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水槽の脳 (Brain in a Vat)

「あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳に見えているバーチャルリアリティではないか」。そんなmBrain in a Vat (水槽の脳)と呼ばれている仮説は、1982年に哲学者ヒラリー・バトナムによって唱えられた。

そういえば、ずっと昔、筒井康隆だったか星新一だったかの小説にこんな物語がある。永遠の命を得るべく、ある男が自分の身体が死んだ後、その脳を実験室に設置された機械に保存するよう仲間の科学者たちに指示する。やがて来る未来に備え、脳を人工ボディに入れてもう一度生きさせるための準備だ。

培養液に浸され24時間作動する機械の中で、その男の脳は生きている。未来の科学者によって、その脳は再生されることを前提とした実験で、その男は自らを実験台とした。

けれどもその男の脳が培養槽の中で目覚めた時、とてつもない痛みに襲われる。切断された神経網による、言い表せないほどの激痛だ。けれどもその痛みや苦痛を、実験室の研究者たちに伝える術はない。つまり、いつになるかわからない未来に、その脳が取り出されて新たな身体に入れられる技術ができるその日まで、ずっと痛みに苦しみ続けることになることを、男の脳ははじめて理解する。けれど手の施しようはない。そんなSF物語を、この水槽の脳という画像を見たときに思い出した。


バトナムに話しを戻すと、特殊な培養液に浸された脳の神経細胞をコンピュータに繋ぐことによって、仮想現実が構築されることになる。

テキストから動画を生成するAIモデル「Sora」が公開されて話題を呼んでいるが、AIモデルが物理的な世界での動きを理解し、シミュレーションできるようになるならば、脳から直接つながった仮想現実が細部にいたるまで構築されることになるかもしれない。


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