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ボクが学ランに憧れるワケ

はじめに

 ようやく間に合った。この記事を書いて4月の助走を切ることが出来そうだ。(自分がとにかく怠惰な事、そして更に九州・広島の一件を長く書き続けたツケが回っているような感じはすれども…)
 取り敢えず、最近に自分を知って下さった方々は自分を「学ランキャラ」として認識して下さっている事も多いだろう。そして、外に繰り出せばその理由も多く聞かれる。Twitterにて「学ランで言われた言葉打線」というのをツイートした時には若干の反応があり、非常に手応えを感じたが…
 それはそれとして。自分とこの詰襟服の話をしてみよう。

撮影:すゐしん様(非常に感謝です…)

昭和の憧れ

 まず、この辺りにある。というか全国に繰り出して一番多く告げた理由がこの「昭和」という理由だと思う。
 そもそもの話…にはなるが、自分の中に一時的に被写体を失う…というか撮影が後退した時期があった。
 この時期に不意に「図書カードを作ってみよう」と幼稚園以来となる図書カードを作成して京都市の図書館へ出向く。その際、文字等が多く入った書籍にはあまり手を付けず、モノクロ写真等が掲載された「昭和の鉄道の記録」なんかをよく読み耽った。

3月某日に走った米原訓練

 今でこそ、ハンドル訓練やイベント列車にて「客車列車」としての姿を見かけたり、様々な事情で「国鉄」や「昭和時代からの車両」を使っている鉄道会社は少なくない。
 しかし。自分が見て憧れたのはそういったツール…現代に現れた国鉄ではなく、「昭和のモノクロが捉えた生の生活風景」だった。
 列島に長距離列車が当たり前のように走行し、そして「鉄道」が交通機関の主役を成している。各県庁所在地の駅は、「出会いであり別れの駅だった」そんな時代の昭和の鉄道と国鉄に知らず知らず憧れていた。
「そんな昭和を、自分でも着用してみたい」
と感じて着用に至ったのが「学ラン」だったのだ。

知人の方からのお誘いなくして撮れなかった光景。

「真新しいスーツ・ケースを提げて」
「集団就職で今着いたらしい」
吉田拓郎/制服…の歌詞の一節である。
 自分にとっては特にこの昭和の時代が大好きで、学ランもこのイベントに間に合うように発注をかけた。
 おっと自分の忘却グセ。この写真は秩父鉄道の夜行列車イベントが開催…との事で知人にお誘いを頂き参加したモノだ。学ランはコレに間に合うように発注・修復改造して秩父に持ち込み。
 自分としては良い空気感を出せた…昭和の演出に溶け込めたと感じるが、知人は
「これは撮影してもらったらモノクロでスナップされて焼かれるで…」
と気合いを入れた自分に半笑いだった。
 コレ以降、自分の新たなキャラがスタートする大事なキックオフイベントとなったのが秩父夜行であった。

言葉的に気になる

 学ランを着用する事…への理由として、個人的にもう幾つかの理由があるならば「私服が基本的に定形でダーク」な事にあった。
 少し前まで意中の声優がおり応援もしていたが、祖父母への忠義を思い出すとどうもオリックス・バファローズへの舵を切った方が最近は非常に楽しいと気付き、声優の応援は遠ざかりつつある。
 一度だけ、自分の私服を
「ダサい」ないしは「暗い」
と言われた経験があり、コレが実に引っかかっている。発達持ちなら1つの言葉に些細な左右をされてしまうのはよくある話だと思うのだが。
 そんな訳で、いつだったかどんな日だったかを忘れたが、それ以来仕事や職務に関わる大事な日を除外して「学ラン」の着用が始まった。
 しかし、学ランも「しょっちゅう」ではなく、イベントや「旅の根幹」となる服装になるだけだ。京都市内や大阪へ不意に遊びに行く用事だけ…なら私服で行く事も偶にだし、そんなに出す事もない。
 そんな些細で繊細な言葉が気に触るようになったあの日から、自分は「学ラン」の居心地が妙に良いと感じるようになった。
 最早自分の事を「学ランの兄ちゃん」と手を振ってくれる町すらあるので、最早この服を脱ぐタイミングがわからなくなってきた。それはソレで「キャラクターの浸透」を喜ぶべきかもしれない。
 思えば自分では家族と勝手に「不仲」と決めているような所があるし、もし親が死んでも「勝手に誰かに葬ってもらえ」とすら思った事があったが、なんだかんだ自分に尽くしてくれている点が人生こうして続いているのは有り難い事だし幸せなのかもしれない。
 ただ、一々気に触る親だという根底の感想は変わっていないので服飾に関しては「不仲」なのかもしれない。

憧れのアーティスト

 ダンサーの人、ダンス関係や身体表現アートに携わっている人にしかこの話はしないし、なんなら最近になってようやくこの理由の口を割った。
 男性ダンサー集団「コンドルズ」への憧れだ。
 つい最近もダンス関係の人に会う事があり、
「学ランなんで着てるの?」
との質問に
「コンドルズですね」
との解答をすると
「サラリーマンダンスとか知ってたりするの??」
と驚かれた。どうやら相当なダンスマニアだと驚かれたようで、月に何回もダンス公演を見に行っているかのように感じられたがそうではないし、表現者「近藤良平」を知って憧れ始めただけの事なのだが…
 しかし、自分にとってダンスを越えた憧れのアーティストに「コンドルズ」の「近藤良平」・そしてその延長上に「森山開次」がいるのは事実であり変わらない事だ。
 特に近藤良平氏については、「生き方」などの面が非常に好きだ。
 近藤氏の学ランでステージを躍動する姿をはじめて映像で見た時、自分の中で
「この服が欲しい」
という直感的な電撃が刺さったのは忘れられない。自分にとっての大きな原動力にもなっているかもしれない。
 先日、神戸は三宮の屋外ダンスパフォーマンスで近藤良平氏の作品に出演したというダンサー、高瀬瑶子氏との話をしたが、実に楽しそう…というかパワフルで何かエナジーに満ちていそうだと感じた。
 しかし、学ランで話をしていたり旅に出ていたりする時。こう帰郷して文字にする時の構想を浮かべていると、
「良平氏のようにいつか自分もアツい表現者になりたい」
との気持ちが湧き上がる。自分にとっては何か特別な服装にもなった。
 何人かの方々(特にダンス関係の方々)には
「コンドルズ憧れなんです」
と言うと
「あー!そうなんだ!面白い!」
だったり
「いいよねぇ、コンドルズ」
との声も聞かれるようになってしまい、何か自分にとって「ダンスマニア」を象徴する服装にもなってしまった感がある。
「いつかはこの服でコンドルズに会えると良いですが」
なんて冗談を偶にそんな会話の中に挟むが、果たして自分の中にそんな日など来るのか。それが1番気になってしまう。

最終的に

 自分の中で、この服…の存在はかなり馴染んできたように思う。
 結局この服を着ての「後ろ姿」をSNSのアイコン等にして固定したりする事によって、若干の「垢抜け」を果たせたのも自分の中では大きな話かもしれない。
 また、行った先々での記念撮影も捗るようになった。そして、思い出の形状が前回よりは残りやすくなったように感じる。
 こういった点が自分と学ランの新たな変化点だろうか。何れは京セラ大阪でのオリックス観戦だとか、記念撮影にしても東京の新宿とかもっとキャラを運動させてみたいように思う。

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