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なん掛けがちょうどいいのか

急にnote.を始めてみることにした。
年末年始、流行りに乗ってインフルエンザに罹患してしまい、ひたすらインスタの動画をシュッシュシュッシュするしか気力がないくらいだった(MAX39.6度。最悪)のだが、それで今日が「一粒万倍日」と言って、物事をスタートとするには素晴らしいタイミングだと知ったのだ。

以前からnote.は「S子ちゃんSNSでも文長いからやったほうがいいよ」と謎のおすすめをいただくことが多かったのだがなかなか踏み切れずにいたのだが、このインフル以外なんも収穫のなかったあたしが「一粒万倍日」を急に知ることになった、というだけできっかけじゃないか。
なので、やってみる。本日残り5分だけど。

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ぼんやりと、これまで広告分野でコピーライターや企画・編集を担当していた(今もだけど)のだが、特に昨年からのAIの台頭っぷりとか考えるとコピーだけではなく、エッセイだったり取材だったり「人間である自分」がそこに介在していく方に少しずつ広げていきたいと思ったり。なので、兎にも角にも本日、スタートを切ったわけだ。
今日はたまたま「なん掛け」の話が2つ飛び込んできたのでそれについて。

◎昭和の人生は6掛け(×0.6)
あたしが師匠と仰ぐうちの一人がPodcastで番組を持ってらっしゃるのだが、そこでこんなことを言っていた。「昭和では人生は60年と言われていた。だから、今の人生100年時代からすると6掛けだよね。40歳は40×0.6で24歳。60歳は36歳。逆に昔の人は若くても非常に大人びた顔していたよね」と。
そうか、昔の人がキリッとしていたのはデジカメじゃないから写真が一球入魂によってあんなキメ顔なのかと思っていたが、あれは今の人と比較して大人びてる感なのか。というか、あたし昭和時代ならまだ20代半ばかー。100歳でも60歳?!
これを聞いてから妙に得した気分なので笑、ぜひ皆さんも「昭和時代と比べてお得感」を想像してみていただけたら。

◎現役世代が今の8掛けに減る(×0.8)の話
朝日新聞に載っていた「現役世代が今の8掛けになる」って話を詩人で小説家の多和田葉子さんがしていて(多和田さんは献灯使というディストピア的な小説を書かれていらっしゃるそうで。本の中ではからだの弱い子どもを90代の高齢者が介抱するらしい。近く読んでみたい)
多和田さんは「年寄りが弱くて子どもが強い、は通用しなくなる。動けないひ弱な若い人をケアするのは90代かもしれない」と記事内で語っていらして。恥ずかしながら今初めて認識したのだけど、16年後の2040年、日本って高齢化が35%になるんだって。数値で示されるとすごい怖い!!と思いつつも、もう、「高齢者」の中でも「元気な高齢者」と「そうでない人」、記事の内容を合わせれば、若者の中だって(今だってそうだろうけど)肉体的にも金銭的にも、若いからといっても常に労働状況に置かれている人は誰かに与える余裕なんてないだろうし、もう「できる人ができることを、足りない人に可能な範囲で与えていく」ことをしていかねば、ということなのかなあと受け止めたり。
あと新聞内のキャッチには「少しで満足できるかが大事」とついていて、これまでは大きいことが経済でも社会でも優れているとされてきたけれど、これからはそれも8掛けで、と。確かにあたしは今企業に属してはいないのであまり数字に追われることがなかったのだけど、常に、毎年成長するってどうしても無理が出てくるのでは??とぼんやり感じていたりもしたので、妙に腹落ちしたり。豊かであることに越したことはないのだけど、その暮らしの活動が子どもの世代の未来を、遠いどこかの誰かの幸せを悔いつぶして成り立っているのでは元も子もない。
ありきたりだけど持続可能な、って大事だな。

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ちなみに我が家は秋くらいから、物価高によって「持続可能な」おやつに基準を下げた。どういうことかというと、子どもたちが「おやつちょうだい」と言ってきたときに、それまでだったらお菓子でお腹が膨れるくらいにしていたのだが、「まだお腹すくー」とかいうことが増えてきたので「ある程度のお菓子以降は、塩にぎり」とルールを変えた。我が家において、もうお腹いっぱいおやつを食べる時代は終わったのだ。まさに8掛け社会はやってきているわけだ。

あと、日々横幅が狭くなってより回転しやすくなるトイレットペーパーを見ながら、「時代なんだろな」と思うと同時に「でもこれでも全然事足るのに、これまで誰も横幅狭くしましょう」って言ってこなかったんだもんだあ、、とペーパーのカッティング幅を決める会議などに思いをはせる。

今年、初日。
良い時代に少しでも近づくような年になります様に。


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