アロマンティックの私とこれからに向き合う ~できれば誰かと手を繋ぎたい
「アロマンティック」という概念に出会ってから2年が経ち、さらにこの1年間でいろいろと気づくこともあったので、年末にかこつけて振り返りつつ素直な心境をまとめたい。かなり超大作になってしまったので読む際は飛ばし飛ばしでどうぞ。
アロマンティックにたどり着くまでとその心境は以前つらつらと書いたので、ここでは省略。
第一の選択は、他人と共に生きるか、独身街道を爆走するか。
恋愛以外の方法で信頼関係を結んだ他人と人生を共に歩む、又は独身街道をこのままひた走る。アロマを知ったとき、私のこれからの人生選択肢はこのどちらかだろうと思った。
どちらかと言えば、気持ちは後者寄り。当時の私は超健康優良児で夢も希望もいっぱいだった。そもそもアロマを知る以前から、人生の中でやりたいことを組み込むと「あら恋愛・結婚・出産を入れる隙間がないわどうしよう」となるくらいには渋滞が起きていたので、正直開き直るきっかけができた!とさえ思っていた。
けれども、病気(幸い大病ではないものの、長く付き合うしかない病気でした)により体力全開フルパワー!な自分を失ってから、少しだけ考えが変わった。
病気発覚のきっかけは、一人暮らしの部屋で意識を失い倒れたこと。完全に意識を失う前、朦朧としながら「救急車」と思ったことは覚えているけれど、手元にスマホはなく、視界は真っ暗になり、気が付くと30分以上経っていた。真冬にも関わらず、着ていたトレーナーは汗で色が変わるほどぐっしょりと濡れていた。
あのまま意識が戻らなければ、出来上がった私の死体をいったい誰が見つけてくれると言うのだろう。
この気持ちは、一人暮らしをしたことのある人なら、大なり小なり経験があると思う。これが小さなトラウマになり、生来一人行動大好きでお一人様ディズニー以外はほぼコンプリートしたとも言える私が、その後も半年ほど一人での遠出は控えたほどだった。
ともかく、私は幸いにも死体になって警察沙汰になることもアパートを事故物件にすることもなく、病気の治療にいそしんだ。ストレスだったのは、体調以上に「動かない身体と向き合う」という作業。これまでどんな無理をしようとも気持ちについてきてくれた身体が全く言うことを聞かなくなり、メンタルケアを両親に求めた。その節は本当にありがとう。
(閑話休題!)
そんなわけで、私はようやく、いつまでも私が五体満足健康優良児な保証はないし、両親がいてくれるわけでもない、という至極当たり前のことにたどり着いた。健康を損なえば、お金だって稼げない。国の補償と言ったって、生活していけたものじゃない。両親が高齢になれば介護の問題だって出てくる。なにより、健康を損なったときのあの心細さをひとりで抱え込まなきゃいけないなんて絶対に嫌だ。
愛もなにもなくて恐縮だが、経済面とメンタル面の保証として、人生を共に生きてくれるパートナーという存在が必要だと強く思った。
それじゃあ、「恋愛以外の方法で信頼関係を結んだ他人と人生を共に歩む」のルートへ進もう。
求ム。アロマンティックの同志。
最も丸く収まる方法は、シスヘテロ&アロマンティック男性のパートナーを見つけることだろうと思った私は早速壁に気づく。アロマ同士で出会う場所がないのだ。
私は九州出身で、今は仕事の都合上さらに奥地の田舎在住。「九州男児」を隠れ蓑に男尊女卑が無意識にはびこり、家父長制の強い地域だ。(私は九州への帰属意識は高いし、今住んでいる土地が好きだけれども、とは言え女性子どもの人権の低さは見逃せない)
これだけレインボーフラッグが世間に露出し、LGBTQ+を公言する芸能人も増え、多くの人が認識するようになった今でも、男女に二分化された地域社会だ。「アロマンティック」なんて概念もほぼなく、コミュニティも当然ない。
ならばマッチングアプリはどうだ!と探すも、世に溢れているマッチングアプリはシスヘテロ(心と体の性が一致した異性愛者)のロマンティック向けだ。アロマの私がトライしても、当然需要と供給は一致しない。
しないが、なにも動かなければ進みようがないのでひとまず某マッチングアプリに登録した。もしかしたらアロマ以外でも恋愛ではなく家族としてのパートナーを求めている人でいれば上手くいくかもしれない。そもそも、恋愛に対して労力を割いたことのないだけで、出来ないわけではないのかもしれない。そう思っていた節もある。
メッセージは比較的上手くいく。きっと登録したことのある女性はみんな経験していると思う。あらあら私ってばモテるんじゃない?って思わず勘違いしそうな謎のビッグウェーブ。私は来る波を一切拒まず乗っかりまくった。
どうやら突然襲い掛かってきたりしなさそうだと思った人とは、実際にお茶なりご飯なりに行ってみた。けれども相手の方は恋愛関係を求めているわけで、どうしたって噛み合うわけがない。一度、アロマアセクだと言う年下の男性と出会えたが、話をする限り、大変失礼なことを承知で言うと、自己肯定感の低いメンヘラさんだった。個性を求めれる今、マイノリティを名乗ることで自身の価値を高めようとする人はもしかすると多いのかもしれない。
なにはともあれ、私はさんざん他人の時間と労力を奪い、不毛なマッチングアプリ作戦を終了することにした。
アロマを公言する人は少ない。出会う人出会う人「あなたのセクシャルは?」なんて聞けばもはや歩く人権侵害だ。LGBT向けアプリや婚活サイトは充実しはじめたと思うけど、アロマ向けはどうだろうか。
アロマンティックはいったいどこにいるんだろう。
家族も友人もアロマの私を受け入れてはくれるが、理解や共感は難しい。変な孤独感が付きまとうようになった。
「アロマンティック」はほぼ悪魔の証明。
やや脱線するが、ちょっとここで挟みたい。「アロマンティック」という概念についてだ。
アロマを知った私は、家族や友人に「長年の違和感はアロマンティック」というセクシャルだった!頭がおかしいわけでも、人としての感情が欠如しているわけでもなかった!」と、嬉々として話して回った。有難いことに家族・友人たちは「そうかそうか」と一緒に喜んでくれた。
だから初めて他人からアロマであることに対して攻撃をされたとき、それはそれはショックで悲しかったし、攻撃される意味も分からなかった。
分からなかったが、これで私はアロマの説明が非常に曖昧で難しいことに気が付いた。
恋愛感情がない。例えば、同性愛であれば単純に対象が異なるだけなのだから、心情への理解は比較的容易いと思う(分かりやすいが故に、マイノリティの歴史のなかで最も攻撃対象になっていたこともよく理解しているし、心情をマジョリティに理解されるからと言って虐げられないわけでも社会的困難がないわけでもないことは重々承知している)。
でも、私にはないのだ。愛がないわけじゃない、恋愛が要らないの。そう言っても、ないものを証明する手立てはない。悪魔の証明と同じ。
理解も想像力も知識もない人に会ったとき、私は私の説明をできなくなる。そして、彼らからすれば、マイノリティをファッションとして気取ってる奴になってしまう。
これは大きな障害だ。
一度攻撃されて以降、私は自分がアロマだと安易に名乗ることを控えるようになった。今もそう。例えば会社で話を振られても「あー、私あんまり恋愛を必要としてないっぽいんですよねー」なんて適当に笑う。
アロマ同士のパートナーがほしいのに、自らは手を挙げないこの矛盾。なんだかなと思う。
愚痴ばかりこぼしても仕方がないので、自分の年齢や人生設計を鑑みつつ、「友情結婚専門の結婚相談所」に登録しようと思っている。
恋愛以外の方法による信頼構築と共同体がほしい。
アロマだと分かり、自認して以降、いろいろと見えてきたものもある。まずは「きっといつか私もだれかと出会って結婚するのだろう」という、世間からの刷り込みなのか、はたまた自分の意思なのか、非常に曖昧でふわふわとした謎の将来像とはサヨナラした。
正直、「もしかしたら…」みたいな可能性を持って生きるのはしんどかったのでとても楽になった。なにより、自分が何者であるのかを知れることはとても幸運なことだ。
目下の目標は、アロマンティックの人と出会うこと。正直、この点は生活の場所を変えるのが手っ取り早い解決策だろうと思っているけれど。
友情結婚で、人生を共にしてくれる人と出会えると嬉しい。
それから、これはセクシャルだけでなく人生における夢も絡んでくるけれど、いつか共同体で生活できる場所を作りたいと思う。結婚でもなく、独身でもない生き方を実現できる場所。そう、ないなら作ればいいのだ。私が。最近そう思うようになった。
例えば、専用アパートを作って各部屋に誰かが住んでいる感じ。ラウンジ&キッチンスペースはアパート住民は出入り自由。だれかとご飯を食べたくなったらそこに来ればいいし、シンママやパパが子を預けることもできて、みんなで子育てしていけるような。こどもだって学校へ行きたくないときは、アパートの一角の私設図書館で本を読んで過ごせばいい。
求めるのは特別なことじゃなく、だれもが安心して生活できて、他人や社会との関わりを持てる場所。
そういう場所を、これはアロマに関わらず以前から作りたいと思っていて、アロマとして今後をどう生きるのか考えたとき、より強くなった。自分自身の孤独感の緩和も含めてね。
生き方の多様性なんてよく謳われているけれど、せっかくだから形にしたいと思っている。
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