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小説:酒場の庄ちゃんはサンタを信じる

導入…

 クリスマスイブの夜、妻と喧嘩をした「私」は居酒屋に逃げ込み、店主の庄ちゃんに愚痴を漏らす。「私」が家族の話をして欲しいと言うと、庄ちゃんは昔話として「サンタを信じている」と語り出す……。

酒場の庄ちゃんはサンタを信じる

 長らく愛していた居酒屋が堕落してしまった。

 以前は串もの、モツ煮、刺身、揚げ物、肉料理、そして各地の地酒のラインナップが豊富な店で、友人とも足繁く通ったものだった。日本酒は私も好きではあるのだが、いつの頃からか酒は日本酒オンリー、ビールさえなくなり、焼き鳥もモツ煮もなくなり、巻き卵くらいしかまともに腹にたまる料理がなくなった。他には小さなシシャモ程度の焼き物しかない。店主が変わったわけではない、おそらく回転率と利益率を優先したのだろう。けれど、私はもう行かないことを決意したので、回転するための人間はひとり減った。店主の押しが強くとも商売が繁盛すればいいだろうが、私が訪れることはもうない。
 かつての居酒屋が華々しかっただけに、落胆は大きかった。
 それからはげんなりした気持ちで会社からの帰路を歩いたものだった。
 しばらくした日、それは十二月の木枯らしが身に染みるような日だったが、強い風に顔を背けた私の目は偶然、商店街の路地の奥にいった。そこには小さな看板が出ていて、控えめに焼き鳥の提灯もぶら下がっていた。
 ――焼き鳥、しばらく食ってないな。
 漂う煙がこちらまで匂いを届けてくる。それを感じると、自然と熱燗を手にくいっとやっている自分の姿が思い浮かんできた。耐える耐えないどころか、ほとんど考えることもなく、私の足は煙の染みた暖簾を押し上げていた。夜の薄暗さから店へ入ると、やたらと明るい光に目がくらんだ。賑やかな店だった。店はカウンター六人、それと二人がけの小さなテーブルがひとつだけの狭いものだった。小さなテレビが壁の上の方に設置され、NHKのニュースを流していた。客の何人かがそれを見て、小さな国会を開いて議論をしていた。
 寒い風が流れないようすぐに戸を閉めた。すでに店は客で満ちていた。何とか席はひとつ空いてはあるのだが、そこへ潜り込むにはいくらか勇気が必要だった。二組の客の合間だった。その上、そこまでは仕事鞄をバンザイして持ち上げて通らなければならなかった。しかし、ここまで来たので尻尾を巻いて逃げるのも恥ずかしい。その席に入り、私は熱燗とモモと砂肝を一本ずつ頼んだ。あまり飲み食いをしすぎてはいけなかった、飲んで帰らないと思っている妻がお冠になってしまうからだった。
 串の肉をひとつずつ味わって食べ、合間に酒を口にした。塩気がやや強いが、肉は焼きすぎて焦げることももなく、かといって半生であることもなくいい焼き加減だった。
 となりでは常連らしき男たちが「そう思うだろ、庄ちゃん!」とたまに大将に同意を求めながらわいわいやっている。大将の方は渋い笑みを浮かべて小さく頷くばかりで、寡黙にやっていた。大将は見たところ感じのいい男だった。客の会話に自分から入ることはなく、手が空くとカウンターの端の丸椅子に座り、たばこを吸っていた。常連たちであふれる空気に初めこそ畏まってしまったものの、全体に親しみやすい感じの店で、それからよく通うようになった。店主の庄ちゃんにも、いつの間にか顔を覚えられたようだった。

 それからしばらくし、イブとクリスマスが土日に重なって町が賑やかな夜のこと、私は妻と家でつまらないけんかをし、財布を持って外へ飛び出した。けれど、私は失態を演じた。妻とけんかをしたことではない。あまりに頭にきていたためにコートしか羽織っていなかったのだ。マフラーと手袋をしないと寒風とちらつく雪は堪える年末だというのに。
 心配した妻が後ろから追いかけてくる気配は……なかった。
「ええい、どうとでもなってしまえ!」
 誰に向かっていうともなく独り言ちて、雪を受け頭を濡らしながら駅前へと向かった。クリスマスの夜だもの、いくら夜遅くとはいってもどこかしらの店は開いているだろうと思った。とは算段はつけたものの、寒さの中を走りながらこころではしっかり庄ちゃんの店に決めていた。焼き鳥の数本で口を手名付け、熱燗で芯まで冷える身体を温めたかった。
 果たして店は開いていた。
 しめたと思い、私は店の戸をガラガラと引いた。庄ちゃんはカウンターの席の方にいて、テレビもつけずに新聞を読んでいた。戸が開いたのに気づいた庄ちゃんは手元に落としていた視線を上げると、小さな微笑みを浮かべて「らっしゃい」と静かに応えてくれた。
 庄ちゃんはカウンターの裏に戻り、私の注文を聞いて串を三本焼きながら、サービスの御新香を出してくれた。
「ありがたい。クリスマスにも店を開けているんですね」
「そりゃあ、あんたみたいな人がいてくれるからさ」
 庄ちゃんは炭火の上で串を回しながら答えた。
「どうしても来たくなってしまったんですよ……」
 庄ちゃんは軽く頷くばかりだった。
 それから私は串三本を手元に、熱燗二本、次に焼酎と飲んでいった。二人きりの店で、私は庄ちゃんと少しばかり、ぽつりぽつりと話をした。
「クリスマスに仕事をしていて家族に文句を言われたりしないんですか」
「今はもう独り身だからな、誰も文句は言わん。それより、こうやってお客さんがカウンターに座るのを見る方が性に合ってるよ」
「寂しいもの同士だね」
 私はくっと杯を空けて、ほんのりした塩気のキュウリをぽりっといった。
 しばらく私は寡黙にやった。庄ちゃんは私の飲み方をよく見ていて、先回りして燗をつけてくれた。そして庄ちゃんはカウンターの向こうから手を伸ばして酒を注いでくれた。私は頭を下げて受けながら、いくつも杯を空けていった。
 けれど、私の様子を見かねたのだろう。「もうよしな、悪い酒だ」と最後には止めたられ。
 この時間も終わりか、と逃げていた現実に引き戻された。ああ、もうこの店を出なければならない、だがいつまでも帰らないわけにもいかない。妻にはなんと言ったらいいのか。謝るにしても、なんと言っていいのか思い浮かばない。
 私の心が溢れ始めた。そしてつい、庄ちゃんに打ち明けてしまった。
「さっき、妻とけんかして出てきちゃってさ。クリスマスだっていうのに」
 庄ちゃんは静かに頷いた。
「そうですかい、お父さんのところにサンタが来なくなったらいけないね。それじゃあなおさら、早めに帰らないと」
 けれど、私はそれには答えなかった。
「ねえ、庄ちゃん。庄ちゃんの家族のこと聞かせてくれないか」
 庄ちゃんは目を閉じ、ふっと小さく笑い、「しょうがないな」と言った。
「聞かせるから、その一杯でやめときなよ」
 私が頷くと庄ちゃんは語り出した。
 庄ちゃんは「サンタはいると思っている」と言った。

  ***

 私がまだ会社員だったとき、こことは違う町に住んでいた。その町は山にあって、そこの中腹に家を構えていた。町中からは離れている山中の一軒家だった。物件がよい割に安かったけれど、交通の便はいささか悪い。けれど、安定した気候の町で、夏もそこそこ穏やか、冬も雪は降らないというので、安心して暮らせた。そこで妻と息子と三人で楽しく過ごしていた。
 あれは確か息子が十歳くらいのとき、妻が家や庭をイルミネーションで飾ることを覚え始めた。一年目は玄関のドアに電飾リース、その横にスノーマンを飾っていた。クリスマスのささやかな演出に私も息子もにんまりしたものだった。
 二年目になると、妻は家の玄関だけでなく、少し離れた山の国道から家までの道路にもスノーマンやノームの人形を飾り始めた。家の玄関も賑やかになり、刈り込んだ庭木にもロープ状の電飾がぶら下げられた。労力をかけた妻が「どう、きれいでしょう!」と満面の笑みで言うのだから、私はそれを微笑ましく見守っていた。
 三年目、妻がついに本気になった。玄関から国道まではコースに手すりの柵を立て電飾を垂らし、人形を各所に配置した。玄関のドアどころではない。家の外壁すべて、そして屋根までも光で覆われた。庭にはバラを巻き付けるようなアーチを立て造形を駆使した。その装飾が生む夜の光といえば、下界の町からでもはっきりと見えるものだった。妻は家族や道行く人を楽しませるだけでなく、ついに町中の人に楽しんでもらえることを考えたのだ。そして屋根の装飾には私がかり出されて、そのすべての作業をひとりでこなした。高いところは誰だって怖いもので、命綱もなしに屋根にコードを引っかけていく作業は私がそれまでした仕事のなかでも相当に重労働だった。
 それでも私は、妻のことをとがめたりしなかった。冬が近づくとそわそわ、うきうきとしてくる妻を見ていると私もうれしかったからだ。息子もその年のイルミネーションには感激したらしく、友達に「山のきれいな家はうちだ」と自慢しているようだった。
 そんな風に十一月も頭になったくらいからクリスマスを待ち遠しくしていて、一月ほど前の月末に飾りをする。町中がクリスマスに染まっていくのに合わせて我が家の輝きも増していく気がして、私もうれしかった。
 そんな風にして、その年のクリスマスもやってきた。
 そして彼が来たのはイヴの夜のことだった。
 妻が手料理を作るのが習慣だった我が家では、朝から妻がディナーの支度に取りかかる。ターキーにスパイスを仕込んだり、パイ生地を練ったり、スープを作ったりとなかなか忙しくやっている。私の方はといえば、早めに受取時間をお願いしたクリスマスケーキを取りに行くことになっている。
「さて、そろそろ」
 そう思い、車の鍵を手にしてガレージへ向かおうと靴を履き替えた。後ろから息子がついてきて、一緒に行きたいと言った。ケーキを取りに行くなんて楽しいイベントを見逃しなどしない、という顔をしていて、慌てながら靴を履いた。
 ところが家のドアを開けたときだった。外はだいぶ雪が降っていて、庭の土にも道路にも積もり始めていた。
「まさか、ここはほとんど降らないはずなのに」
 私は車を出すことはできないだろうと思った。ケーキを取りに行くのが難しいと思ったが、息子は「ケーキケーキ!」と状況を見ずに声を上げるし、私としてもケーキのないクリスマスはあり得ないと思っていた。
 念のためにとスタッドレスタイヤは持っていたけれど、正直気が乗らなかった。交換するとなれば自分でしなければならない。すべきときは今であって、下のスタンドなどに持って行くことはできない。自分の手で履き替えることに肩を落としながら、車載されている頼りないパンタグラフのジャッキを回した。
 タイヤを一本取り替えたとき、その様子を見ていた息子は面白がって自分もやりたいと言ってきた。
「これは大人の仕事だからダメだ」
 一本目の交換で苦戦していた私は、少々いらだっていた。そして、だだをこねる息子に、つい強く当たってしまった。そうしたら、今度は息子が泣きじゃくってしまった。ああ、厄介だとこれには私も辟易した。しかし、どうしてもタイヤを子供にいじらせるなんてしたくなかったし、時間もなかった。
「今日は忙しいから、また今度な。お母さんの車でやろうな」
 スタンドでやってもらうつもりなのでその気はなかったけれど、そういって誤魔化そうとした。けれど、それでも息子は泣き止んでくれない。「じゃあ、スーパーに行って何かお菓子を買ってあげるから、な」
 と、そう言うと、息子は顔を覆っていた手を離して、にやりと笑顔を見せた。嘘泣きだったかと思ったけれど、タイヤの交換もあるのでこれ以上は相手もできず、とにかく急いでタイヤの交換を片付けて町へ出た。そしてケーキとは別に、妻には内緒のお菓子を買って帰った。
 夕方、私たちは息子へのお菓子とは別に「みんなで」と用意していたスナック菓子を食べながら、プレゼントに買ったゲーム機でみんなで遊んでいた。
 クリスマスプレゼントはとうに開けられていた。私としては、翌日の朝に子供がわくわくして目覚めて、プレゼントボックスを見つけて歓声を上げるのを期待していたのだが。包装紙をビリビリ破いていく姿を見たいと思っていたのに、その年からは「サンタはもういい!」と言って、隠していた場所からさっさと持ってきてしまった。寂しいとは思ったけれど、妻も「まあ、いいじゃない」と言うので、やれやれと思いながら了承した。実際、家族みんなで遊ぶゲームはなかなか楽しかった。つい私も、息子と張り合って遊んでしまった。
 午後七時を過ぎたあたり、寒さのあまりに閉めたカーテンを少し開けてみると、なんと猛吹雪になっていた。
「もう車は出せないぞ。こんなに積もったら、あそこのカーブなんてとても曲がれない」
「このあたりは暖かいから、明日には止んで雪も溶けるでしょう」
 妻は楽観視して、息子も暗くさえなければ外に飛び出しそうな様子だったので、そうかもしれないと私も思うことにした。明日は家族で庭で雪遊びをしようと考えた。
 午後八時、ターキーが焼けてディナーを始めようという段になった。テーブルの上にはオーブンから出てきたばかりのまるまる太ったターキーが湯気を上げていて、焼き色と匂いが私たちの食欲をそそっていた。パイとサラダスパゲティ、コーンスープがそれぞれの位置に置かれた。みんなで座って、妻が「さあ、始めましょう」と言った。
 そのとき、ごうごうと音がし、部屋の中へ雪交じりの風が舞い込んできた。私たちがその方へ振り返ると、玄関にひとり、すこしばかり高齢のおじいさんが立っていた。
 おじいさんは古ぼけたジャケットを着ていて、顔は小さな眼鏡ともう少しで泥棒のあれになりそうなひげをしていた。雪に似合ったブーツを履いていて、ここらよりいくらか大げさな防寒着だとは思ったけれど、それでもこの吹雪では間に合っていないようだった。
「こんばんは、なんだな。吹雪で動けなくなってしまって、助けて欲しいんだな」
 妙な口調で話す初老の男に私たちは警戒した。普通ならば追い払うところだった。
(あなた、こんなわけのわからない人を入れちゃダメよ)
(確かにそうだ……けど、この天気で出て行けなんて言えるか?)
 私たちがひそひそと顔を合わせてテレパシーで話していると、それが通じない息子が先に老人に向かって「いいよ!」と言ってしまった。あっ、と思ったが、その言葉を否定して追い出すことはできなかった。
 頭や肩に雪の積もった老人はそれを払って玄関に入り、丁寧にブーツの紐をほどき、スリッパを履いて部屋に入ってきた。
「ぼく、やさしいんだな。お父さん、お母さんもありがとう、なんだな」
 成り行きで仕方なかったが、私はこの男を迎えることにした。
 クリスマスディナーのテーブルとは別に、テレビの前のソファーに老人を誘導した。老人は「どっこいしょ」と言って座った。
「あ、まだ名前を言ってなかったんだな。サボ太っていうんだな。サボ太のおじさんって呼んで欲しいんだな」
 ……さぼた? どんな字を書くんだろうと私は思ったが、それどころではない。これからの展開を私はわかっていた。
「やあ、いい家なんだな。外だけじゃなくて家の中にもツリーがあるなんて、しわせなんだな。クリスマスの料理の香りもいいんだな」
 私も妻ももう諦めていて、「よかったら、一緒にどうです?」と言うしなかった。
「ああ、悪いんだなあ。せっかくの家族のクリスマスに……。でも、御相伴に与るんだな」
 サボ太さんはすっと立ち上がって、テーブルの私の隣の席についた。
 やっとクリスマスのディナーが始まった。まずはターキーにナイフを入れるのが我が家のしきたりだった。妻がターキーの皿を前にして、ナイフを入れようとした。
「ちょ、ちょっと待つんだな」
 私たちはどうしたのかとサボ太さんを見た。
「ターキーを切り分けるのは一家の主の仕事なんだな、お父さんに切らせてあげるんだな」
 そういう考えもあるのか、と私は思った。
「いいんですよ、お父さんはナイフが苦手ですから」
 妻は私の包丁さばきなど知らないのにそう答えた。私はちょっとむっとしたけれど、客人の前で言い争うのはみっともないので黙った。
「そうなんだな、それは仕方ないんだな」
 それからしばらく、ディナーは穏やかに過ぎていった。息子の学校での話を聞いたり、妻のイルミネーションの話をしたり。サボ太さんが来たときにはどうなることかと思ったが、むしろ例年以上に盛り上がったと言えた。
 サボ太さんについてもどんな人物なのかと聞いてみたけれど、あまり答えてはもらえなかった。「昔は配達業をしていた」とか「ここのクリスマスツリーがきれいでつい見たくなって今日は近くまで来た」とか、その程度だった。
 料理がいささか不足したことは否めないが、私の分を息子に分けてやったので食べ物を巡る不和は起こらなかった。
 それに、サボ太さんにはお酒を勧めていて、ケーキを食べる前に眠くさせてソファーへと移動してもらった。サボ太さんはスウスウ寝息を立ててすぐに眠った。ケーキは死守され、私の分が減ることもなかった。
「なんだか、どこかしらズレた人で心配。やっぱり入れるべきじゃなかったんじゃ……」
 サボ太さんが眠るのを怪訝な目で見ながら、食後の紅茶を楽しんでいた私たちは語った。
「今さらだよ、まあ今夜は私が朝まで見ているから」
「当然。その上で何かあったら必ず警察を呼びましょう、絶対に」
 妻は釘を刺したけれど。私はサボ太さんのことを憎めない人だと思っていた。何だかんだとあるものの、気分を害する人ではなく、相づちがうまくつい心を許してしまう人だった。
 私たち家族が寝る準備をする時間になった。
 妻に言ったとおり、サボ太さんを三人掛けのソファーにそのまま寝かせ、私もそばに座って寝ることになった。サボ太さんと私用に毛布を引っ張り出してきた。サボ太さんはまだ眠ったままで、いい人とは思いながらも、やはり同じ部屋で一晩過ごすのはちょっといやだとは思っていた。
 私も眠ろうと毛布にくるまろうかと思ったとき、サボ太さんが目を覚ました。サボ太さんはすこしばかりもぞもぞした後、あくびをしながら身を起こした。
「ああ、寝ちゃってたんだな」
「どうぞ、ゆっくり眠ってください。ここまで来るのも大変だったでしょう」
「あの雪でこの時間だとしたら、車はもう埋もれてると思うんだな。明日はなんとかして下山するんだな。心配してもらって、うれしいんだな」
 それから「それにしても、いい家なんだな」と付け加えた。
「外のイルミネーションはとってもすごかったんだな。積もった雪のなかでもあちこちがキラキラ輝いているんだな。おかげでここまで来られたんだな」
「あれは私が取り付けたんですよ」
「それはすごいんだな、あの角においてあるツリーもすごいんだな」
 サボ太さんは毛布をおいて立ち上がり、カーテンのそばに置かれた室内ツリーに向かった。消された電飾のスイッチを入れ、暗がりのなかで静かにきらめく様子を眺めていた。
「本物のモミの木、なんだな。これを用意する家はそうそうないんだな。息子さんへのプレゼントは今から置くのかな?」
 私はプレゼントはもう開けられてしまい、それで家族みんなで遊んだと伝えた。
「え、もう開けちゃった? それは……よくないんだな」
「仕方ないですよ、もう子供もサンタクロースを信じる年じゃないですし」
 サボ太さんはツリーを見ながら、急に寂しい目をした。電飾のスイッチを切り、ソファーに戻ってきた。
「お父さんは、まるでこの家の大臣なんだな」
「はは、そんなことはないですよ。私が総理大臣だとしても、財務大臣に頭が上がらないダメ総理です」
 サボ太さんは静かに首を振った。
「そうじゃないんだな。お父さんは娯楽担当大臣なんだな。屋根のイルミネーションもツリーの下のクリスマスプレゼントのことも、家族の中でのお父さんの役割は娯楽担当なんだな。もう、お父さんは昔のお父さんじゃないんだな。子供とは仲がいいけど権力とか威厳がない、子供のお友達になってしまったんだな」
 信頼していた人物から飛び出た言葉に私はショックを受けた。人を悪く言う人だとは思っていなかった。私はすぐに怒ることはできず、すがるように理解を求めた。
「サボ太さん、それはちょっと。私がだらしない大人みたいじゃないですか。そんなことありませんよ。今時、家族のために屋根に上ったりタイヤを自分で換えたりなんて、そうそうできることじゃないです」
「ああ、ごめんなさい……なんだな。別にお父さんを悪く言ってるわけじゃんないんだな。お父さんが努力してないとか、父親失格だとか、そういう話じゃないんだな。お父さんはよくやってると思うんだな、家族に愛されているのがわかるんだな。……それに、世界のたくさんのお父さんが同じような感じなんだな。どこの国でも、もうお父さんはアメリカ南部のお父さんみたいじゃないし、アメリカ南部のお父さんだって最近は違うんだな」
「サボ太さん、外国に詳しいんですか?」
「言葉はわからないけど、以心伝心なんだな。……だから、お父さんが娯楽担当大臣でもそんなに悪いとは思わないんだな。ただ、子供になめられると後が大変だから、親子の関係とお友達みたいな遊びの関係は、きっちり分けた方がいいと思うんだな、急には難しいと思うけど、なんだな」
「サボ太さん、子供と仲がいいのがそんなに悪いことみたいに言わないでください」
「あんまり子供にいいようにされると子供が立派な大人になれないんだな。お父さんのことも心配だけど、子供も心配なんだな。お父さんはいい人だから、そのいい人ぶりをしっかり発揮して、子供の手本になって欲しいんだな。それで、子供にはいい子でいて欲しいし、元気に育って欲しいんだな。いい子にしてないと、サンタさんは靴下に石炭を入れなきゃならなくなるんだな」
 私はなんとか反論しようと思ったけれど、それからすぐ、サボ太さんがまた寝ると言ったのでそこで終わらざるを得なかった。
「ちょっと話しすぎたんだな。お父さん、ごめんなさいなんだな。でも、お子さんもお父さんもいい子だから、きっとサンタさんは来てくれるんだな。サンタさんはいつも見てるんだな」
 サボ太さんはすぐに寝息を立てて夢の世界へ行ったようだった。
 私の方はサボ太さんから言われた家族や子供との関係について考えなければならず、なかなか寝付けない時間が続いた。ぐっすり眠る毛布の中のサボ太さんを見ながら、時計の針が午前三時を指すところまで覚えていた。
 数時間後、私は妻にたたき起こされた。
 サボ太さんがいないというのだ。
「どこかにいるだろう、この雪だし、まだ遠くにはいけないよ」
 寝不足でしばしばする目を何度もこすった。
「それがね、あなた、雪がないのよ」
 妻が言う意味がわからなかったが、やっと開いた目をカーテンの開けられた外に向けると、確かに雪はほとんどなかった。残っていた雪は昨日の昼に降った程度のもので、あの猛吹雪の痕跡はどこにもなかった。
 いったいどうなっているのかと思った。そして何より、サボ太さんがいないことが気がかりだった。サボ太さんは本当に泥棒か何かだったのだろうか? 妻は慌てて家中の引き出しを開けては中のものがなくなっていないか調べていた。けれど、どうもなくなったものはないようだった。
「ということは、雪がないから帰ったんだろう」
「そうかしら、そもそも雪がないのもあれだし……。何がなんだかわからないわ!」
 そのとき、私はクリスマスツリーの下にプレゼントボックスが三つ置いてあるのに気づいた。そんなものをおいた覚えはなかった。手に取ると箱にはカードが差し込まれていて、それぞれに三人の名前が書かれていた。よくわからないまま、私はふたりに「きみたちのだよ」とプレゼントを手渡した。
 妻には以前から欲しがっていた化粧品、息子にはつい数日前に話題にしたラジオの工作キットが入っていた。
「こんなプレゼントを隠していたのね、あなたってば」
 なぜか私からということになってしまったが、私はそれでいいことにした。妻と息子の喜びようと言ったら、数年は見たことのないものだったからだ。
 ふたりのもらったプレゼントに、私も自分の箱の中に期待した。何が入っているのかと、リボンを解いてみた。中から一枚、クリスマスカードが出てきただけだった。
『お父さん、がんばるんだな。メリークリスマス』
 妻は私に「よく私が欲しいって言った銘柄を覚えていたわね」と言い、息子は「作り方を教えてよ」と言った。
 サボ太さんからの贈り物のおかげで、娯楽担当大臣とサボ太さんは私を呼んだ意味がわかった気がした。ゲーム機を買って与えることは誰にだってできる、お金さえあればできる。けれど、半田を使う作業は安全面でも技術面でも子供には簡単ではなく、年長者として教えることができる。
 だが、同時にこれまでの自分の父親としての態度も間違った姿ではないと思った。教えるにしても遊ぶにしても、一緒に楽しむ現代の父親スタイルは悪くない。だから、サボ太さんには悪いけれど、私は現代の父親として、娯楽担当大臣の責務を全うしよう、そう思った。

  ***

 話しているうち、庄ちゃんは自分でも酒をグラスに注いですこしばかりやっていた。上を向き、空白を見て、ときどき思いを馳せるように目を閉じていた。
「……と、いうようなことがあった。信じてないね? 本当のことさ。あれから何年たったか、妻が突然死んじまって息子を大学にやるのが精一杯になって、息子を卒業させてやったら急に疲れが出ちまった。忙しい会社勤めはやめて、いくらか今は気楽にやってるわけだ」
「でも、そんな不思議な話が……」
 庄ちゃんはカウンターの上を何度か布巾で往復しながら「まあ、信じられなくても仕方ないか」と言った。
「だがね、お客さんはどう思う? 娯楽担当大臣。給料袋じゃなくて振り込みになった頃から父親の威厳がおかしくなった、なんて言うけど、私は娯楽担当だっていいと思う。みんなが仲良くやっていけるなら、いいじゃないか。今のお父さんは家じゃそういう役割しかないんだよ。猟銃を持って家族を守るでもなく、何かで圧倒的な「父」の存在感を示すでもなく。何かしたところで、女のほうがいつの時代も強いんだものな。だからの娯楽担当大臣。サボ太さんだって、娯楽担当大臣の父親たちを嘆いていたとは思わない。あくまで、なめられないように気をつけなさいってだけ。新しい男親の姿じゃないかな。俺はそう思ってるよ」
 私は呻り、とっくに空になっていたグラスの傾けた。もちろん、口にはなにも入ってこない。それを見た庄ちゃんは私のグラスをさっと取り上げた。
「別にお客さんがした奥さんとのけんかには関係ないよ。ただの思い出話さ。……そろそろ閉めるか」
「庄ちゃんは、サンタクロースはいると思ってるんだね?」
「ああ、いると思う。もし実際に会うとすれば、きっと憎めないやつだと思うだろうさ。……お客さんも早く帰った方がいい。いい子にしてないといけない。でないと、せっかくのクリスマスに場末の酒場でひとり寂しく飲んでるだけになっちまう。サンタクロースは来てくれない」
「そうだね……実は私がしたけんかも息子のことで」
 言いかけたけれど、庄ちゃんは「悪いね」と遮った。
「その話はまた今度聞かせてくれよ。始めから終わりまで、全部の顛末をさ」
 庄ちゃんはぴらりと伝票を出した。
 確かに、ここで語ったところで私の問題は解決しなかった。今しなければならないのは、家に帰り、妻と息子に顔を合わせることだ。しかし、すでにイブは残り十五分ほどになっていた。
 戸を開けて外に出ると雪雲は去り、冬の青く澄んだ夜空が広がっていた。
 クリスマスイブの夜を家族と別々に過ごしたことを後悔しながら、私は帰宅の足を速めた。サンタクロースが来てくれるかどうかはギリギリだという気がしていた。(終)

文藝MAGAZINE文戯 21号「イルミネーション」掲載


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