも大好きで、将来の夢は食にかかわる仕事。それゆえ、高校の調理師の学科に通っていた私はホテルのレストランで仕事をしていた。そんなわたしは見事にぶくぶく 太っていき、人生でMAX体重になっていた。顔もまん丸 体もまん丸。ビックリするぐらい。

どうせ時間があるなら、と軽い気持ちで始めたダイエット。よくある、JKが「痩せたいー」って言いながら友達とマックでおやつを食べる。みたいな感じで ゆる〜くしてればよかったんだけれど

結果的には、1年半で15キロのダイエットに成功した。

結果的に見れば、1年半かけて マイナス15キロ。
健康的に痩せてるように見えるが、今はっきり言うと、どこからどう見ても摂食障害だった。

とゆうのも、拒食症になったわけでもなく、どちらかと言えば過食症よりではあったが、傍から見れば普通に痩せていってるだけで病的な見た目ではなかったからこそ、自覚もしていなかったし、周りにはただダイエットを頑張ってるだけ で通じていたのかもしれない。


でも心は、ボロボロどころではなかった。


高校生ながらに調理師の資格取得の為には、仕事をしながら学校に通う必要があった。午前中 学校へ行き、昼から夜までが仕事。仕事は楽しかった。しんどくも自分の人生の中で本当にいい経験だったし、やっぱりこの業界が好きだと思ったきっかけでもあった。そんな仕事を終えるのが夜の10時過ぎ。家に着く頃には11時から12時の間。そこから、2時間の筋トレ、マッサージ、ストレッチ。

食事は豆腐などに変えて、夜ご飯はなし。(仕事で遅いためそれで家族にも通じさせてた)時間がある時には1.2時間ウォーキング。友達とご飯を食べに行けば、帰って直ぐに10km以上のランニングをしなければ罪悪感に殺されそうになっていた。なのにその制限の反動で週一ぐらいで爆食。でもその爆食をかき消すぐらいには、日々の制限が効いていて、高校卒業時にはMAXよりマイナス10キロ。


そして専門学校入学の2021年4月、彼とお付き合いすることになった。


その制限した生活のお陰で、7月にはMAX体重からマイナス15キロに到達した。でも、鏡を見てもなんの変化もない、なんで?他の子のマイナス15キロなんて人が変わるレベルやのに なんで? って。


拒食症などの摂食障害を患った人の症状に、周りから見てガリガリに痩せてるのに、自分自身は鏡に映った自分のことを太ってるように見えてしまい、もっと痩せないとという思考になる。という症状がある。


今その時の自分の写真を見ればすごくシュッとしてるし、そのまま自信を持ててれば、自分のこともっと好きになって、綺麗になるのももっと、楽しくできていたと思う。でもその時の私は、自分自身の姿が醜くて仕方なかった。



その辺りから、私の心は本当に壊れてしまったと思う。



その時期に、もう大好きで大好きでしかたない、彼の友達カップルと出会った。人生でこんなに出会えて良かったと思える人がいるんだって。


その2人もまた、カメラが好きだった。


彼氏くんのほうは、私の彼にカメラを普及されたらしい(彼証言)。彼女ちゃんのほうも、カメラで写真を撮る人。すっごく可愛らしくて、私の尊敬する人。
この彼氏くんの写真は、私の彼とはまた違って、なんて表現するのが正確なのか、物語みたいな 暖かいものをすごく感じて その中に映る彼女ちゃんまでひっくるめて もはやどの写真も作品だった。私は2人の写真が大好きで大好きで仕方なかった。それは今もだけれど、2人のことも大好きだから余計に。

その2人が遊ぶ度に載る、彼氏くんが撮った彼女ちゃんの写真を見て、「はぁ〜〜っっっ!♡」と癒される一方で、この頃の私はもう1つ 醜い感情を抱くようになっていた。



私は、彼にこんな写真を撮らせてあげられない。

ある日、大好きカップルの彼氏くんが、インスタの投稿に彼女ちゃんの写真と共に「被写体が素晴らしいから、撮るのが楽しい」と、投稿していた。

カメラ好きな男の子にとって、1番大好きな彼女を1番可愛く撮ってあげることって、本当に楽しくて 嬉しくて、幸せなことなんだろうなあ、と心底改めて思った。


でもそれを、私はさせてあげられない。
可愛くなくて ごめんねって
この彼女ちゃんみたいに、可愛く撮りたいよね って
こんなんで、ごめんねって
一番貴方の近くにいるからこそ、貴方がどれだけ人を撮るのが好きか 私はよく知っている。
私は貴方のその楽しみを叶えてあげられない。



大好きなその2人の写真を見る度に、そう思うようになっていった。




なぜこんな考えにまでなってしまったのか。


私は、小さい頃から自己肯定が本当に低かったから。

両親には本当に愛情を持って愛してもらってきた。
でも時々、「私のこと好き?」と泣きながら両親に聞いていた記憶がある。

なんの影響なのかはわからないが、自分の事を愛してくれている思った人が もしそうじゃなくなった時に 自分が傷つく事を本当に恐れていた反動だと思う。

だったら、初めから期待せず 疑って
「ほらやっぱり、私の事なんか、(笑)」と
苦しみながら笑う方が何倍も楽だと。


私は愛の受け取り方が下手くそなのである。


それは彼から貰う愛も同じ。
愛してると言われれば、私も と 返すが
なぜ私なのだろうか、私なんか、といったことが1番に出てくる。

そんな性格でこの20年ほど、生きてきた。



私は彼が撮ってくれた写真を見る度に、
可愛くいたいのに、こんなに、こんな醜い、なんで、
と泣きながら自分を責めることが増えていった。

それと同時に、最低体重を記録した7月を境に、減量できなくなっていった。あんなに大好きな食事が、食べ物が、食べるのが怖い。どの順番で食べれば太らないのか、何を食べれば、何を、どうやって食べたらいいか、わからない。怖い。食事の仕方が、わからない。

心が追いつかなくなった。完璧主義、1度決めたことは絶対にやり抜く、これは私の長所でもあるが、今思うと本当に短所として働いてしまっていたなと思う。

ダイエットは心身の調子も整った上で、自分自身の健康や自己肯定、QOLを上げるために行うべきものなのに


頑張れない自分が悪い
もっと頑張らないとダメ
1回やると決めたから最後までやり抜く
自分のいいとこなんか 最後まで諦めへんことぐらいしかないから


と、精神状態もボロボロのまま、毎日決めたダイエットルーティンを熱が出てる日以外こなし続けた。一日でもできない日は「なんでできひんの?」「何諦めてんの?」「もっと頑張らなあかんのに、何してんの?」って 自分を責め続けた。追い込んだ。


摂食障害に加え、必要以上の自己攻撃及び自己否定


決めた運動は絶対しなきゃダメ、出来なければ自分を責める、攻撃する、それはもう、ズタボロに言った。自分に。「ブスでデブでおまけに性格も悪い癖に、頑張ることすら出来ひん、死ねば?」と。

その頃の日記には 死にたい と 彼に対するごめんね が
本当に多く出てきていた。
こんなのがそばに居て、ごめんなさい って。



年はまたいで2022年1月頃、その頃にはもう何も頑張れなくなっていた。

彼にはもちろん、親にも、何もこのボロボロの心について話す事はなかった。隠した。隠し通せた。笑顔が作れた。誰かの前では。

でも、親しい、本当に親しい友達しかいない裏のストーリーでは 死にたいと 言うこともあった。その度に声をかけてくれる親友、友達。本当にめんどくさかったと思う。それでも毎回毎回、絶対に救ってくれていた。
「生きて 」「そのままの海が好きやから」と。
本当にそこぐらいしか、自分を慰めるタイミングがなかったと思う。



そんな中で彼は、こんな私に「可愛い」と言い続けてくれた。今でも。でもこの時はもう褒めてもらえることが逆に苦しかった。私には、あまりにもしんどすぎた。そんな訳ないやんって いつまでたっても自信も持てず、なのに好きでいて欲しくて、離れて欲しくないけれど、私じゃ横にいる資格なくて、私が隣にいることで貴方の価値を下げてしまうから、ねぇ、なんで私なの?なんで私を選んだの?こんなに優しくて、人としても尊敬できるところばかりで、もちろん顔もかっこよくて、スタイルも良くて、服もお洒落で、仕事もできて(同じバイト先)、友達もいい人たちばっかりで、大人っぽくて、そんな貴方には もっといい人がいる 可愛くて、細くて、性格も可愛くて、こんな、こんなんじゃなくて、貴方の隣に並んでも絵になるような、こんなんじゃ、こんな奴じゃダメで、って


ずっとこんな感じ。苦しくて苦しくてしんどくてでも大好きでどうしようも無いけど、離れてあげないと、私が隣じゃダメだって もう勝手に、本当に勝手に流れてんくんの、涙が。人ってこんなに泣けるっけ?ってぐらい。




「いつも可愛くしてくれて、ありがとう」

そう、伝えてくれたのが2022年4月頃。

普段から伝えてくれてる言葉ではあったけれど、この時のメンタル状態では、まだまだ否定してしまってたこの言葉。

その日の電話の 何気ない会話の中で そう言ってくれて、ありがとうって言わなあかんのはこっちやのになあ 、と考えていると



「付き合う前にな?この子と付き合った時に、周りに自慢する 紹介する、って考えた時に、顔も中身も、海やったら自慢できるって 思えてん」



そう、私に言ってくれた。
この付き合う前ってゆうのは、もうこのダイエットを初めてて自分嫌いってなってた期間真っ最中の、しかもバイト着(飲食やから帽子かぶってダサめの制服)の姿しかほぼ見たことない状態の時期。


あぁ、もうなんか、こんなに自分を傷つけて、追い込んで苦しめて、否定してってしなくても、まだまだ自分は自分のこと認めてあげられなくても、こんなにも大きな愛で、大好きと、愛してると、その姿が好きと、大切に 大事にしてくれる人がいるだけで、もういいやんか、って。



電話越しの彼にバレないように、泣いた。死ぬほど泣いた。

でもそれまでに流してきた、数え切れないくらいの苦しみと絶望から流れた涙ではなく、


本当に苦しかったね
頑張れない自分が、本当に嫌いだったね
頑張ったのを自分で沢山無駄にもしてしまったね
でももう 自分を攻撃なんかせず、否定せず
自分のこともっと大事に、甘やかして、
もっともっと自信もって、少しでも前を向いて
生きていこうよ



そう、初めて自分に優しく そして
彼の愛を素直に受け取れた瞬間だった。


今思い出しても、涙が出てくる。

でもやっと、やっと、抜け出せた。
たった1人で歩いていた、真っ暗闇の道から。




2022年、11月。

時は流れて、秋、冬。
とあるお城跡の、紅葉ライトアップに来た。
紅葉デート。
彼の手には、いつものカメラ。


そこに映る、私の姿。
その自分の写真見て、「わ!これいい感じ!」って。
騒いでる私を見た彼は、「あんたかわいいなあ」 と。


他の人から見て、なにもかわってないかもしれない。
でも私が、彼の撮った私を見て、笑っていられる。
彼の写真見て流す涙が、本当に減った。
彼からの可愛い、という言葉に「ありがとう」と返せるようになった。


あれから、落ち込む日がゼロになったかと言われたら、もちろんそうではない。でも、ずっと引きずったりする事も本当に減った。自分に頑張ったねって言える日が増えた。こんな自分でもいいよって 認めてあげられることも増えた。それがどれだけ私にとって大きいことで、世界が変わったか。

未だに、食事の際に炭水化物から口にすることは少し、怖いと思ってしまう。
お風呂上がりの軽いストレッチは欠かせないし
遊びに行って遅くなったりして できなかった日は
「ああーできひんかった〜」と思ってしまう。

それでも、鏡を見て、今日もいい感じ!って思えるまでになったのは 間違いなく彼のおかげだと思う。カメラのこともあって、もしかしたら彼のせいで私の自己否定に滑車がかかってしまったかもしれない。けれども、私は彼に生かされ、幸せを沢山貰って、今日も笑っている。




私は、貴方から貰っている愛の大きさと同じぐらいの愛を ちゃんと返せているだろうか。

私が支えてもらった以上に、貴方を支えてあげられているだろうか。


私には、わからない。
だって、どれもこれも 自信などないから。

でも、貴方の生きる世界で
私が貴方の傍に居続けることが許されるなら

私は、貴方にとっての光になれていればいいなと思う。

暗闇から 私を救い出して、手を引いてくれた

私にとっての、貴方と同じように。





自分が大事にしてあげられなかった、私自身を
私以上に、大切に 大事にして


愛してくれて、ありがとう。







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