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【一話完結】私とストレスと傷つけ合いと明日の私がどう生きるか

皆疲れている。
世の中皆疲れている。

誰もが皆働いている。
誰もが皆、明日を生きるために、より良く生きるために、働いている。
もし、全ての仕事がもっと簡単で、傷つくこともなく、ストレスも感じず、心身の健康に影響もしなければ、
人の感性はもっと違っていただろうし、文化も変わっていただろうと思う。
私は目の前のPCを反対側に折り曲げて思い切り投げ飛ばしてやりたい衝動に駆られたが、目の前のティッシュのゴミを放り投げるにとどめた。
人を傷つけるのは人だ。
「仕事やだな」とか「会社行きたくないな」と言わせるのは人間だ。
それが取引先なのか社内の人間なのか上司なのか後輩なのか同僚なのか、というだけで、
大体の人は皆、仕事の大変さを感じているにも関わらず、傷つけ合っている。

私はその鬱憤を晴らすために、
ストレス社会に疲弊した独身女性のVlogを見て、「一人ではない」と安心し、心の痛みを和らげる。
会社で嫌なことがあった、と語りながらストレス発散のための爆食動画をアップしているYouTuberに感謝する。
一人にしないでいてくれるSNSに感謝する。
そして彼らと同じように、(彼らと違って誰も私のことなんか知らないし見ちゃいないのだが)
大量に喰らい、Twitterに(今はXか)暴言を吐き、物に当たり散らし、お金を浪費して欲しいのか欲しくないかも分からない、流行のための浪費をする。
(しかし私は彼らと違ってただの一般人なのでストレス発散をしたところで生産性は皆無である)

私は今まさに満たされた腹にビッグマックを押し込んでいる最中だが、ふとユートピアのようなことを思う。
もし誰も傷つけ合いをしなければ、人のストレスは軽減されるのではないだろうか。
考えながら、それはそれで何かしら新しいストレスが芽生えそうだ、とか何とか無数のツッコミが聞こえてくるようで、私は考えをバーガーの包み紙と一緒に投げ捨てる。
シェイクに手を伸ばしながら、私は諦めのため息を吐き、考えを改める。
人はどう生きたって、誰かしらを傷つけてしまうものなんだと思う。
ある人には私は常識人であり、またある人には異常者のように写り、
ある人には良い人だと思われ、ある人には鼻につくきしょい人だと思われ、
ある人には好感を持たれ、ある人には恨まれるのだろう。
皆違って皆疲れるものだ。
人間は、傷つけあうことをやめられないのだ。
なぜなら、皆違うからだ。
と、ストレスまみれの部屋の中でそう思う。

私が明日会社を突如辞めて、
この部屋で孤独に余生を過ごしたとしたら(すぐに貯金は底をついてくたばるだろう)、きっと傷つく機会は格段に減るだろう。
でも、物事には何にも二面性はあるもので、私は得た代わりに失ったストレスを被ることから逃れられないのだ。
ストレスは一生ついてまわる。
今夜のわたしは、諦めて受け入れることにしよう。
明日の私に出来ることは、どのストレスを受け入れ、どのストレスは手放すか、
自分自身の頭でよく考え、
よりマシな人生を送れるよう自分自身をアシストしてやるのが良いのかもしれない、
そう思いながら、べとべとになった指先を洗いに、私は重く脂肪のついた巨体を持ち上げる。

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