ACT.39『待ちきれずに行ってみた』
小樽駅から始まる朝
宿泊したゲストハウスのチェックアウト時間が遅めに設定されていた事に少し甘えていた…と言うのもあるが、山陰線の綾部付近で発生した竹倒壊の事故の影響を受けて道内フリーきっぷの日程が少し前倒しになっていたので、今回はそれも兼ねてチェックアウトまでの時間を朝の鉄道で過ごす事にした。
駅内に入ってから撮影したのは、733系同士の連結写真である。
このタイプは735系だったろうか、と勘違いしていたが、どうやら『逆に』735系というのは希少な存在であるらしくこうしてコーポレートカラーの帯を纏った733系が大所帯を占めている状態なのであった。
「少しはハプニングも悪くないか」
達観している状態で、改札内に入って撮影を始めている。
北海道に上陸したその日にもこの733系電車を確認したが、改めて日中時間帯に733系電車を確認する。
札幌近郊で活躍する731系電車の姿を土台にし、LED前照灯と行き先を装備した状態は正に活躍し慣れた…というか地域の存在としての顔を勝ち取った存在だ。
車両の帯は、先ほどの連結面でも気が付いたようにJR北海道のコーポレートカラーである黄緑色を纏っている。
731系電車がJR北海道の電車としてのイメージで固定されている自分にとっては一色塗りの帯でこの顔なのは違和感でしかないが、駅がこの電車ばかりで占拠されているのを見てしまうともう目が逆に慣れてきてしまうのだった。
小樽駅のホーム、を見てみよう。
訪問した際には『小樽駅120周年祭』として様々な行事やイベントが設定されていたが、本当に北海道の鉄道では伝統のある駅だったのだろう。
そして、このホームの持つ威厳こそが自分の持っている『小樽』の鉄道のイメージそのままの姿である。この渋い雰囲気の中、ED76からC62重連に付け替える急行ニセコの映像を何回視聴した事だろうか。本当に、自分の生涯の中で大事な映像と言っても過言ではない。
奥には、石原裕次郎のパネルが建立されている。
この先に訪問する場所にも、石原裕次郎に関する展示があったのだが一体裕次郎氏と小樽との関係は何だったのだろう。結局、小樽での滞在中には分からないままだった。
現在、旧型客車による急行ニセコ号たちが入線していた(と思いたい)ホームの近くにはハイブリッドな気動車が停車している。
しかし、流石は準鉄道記念物指定の駅舎が醸し出している威厳だというのだろうか。包容力の力が大きく、この駅にはどんな車両が停車しても似合うと感じさせられるのだった。
朝の光を反射させて、束の間の休息を取っているハイブリッド気動車。かつては蒸気機関車たちが息を切らし、時代の経過と共にハイテクな乗り物になっていった函館本線山線だが、現在はこうしてハイブリッド気動車がいつでも出庫できるように待機している。
北海道の名物、国鉄書体のホーロー駅名標と並ぶとまたこのハイブリッド気動車も良い味を出してくるのである。
ホームの反対側に回り込む。
目的の列車を撮影する為に移ったのだ。
ホームには733系電車が入線してきている。まだ北海道到着から日程は経過していないが、早くもこの顔には何か惹かれているというか北海道の電車として
「遠いところまで来たもんだ」
と感情に浸ってしまっている自分がいる。
しかし、札幌近郊の延長上だからかこの小樽には電車の出入りが非常に多かった。札幌に向かわずとも、新千歳空港に向かう電車も走っており、北海道の交通の要衝になっている事を感じさせてくれるのだった。
北海道に到着した日の夜には全然暗くて分からなかったが、この車両が現在の北海道の主力気動車(ローカル)のH100形だ。
ハイブリッド気動車としてその力を知らしめており、実力も充分の車両である。少し、停車位置目標が被ってしまい写真としては残念な仕上がりになってしまったが順光線での撮影ができた辺り、自分としては良い成果だった。
しかし、後に自分はこの車両の座席配置や車内設備に翻弄されまくるのである。それはもっと後になる話…
控えし存在は
さて、小樽駅で列車たちにカメラを向けていると自分の今回の出会いたかった車両に遭遇した。
731系電車である。車両として、この記事に掲載した画像はスナップ画像的なモノになってしまったが前日にも遭遇しており、既に北海道では何回か遭遇している。
何故か、自分の中で731系電車に遭遇すると安心感がある。幼い頃に図鑑で遭遇した経験などが揺さぶっているのだろうか。
車両の全景を撮影してみたが、この瞬間も何故か安心感というか「図鑑で見たあの車両が目の前に」という特別な感情になっていた。
朝の光線に照らされ、車両の側面が光っている。この車両には、特別な能力が備わっているのだが、731系はその『特別な能力』を発揮する為にこの小樽駅の端に停車していた。
少し、この電車の一部を観察してみよう。
731系電車は、JR北海道にて国鉄時代から走行している通勤・近郊型電車である711系電車の置換えを名目に製造された電車でもある。
台車は本州で走行している寒冷地仕様の電車と大して変化がないのだが、北海道独自の電車として装備された点としてこの機器室が存在している。
その機器室が『雪切室』と呼ばれる部屋だ。
この雪切室は、冬季期間中の豪雪地帯の走行。極寒の走行に備えて装備されたもので、711系。721系時代から装備している北海道標準の電車装備の装置だ。
この装置を起動し、冬の寒冷地運用時には雪や寒気と車内の温暖な空気を切り離して運転する事が可能になっている。
北海道の電車に乗車していると、この装置の近くで『ブーン…』と音がするのだがコレは電車の安全な運転に欠かせない装備なのである。
もっと詳しく知りたい方、雪切室で検索を!!
真価の発揮へ
小樽駅の1番線に、列車が入線してきた。
車両は北海道に入って真っ先に確認した車両の1つ、キハ201系。
列車は、倶知安から運転されてきた936Dだ。この936d。実はこの小樽駅で少し時間が取られており、その時間でキハ201系はその車両が持つ『真価』と言えば良いのだろうか。その『能力』を発揮する時間が到来する。
長旅の休憩…には少し短いかもしれないが、この駅で作業員と駅員の出迎えを受け、緊張感の漂う空間が広がっている。
少し情景は異なっているかもしれないが、かつての急行ニセコに於ける蒸気機関車が電気機関車にバトンを託す風景を彷彿とさせる写真の撮影が出来たように思う。
改めてだが、自分はこの列車の撮影を目的に小樽駅に入場して待機していた。いよいよ、その時間が到来したようだ。
キハ201系が、無事に停止位置まで誘導されたようだ。
ここで一旦、倶知安までの函館本線第一部の旅路が終了した。この先が、鉄道ファンにとっての見どころ発生というところだろうか。
その作業が、まもなく始まろうとしていた。
作業員が、まず線路に降下した。
そして、キハ201系の連結器カバーを外した。この駅では連結作業を実施するようだ。
しかし、随分と重そうというか重量感のある連結器カバーだ。コレを毎回付け外ししていると考えると、本当に鉄道職員の方々には頭が上がらない。
次に、連結器カバーを外されたキハ201系は貫通扉を開放した。
姿としては『一糸纏わぬ』状態になっているのだと思うが、非常にこんな姿も中々見ないのだから面白い。
そして、先ほどまで線路に降下していた作業員がホームに上がる。駅員は無線機を持ち、ホームは厳粛というか緊張感のある空気になってきた。
先ほどまでは精悍な姿をしていたキハ201系だったが、今では何か気を抜いた姿に変わってしまっている。
と。同じ1番線に連結相手と思われる車両が入線んしてきた。
車両は、731系である。
車両は、731系である。
大事な話なので、もう1回記していた。731系が連結相手にやってきた。
731系『電車』は、何食わぬ顔でブワァっと幌を広げてキハ201系の目の前に迫ってきた。
一体、この後何が起きるのだろうか。
しかし、気動車が連結待ちをしている状態に電車が接近して大丈夫なのだろうか?
そう。これが、731系電車。キハ201系の『特殊能力』なのである。
ちなみに。936Dの連結設定中にはこんな風景に。この駅で936Dは10分停車しているが、その最中に2番線に停車している新千歳空港に向かう電車は先行で出発する。
次回の936D撮影時には、キハ201の入線を撮影してこの新千歳空港に向かう電車で先回りも悪くないと感じた。
731系電車も、連結準備が完了しているようだ。
ゆっくりと併合準備を整え、駅員。作業員の指示でキハ201系に接近する。
平然と気動車・電車が連結作業をしているが、この作業は全国何処を探してもこの北海道の小樽〜札幌近郊でしか見る事の出来ない風景だ。
じわじわとその距離が縮まる。
本当に、鉄道を詳しく知っている…というか、鉄道の常識を越えた光景が目の前には広がっていた。
日本の鉄道でも、電気機関車やディーゼル機関車が無動力の電車・気動車の牽引をするのは決して不可能な話ではないが、電車気動車をこうして動力の域を越えて併結させる事は絶対に不可能に近いと思われてきた。
しかし、それが目の前で行われている神秘。
幼い頃に聞いてはいたが、実際に目の前にするとまだ信じられない。
距離を縮める両車。
その距離は目前だ。緊張の瞬間。実際に、動力の域を越えた奇跡の瞬間まで後少しという場面まで迫っていた。
併合完了!!
遂に電車と気動車が連結した。
この奇跡の瞬間が目の前に起きている事が信じられない…というか、江戸時代の人が遺した『早起きは三文の徳』を正に目の前で感じているところだ。
しかし、この状態で731系電車・キハ201系は走行する事がまだ出来ないようだ。(手を組んでの)
最後の作業として、両車の間に太いジャンパ栓を噛ませるようだ。
「うっわ、またえっらいゴツいのを咬ませるんか…」
こうしないと、気動車と電車の走行は実現しないのだろう。
そして、この駅から936Dは新たな列車として走行する事になった。
改めて、その連結面を見てみよう。
左側、札幌方面の赤帯の電車が731系電車。右側、青帯の電車が(ココからは敢えて電車と呼称)キハ201系だ。
この連結の凄いところは、動力の違いにある。
731系は『電気』で走行している電車なのに対し、キハ201系は『軽油』で走行している気動車なのだ。
この2車の併結は、連結しながらも互いの動力を稼働させている通称『協調運転』という状態となり、全国でも稀な状態となっている。
電車と気動車、という事例は先ほども記したようにここ『北海道地方』でしか見れず、本当に貴重な一瞬なのだ。
936Dの連結作業は、『全国でこの場所だけ』とあって、自分以外にも撮影者がいた。
小樽は観光地で鉄道移動にも多くの乗客が流れ利用者も多かったので、大抵の乗客は「???」な目で見ていたが、目に見えない偉業がいつか表に出る日を祈るばかりだ。
そして、少し前に
『この駅から936Dは新たな列車として走行する事になった。』
と記した。
その意味とは、小樽から936Dは731系電車との連結で936M。運転記号上では電車に改称し、札幌を目指すのだ。
キハ201系も、電車に昇格(?)した状態で、大都市に向かって進んでいくのである。
発進!!協調列車!!
さて、ここからは道内フリーが使える状態だったので936Mに乗車してそのまま函館本線の何処かまで行ってみようと乗車してみる事にした。
しかし、なにぶん迷う列車である。(絶対に鉄道を気にしていない人からしたらどうでも良い)どちらに乗車しようか、連結撮影中から本当に迷っていた。
「ま、北海道やしな」
と自分の感覚でキハ201系に乗車。
しかし、この協調列車キハ201系の凄まじい点は電車になっても(電車に編入されても)気動車の加速音・アイドリング音などが生きているのである。下から
「ドルドルドルドルドル…」
「ゴゴゴゴゴゴゴゴ…」
と突き上げ唸るようなサウンドは、本当に電車連結で走る列車の走りかと疑うものがあった。
南小樽、小樽築港の少し狭い空間を抜けて、銭函、稲穂と進んでいくと列車はどんどん快晴の開けた自然空間を進んでいった。
この最中は、連結シーンを撮影していた同業者の方と話をしていた。どうやら、東日本&北海道パスで上陸して旅をしているそうだ。第3セクターが使える旅の利点を、嬉しそうに語っている旅好きな姿が印象的だった記憶が残る。
星置付近で、下車の為に横の731系電車に移った。
こちらはキハ201系と比較して静かな車内になっている。
「お、ちゃんと電車なのか」
と感心してしまったのだが、しっかりと小樽で列車番号もMに改めてキハ201系から列車の主導権も握った辺りそりゃあそうだよなと半分は納得し、少し先の手稲で折り返す事にした。
(またこの写真かしつこいな)
さて。手稲に下車した。
もう飽きるかもしれないくらい、自分はこの電車+気動車の連結面を撮影していた。
そして、遂に別れの時。また撮影に向かう時は走行シーンを一発勝負で撮影出来るようにしたい。
731系電車のシングルアームパンタグラフと、キハ201系のマフラーが同時に交錯し札幌を目指す様子。
本当なら動画も撮影したかった!のだが、動画に関しては場所の運が悪く失敗してしまう。本当に場所が悪かった。
写真をよく拡大すると、シングルアームパンタグラフとマフラーから湧き出る(そんな言い方か)排気が確認できるのではないだろうか。
この瞬間が、自分にとっての今回最後の936D・Mの瞬間であった。
少なくとも連結・編成での撮影が叶ったのは良かった事だ。この後は、道内フリーパスを使用している状況だったので、一旦駅の改札から出て適当な場所で朝の食事を買い漁る。
利点・依存・奇跡
手稲で下車した。これもある意味、道内フリーパスでの効果…というのだろうか、なんとも言えず。怪我の功名という状態で現在は札幌近郊に来てしまった格好になる。
手稲に来ても、相変わらずセイコーマートを探してセイコーマートの食事で朝を迎えようと思ったがそうもいかなかった。駅付近にあったSEIYUがあったので、食糧の調達に向かう。
「ミスドでもえぇかなぁ」
と思ったが、朝からそこまで重い食事にありつく気分でもなく、SEIYUの大きな店舗に向かって歩き出した。
前日の小樽築港に下車した時からそうだったが、JR北海道の駅というのは耐寒大雪の構造が非常に硬い。駅の扉が二重構造にされており、小学生か中学生の時期に社会科・地理の面で学習した記憶が蘇ってきたのだった。しかし、日本の現状に温暖化したこの気候では二重の扉機構も足枷になっているのではないだろうか。
SEIYUに入店するタイミングで、バスが通りかかったので行先を見てみた。確か、地下鉄東西線の駅の方面に向かって走っていくバスだったと思う。自分でも意識していなかったが、小樽と札幌は微妙に近いのだと感じさせられた。
そして、SEIYUで買ったのは地元のベーカリーのパンとイチゴのランチパック風のパンだった。このランチパック風イチゴパンが非常に美味しかった記憶が残っている。あまりにも印象に残る味わいだったので、製造記号を確認してみたところ『札幌…』から始まる製造だった。この場所まで来ないとありつけない食べ物らしい。
しかし、見た目はランチパック風でホットサンドメーカーでプレスしたような形状のパン。商品撮影をしなかったので、帰って改めて調べると
『ラブラブサンド トリプルイチゴ』
という商品だった。
この他にもバリエーションが多かったのも、自分としては大きな印象に残っている。他にはチョコやブルーベリーなどがあったのだろうか。
しかし、いずれにせよ本州のランチパックの薄さとは比にならない量で美味しかったのは本当に何度でも記しておきたい次第だ。
この他にも、ガラナを買って退店する。
ガラナの購入に関しては本気の依存症でしかないだろうと思ってしまうが、この時は飲料の成分にまだ気付いてはいない。
手稲から、小樽まで列車に乗車して戻る。この時、乗客が
「ロイヤルエクスプレスが止まってる!」
と稲穂駅停車中に気付き、おぉっとカメラを向けると本当に停車していた。伊豆急行の2100形、リゾート2…っではなく、ロイヤルエクスプレスが。いや、正式にはロイヤルエクスプレス北海道だろうか。
この期間中、伊豆急行のロイヤルエクスプレスは本来の伊豆急行の仕事を離れて電気機関車たちの力を借りて北海道へ。そして、非電化区間などでの走行のため、車両を機関車牽引向けに改装し北の仕事に臨む。
この時、実は偶々近くに居た方と奇跡的な話になったのでご紹介しよう。
「あぁ…申し訳ありません。少し珍しいものがおりましたから。」
「いえいえ。珍しいんですか?」
「そうなんですよ。伊豆急行のロイヤルエクスプレスと言いましてね。普段は東京と静岡の伊豆の方を走行している車両なんですが、今回は北海道に来ているんですって。中々見られませんよ。」
「へぇぇ、そうだったんですねぇ」
「ごめんなさい。少しびっくりしたでしょう。女性の前でカメラを触ってしまって。」
「そんな事はないですよ。鉄道好きなんですか?」
「はい。好きで京都から来たもので…」
「京都から!?私は東京からなんですが、乗り物は割と好きで」
ここから先は、互いに乗り物や北海道に関する話、そしてこの行く先々でどうなってゆくかなどを話したのだが、ここから先が非常に忘れられなかった。というか、この先の記憶は自分にとって大きな足跡を残してしまうかもしれない。
そして、補足に。
後から判明したのだが、ロイヤルエクスプレスが北海道に上陸した経緯には『北海道胆振東部地震の復興を目指した激励』との要素があったようだ。なるほどそうだったか…
今では伝統的すぎて最早分からなかったが。
カメラを持ってもそこまで気になさらない方、というか自分が鉄道好きで北海道を巡っていると判明したので、列車の車窓も同時に撮影していた。
銭函付近を過ぎると、自然の開放的な海というか海岸が広がる。列車は石狩湾の眺めを見つめ、歴史ある街小樽へ走行している。
「今でも京都で暮らしているんですか?」
「そうですね。京都で暮らしているのですが…」
「京都?私、大学が京都大学だったんですよ。」
「は…い…?(思考停止)」
「京都大学。」
「京都大学って、あの吉田寮とかの京都大学ですよね。裁判の決着とか今でもたまに聞きますよ。」
「あぁ、その京都大学です。まだやってたんだ…」
「それで、京都って言ったら紹介したいお店があるのですが、八文字屋ってご存知ですか?」
「八文字屋ですか?」
「京都の本当に隠れた木屋町の場所にあるんですけど、こう店は本当に汚いんですよね。たまにゴキブリとか出てくるのはあるんですが…」
「え?」
「それくらい敷地が雑然としていて、本当に汚いんですがでも写真とか資料がすごいんですよ。鉄道が好きならばそうした交通とかの資料もあるかもしれませんよ。」
「おぉ…?」
石狩湾を眺めて列車は進む。透き通った綺麗な海と空。しかし、目の前で起きている話の内容は非常にパンチを叩きつけるというか衝撃の内容だった。
八文字屋、という店は京都の木屋町の奥座敷にある店で、店主は既に高齢化。そして、鍵をどうのこうの…で夜を中心に開業しているが、実際の開店時間は不明だという。
「でね、その八文字屋の前に京都に西陣ほんやら洞ってのがあったんです。」
「ほうほう」
(時々検索しながら確認)
「そうですこれ」
「んん…」
しばらく圧倒され、北海道の大地にも勝るというか、とてつもない話に屈している自分。
「んで、その西陣ほんやら洞ってのが反対勢力によって焼かれたんですよね」
「えぇぇ!!?」
実際に調査してみる…帰ってから軽く調べてみると、その西陣ほんやら洞は全焼し店が焼かれたというニュースが入っていた。
その女性も、八文字屋に大きく関与しネガや写真集の一部、そして映る何かなどに入る…など大きな関わりを成したらしい。
「また行ってみてください。」
と笑いの手向を頂いたので、次は実際に…というか、京都滞在中には一度訪問しておかねばと考えさせられた。
しかし、なんという奇跡だろう。
「自分も吉田寮のビラ配り手伝ったらカレー食べさせてくれましたよ。カレーも家庭ってか炊き込んだ味がして美味しかったですね…」
など、京都大学の思い出を話せる時が来るとは思わなかった。
石狩湾が見せたものは、澄み渡る奇跡だったのだった。
そのまま、協調列車に乗車した時同様に南小樽の狭い空間へと入り、小樽の昭和な駅空間に入る。一瞬だけの旅道が終了した。
また会う時まで
そのまま、衝撃的な話をして自分の石狩湾を眺める札幌近郊の旅路(朝は終了)はここに一度の節目を迎える。自分としては、もう少し京大の話に興じていたかったが何か気づくのが遅かった気がする。
しかし、自分としては話していたあの女性とは『八文字屋』の言葉を記憶していればいつか再会できそうな気がした。本当に気のせいでしかない。
と、自分が記念撮影をリクエスト。
「この鐘と撮影してくれますか?」
「良いですよ!」
何枚かの撮影。
こうして束の間の時間が終了。いつか再会する日が来たら、この北海道の旅、そして石狩湾を眺めて思った事を互いはどう記憶しているのだろうか。
「じゃあ、また…」
そう言って別れた女性の後ろ姿を見送り、自分は宿に戻った。
この後は、手宮方面に向かう。小樽の歴史の心臓部、そしてこの北海道の旅路で最も見たかった場所がやってきたのだった。
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