大学教員への道(1):そもそも論
大学は斜陽産業
大学業界ははっきり言って斜陽産業です。子どもの数は減っているにも関わらず,大学自体は増えています。一方で,定員割れしている大学は半分と言われています。リクルート進学総研によると,2004年における私立大学の定員割れは20%程度であったことに対して,毎年上下しつつも2023年には40%を超える割合に増加しています。さらに,18歳人口の減少にともなって大学入学者も減少し,定員割れをする大学は増えるだけでなく,経営破綻や募集停止などを行う大学も増えてくることが予想されます。
今後,定員割れ大学や経営破綻する大学が増えてくると考えると,大学教員のポストも少なくってくることが予想されます。現状であっても大学教員のポストは非常に狭き門となっています。
文部科学省の報告によると,2018年における博士課程修了者のうち,大学教員として就職したのは15.6%となっています。民間企業や公的機関などの研究職としては35.6%と倍以上の割合となっていますが,残りの48.8%の人はポスドクや臨床医,進学,その他となっています。そのうち,任期なしのポストに就く割合は文系で3.7%,理系で2.5%と推定されています(津田,2015)。
以上のことから,現在も今後も大学教員になることは容易ではないと言えそうです。
大学院生の時からイバラの道
上記のように,大学はすでに斜陽産業化していることに加えて,大学院に進学することを「入院」すると言われることがあるように,大学院生活自体もなかなか大変です。私が大学院生だった頃からも,大学教員を目指しているわけではないにも関わらずドロップアウトした同期が何人もいました。また,博士課程になるとその割合はかなり増えていたように記憶しています(だから同期も先輩もほぼいなかった)。
その中には研究室や指導教員との関係が悪かった場合も含まれていますが,ドロップアウトした人が全員指導教員との関係が悪かったわけではありません。就労への不安や学術的成果を出すことへのプレッシャーをみんなが感じていたように思います。
実際,著名な国際科学雑誌であるNatureに掲載されている下記の記事でも,大学院生はメンタルヘルスが悪化しやすいことが報告されています。
上記の記事はスウェーデンの大学院生を対象とした調査結果であり,大学院生は一般の人々と比べると不安やうつのレベルが高いことが報告されています。また,学術領域によって不安やうつのレベルの違いもあることが示唆されており,自然科学系>人文科学系>医学系の順でメンタルヘルスの状態が悪そうです。このような状況は日本でも同じようなことかもしれません。
同じNatureで,2018年にも類似した報告がなされていますが,ここでも大学院生は不安・抑うつ状態に陥るのが一般の人と比べると6倍以上高いことが報告されています。
これらの報告からも,大学院生として生活していくこと自体にもかなりの苦労が伴いそうです。
このような状況の中ででも,あなたはなぜ大学教員になりたいのか,ということを自身に問いかける必要があると思います。そしてこの問いはあなたのこれからの人生を左右する大きな問いかけとなります。
あなたがやりたいことは大学教員にならなければできないことでしょうか?
あなたが手に入れたいものは大学教員でしか得られないものでしょうか?
私の場合
私個人の話をしておきましょう。
私自身は実のところ大学教員にどうしてもなりたかったわけでも,研究者になりたかったわけでも教育者になりたかったわけでもありません。また,大学院博士課程に進んだ理由も研究者になりたかったからでも研究が楽しかったからでもありません。
大学院に進学した理由は,修士を出ても希望するような就職口がなかったということと,仮に就職したとしても膨大に膨れ上がった奨学金を返済しながら生活するのは苦しいだろうと考えたからです(修士の時点で学部と修士の学生支援機構分+学部の入学金・授業料のために社会福祉協議会から借りた生活福祉資金があり,現在も返済中。なお,大学教員になったら返済免除という制度は私が大学教員になる直前に無くなりました…)。
また,博士課程に進めば奨学金(借金)返済を延期することができるだろうという学術的動機とはかけ離れた理由で進学しました。さらに,博士課程でもう一度奨学金を借りたとしても,「博士を持っていれば奨学金返済も負担にならない程度のそこそこ良い給料をもらえるところに勤められるんじゃね?」というあまりにも安易な発想も後押ししました。残念なことに,後述するように私の周囲にはそんな私の甘い考えを指摘してくれる先輩など一人もいませんでした(そもそも先輩もほぼおらず同期もいなかった)。
そんな動機を持ちながら博士課程に進み,(いやいや)血と涙を流しながら博士論文を作成していたわけですが,同時に民間or公務員就職も探していました。博士課程に進学する前は,博士号を持っていれば修士よりも待遇が良かったり給料もいいだろうし,どこかいいところが拾ってくれるだろうと思っていましたが,修士の頃と同じように自分が希望するような就職先はなく,さらに博士課程での奨学金(借金)も膨れ上がっておりかなり精神的に追い詰められる状況になっていました。
博士課程では自分の専門に関する非常勤のバイトに精を出していたので,ほとんど大学に行くことはなく,ただでさえ少ない大学院の同期や先輩後輩との付き合いはほとんどなく,当時はポスドクや学振というポストがあるということすら知らない超情弱大学院生でした。
D3で民間での就職には希望する条件と職種がないだろうと悟った私は,あとは大学教員に応募するしかない,ということで公募が出ていた専門が一致しそうな大学に片っ端から応募しました。もちろん,公募書類の書き方を教えてくれる人など周囲にはいないため,すべて自己流でした。その中から私が非常勤で行っていた仕事を評価してくださった大学から採用のお知らせがあり,無事に社会人になることができました。
つまり,私が大学教員になった理由は「なりゆき」です。そして,大学教員になれたのは,ほぼ「運」だと思っています
そんな私ですが,研究や教育が嫌いというわけではなく,どちらかといえば好きな方です。また,一般企業に勤めたことがないので比較できないですが,服装もある程度自由で個室の研究室や個人研究費があり,会議以外は自分の裁量で仕事ができるのでかなり気に入っています。授業構成や方法も自分なりの方法で工夫する自由度があります。給料が良いのかと言われると,学歴に対してそれほど良いとは言えないかもしれませんが,少なすぎて困るというわけではないですし,自由な時間も多く,制限付きではありますが兼業も可能ですから満足しています。ですから,今の私が大学教員になった理由を尋ねられたときには「なりゆき」であったとしか答えられません。ですが,比較的安定した収入を得ながらある程度自由になる時間を確保しつつ,自分が関心のあることを教えたり追求することができる環境として大学は最適な場所だと感じており,それは他の場所では置き換えられないものだとも思っています。
あなたが大学教員になりたいのはなぜ?
とはいえ,日本には様々な大学があります。国立,公立,私立で給料や待遇も異なります。授業の負担数も大学によって大きなばらつきがあります。あなたが思い描いているような研究環境や教育環境は採用された大学では手に入れられないかもしれません。場合によっては,研究施設や民間企業の研究職の方があなたのニーズに合っていることもあるかもしれません。聞いた話ですが,大学教員になったのに車で送迎をやらされたり,夜の見回りをやったりという,大学教員の専門性とは全く関係のない業務があることや,学生対応や授業の持ちコマ数が多すぎて研究ができないという話を耳にしたこともあります。さらに,研究費もほとんどなく,教育研究は科研を取らなければ基本的には自腹を切らなければならないという話も聞きます。
幸いなことに私はそうした経験は少ししかありませんが,もし自分がそういった環境に居続けなければならないとなったときには,転職を考えていたでしょう。
あなたのやりたいことがどんなものであれ,それには優先順位があると思います。その優先順位を明確にした上でどの大学に応募するのか,あるいは大学以外の道を探るのかをまずは考えてみることが必要でしょう。
自分が大切にしたいことの優先順位をどの程度大学で満たすことができそうなのかは,採用されてみないことには正確なことは分かりませんが,ある程度予想することは可能です。その情報をもとに応募する大学の候補を考えつつ,同時に自分の優先順位を妥協するのかどうするのかを考えていくことになります。
それらを踏まえた上で,やはり大学教員になりたいということであれば準備をしましょう。
まずは公募戦線に参戦する前に準備を整えましょう。それはつまるところ博士号の取得を含む業績を作るということと,それをアピールする場を設けるということです。ではどうするのか,ということは次回以降に書いていきたいと思います。
この「大学教員への道」シリーズでは,大学教員になりたいと思っている人に向けた記事を書いていきます。基本的には私の個人的経験や見聞きしたことからしか書けませんが,公募書類の書き方や公募面接で私がやってきたことなどを書いていこうかと思っています。