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綱挙網疏/亡羊補牢【四字熟語と歴史②】

あなたはどちらが心にストンと落ちますか?

第一弾は勉学系でしたが、第二弾は「意志」の持ち方に関することです。

四字熟語の成立背景や歴史を知った上で、改めてみるとどっちが自分に合ってるかな、どっちの在り方が理想かななど、いろいろ思い巡らすことも楽しいですね。

第一弾はこちら

綱挙網疏(こうきょもうそ)
根本を追求し、末節に固執しないこと。

もうきょこうそ、ではありません。
漢字が似ててややこしいですよね…

出典は『晋書』しんじょで、唐の二代皇帝太宗の命令で、房玄齢ぼうげんれいらが作成した歴史書です。

貞観20(646)~貞観22(648)の間に作られました。

そう、中国歴代で理想の政治だったと言われる「貞観の治」です。

房玄齢というと、太宗の言行録みたいな『貞観政要』にもよく出てくる重臣中の重臣です。

さて、「綱挙網疏」が生まれた背景に入ります。

西晋の武帝に劉頌りゅうしょうという人が言った台詞になるのですが、ネットで調べてみたところ思ったより長かったので、ぎゅっと凝縮しますと。

「新しい制度の可否は、判断が難しいですが、結果の功罪は、識別するのが簡単です。今陛下は、制度の新設ばかりに目を奪われ、結果に目が届いておりません。これが政事がまだ改善していない理由です。」

「網挙網疏」に結びつく用語はどこにいったんや、と思っていますが、私が調べた限りでは、劉頌が大きく登場するのは『晋書』のここぐらいなので、半ば強引に合わせています。

実際読んでみると、どちらかというと、本質に固執していると言うよりは、新しいことを取り入れるのに固執しているようにみえます。

本質を追求するのも良いけれど、些細なズレや問題がある箇所を無視しては意味がない、という感じでしょうか。

良い意味かと思いきや、注意するように、という意味も込められています。


亡羊補牢(ぼうようほろう)
失敗した後で改めることのたとえ。

これは『戦国策』出典です。

ちょうど『戦国策 国語 論衡』という本が手元にありますので、文章が少し長くなります。
あーなんかテンション上がってるなあ、とさらっとお読みくださいませ。

戦国策は前漢の時代に、劉向という人が、各国のエピソードをまとめたものです。

前漢っていつなのかというと、紀元前と紀元後の変わり目です。
イエス・キリストが生まれたあたりと前漢は同時期だと覚えておくと便利!

戦国策に掲載されている時代は、前漢よりも前の周から秦で、約250年間です。
『晋書』よりもずっと前の時代ですね。

夏→殷→周→(春秋戦国)→秦→前漢→新→後漢→三国→晋(西晋)→五胡十六国→隋→唐・・・

余談ですが、中国王朝って「しん」が多くて漢字変換がややこしい・・・

周と秦の間に春秋戦国時代が入りますから、各国が生き残るために、様々な戦略が練られていた時期です。

その時期、各国の権力者に対して外交政策などを弁舌巧みに説いた人々がいました。

食客しょっきゃく縦横家じゅうおうかと呼ばれる人々です。

これらの説話をまとめたのが戦国策です。

有名どころだと、「漁夫の利」や「隗より始めよ」あたりですね。
これらの慣用句は戦国策から生まれたものです。

では、ようやく本題に入ります。

「亡羊補牢」は『戦国策』の楚という国が舞台です。

楚に、自分が好む人間ばかりを側に置き、国政を顧みない王がいました。
その王に対して、荘辛そうしんが言ったセリフを凝縮しますと。

「『羊を失ってから檻をを作っても、手遅れだ』ということわざがあります。鳥を思い浮かべてください。昼は江河で人と争うことなく過ごしていても、射手が弓を引いたら夜には調理されてしまう。今王さまが天下や国家を気に掛けなかったら、その隙をついて攻め込まれて滅びますよ」

このように、まわりをみないで自分の欲望のままに過ごしていたら、隙を突かれて取り返しがつかないことになります。

だけど、転じて失敗してもすぐに改めれば、より状況を改善できる、といった意味もあります。


どちらも良い意味と悪い意味がありましたが、いかがでしたでしょうか。

私は「亡羊補牢」の方がストンと落ちました。

「網挙網疏」のように本質を見つめすぎて末端を見失うのも、「木を見て森を見ず」で、身に覚えはたくさんあります。

だけどいまは、失敗をしても、手遅れになる前に対策を立てれるような臨機応変さを身につけたいです。


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