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短編私小説『月に成れなかった夜(新宿にてsince 2008)』

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そこは、


まるでサイバーパンクの世界のような…


歌舞伎町のネオンに


初音ミクのシンセサイザーを足したような、





そんな異空間だった。




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入ってすぐのバーカウンターに、



20歳前後の若い演者、



何かでハイになっているクラバーの中年女性、



ホスト系の若い男、



クラブには似つかわしくないオタクファッションの若者…



など、

非常にジャンルレス、


かつボーダレスな顔ぶれが、



かなりの人数で集まっている。



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このイベント、


「エクスタシーブレイン」に


初めて来たのは、



クラブで高校の先輩に紹介されたクルー、



「CIB」


のライブを見るためだった。




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このイベントの面白いところは、



新宿歌舞伎町という


ダーティな土地柄の持つアンダーグラウンド…



もっと言えば、


新宿という

「前衛」の土地の



アングラ感の中に、



当時隆盛していた


ネット上のラップシーン、


「ネットラップ」(のちにニコラップへと繋がってゆく)と、



東京のラップシーンの中の



アンダーグラウンドが混在していたことだろう。



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『えっ、今日マイラス来ないの?』




リョーさんが驚く。




『ヤベーよ、今日のライブいい時間なのに。』



チョウさんも焦っているようだった。




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ここは新宿BARZの出演者控室。




今日のCIBのライブに、

メンバーのマイラスさんが来れないと分かり、


皆混乱しているのだ。





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この頃僕は、


高校の先輩と組んでいたクルーが


先輩の


「初恋によるギャル男化」


により解散し、



この「CIB」のあまりのスキルフルさと



DJのガーくんのトラック選びのセンスにやられて


「おっかけ鐘広」


として、



CIBの出演するイベントに、



深夜自宅の壁をよじのぼっては脱走し、


咳止めとテキーラを



「がぶ飲みミルクコーヒー」


並みにがぶ飲みしては、

毎夜めちゃくちゃになって

周りの人に介抱されるような夜を過ごしているのだった。






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その頃のBARZには、


後のネットラップシーンでスターとなる人や、


ビートシーンの重鎮になる人、


MCバトルで名を上げる人、


アンダーグラウンドですさまじいプロップスを持つようになる人…


10年以上後に至ってもずっと音楽をやり続ける道を歩む人々…


が、


若さを持て余し、



表現に火を注ぎ、



どこかアヴァンギャルドで


イケイケな姿勢で、


毎回すごいライブをしていたのだった。



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僕にとっては、


そこは、



灰色の現実と切り離された

ワンダーランドにして

アンダーグラウンドなのだった。





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「どうする?」


チョウさんが言う。


「…」

ガーくんは沈黙をしている。



「そうだ。鐘広。」




「はい。」



「お前、CIBのリリック全部歌えるよな。」



「歌えます」



「今、マイラスのバース蹴ってみろよ」



「えっ。」



「時間がない。早く。」




リョーさんの目は本気だ。



「お前、それは…」



チョウさんが止める。



僕にとって、


CIBのリリックは、

真っ暗な闇に差した一筋の街灯であり、

誰にとっても暗闇である

青春という物置小屋の、


ドアの隙間から見えた月明り。



そんな存在だった。




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リョーさんは

僕にマイラスさんの歌詞を

ステージで歌わせるつもりだ…。



僕はずっとBARZの
あの高いステージを


憧れの目で眺め続けていた。



そこに自分が?立つ?





「できません。」




「なんで?」



リョーさんはいつもの厳しい表情で問うてくる。



だって。だってそれは。



「マイラスさんのバースは、マイラスさんが歌わないと、意味がない気がします。」


「…。」



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カッコつけてそう言いながら、


僕は、


あのステージに立ちたい、


という凄まじい欲望と、


(俺なんかが、


俺なんかがステージに立てるわけがない。)

という矛盾した葛藤を抱えて、



今にも失禁しそうな気分だった。





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「分かったよ」

「今日は2MCでやろう」






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そうして僕は初ステージに立てずに、


フロアから2MCのCIBを見つめた。



いつかあそこに立ちたい。



自分の、言葉で。





その思いは、


酩酊と爆発の狭間で、


よじれた鉄線のようになって、



僕の心になにか得体のしれないものを残したのだった。







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新宿BARZの奇妙なサーカスは、

その日も朝まで続いた。







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朝の火高屋で、



僕はひとりで、



ラーメンを食べた。





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スープの上のネギが



生臭くて、



青臭くて。








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帰り道、



僕は高架下で、



垂直ロケットのように嘔吐した。




あのくさいネギは、






まったく消化されずに

僕のことを



嘲笑っているのだった。




梶本

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