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心にサビをつけないこと


人は生まれながらにして持っている指針が体の中にある。何をすればいいかを知っている。それは渡り鳥が教えられなくてもその方向を知っているのと同じで、体内羅針盤のようなものだ。

真摯で清廉な心はどんな人間にも与えられている。ただ誰もがそこに従うとは限らない。陽明学ではこの「こうしたほうが良いと、自分の心は知っている」というものを、「良知」と表現する。

何をすればいいかわかっていながら、そうしないとどこか気持ち悪い感じがする。この気持ち悪さは良知の心からくる。勇気を出して良知に従って行動すると、心は清廉な気持ちになる。逆をすると心がおさまらないで、けれどそれも繰り返すと鈍感になっていく。

「その行いが、心に錆(さび)をつけたものである」。

コーラーン第83章にはこの一文がある。たとえ小さな行動でも、自らの良心に背くようなことを繰り返すと、心に錆(さび)がたまって、やがて心の良知は錆びていく。
ゆっくりと。そして確実に。

孟子の考えるところでは,人間の本性には良心と放心という二つの傾向がある。良心は他者と心情的に共感し,善へ向かおうとする心理傾向であり,放心は外界の事物に動かされて欲望を追求する心理傾向自己の内にはこれを自己自身のものとして認めることを是認したり、拒否したりしようとする第二の自己の声がおこってくる。これが良心の声である。

自分の成した悪い行為において良心の声はもっとも先鋭に意識される。
良心とは表層的な自己にはかならずしも意識されていない深層における自己の、善への本性的なかかわりの意識であり、直覚でもある。

それは深層において自己を形成する核であり、その良心を失うとき、人間は自己の内面を失い、表層だけの抜け殻となる。




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