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知識について

 知識を持つこと、それ自体に人の本質がある。知識とは既有の情報のことを指す。知識を通時的視点から二分すると、先天的知識と後天的知識とに分けられる。生まれながらにして持っている知識が先天的知識であり、生を受けた後に習得していく知識が後天的知識である。人は知識と共に生まれ、知識と共に生きている。このような知識との関係性は、他の生物と人という種を鮮明に区別する。

 人の精神と知識とは不可分な関係性の下に成立している。人の主体を精神と措定したとき、知識が精神に与える影響は少なくないといえる。知識が精神の状態を左右する重大な要素であることから、知識を人の精神という概念の内に包含することは自然なことである。しかし、知識が人間の精神の全てを構成するものだと捉えるのは、精神という曖昧で抽象的な概念に似つかわしくない不自然な考えである。知識は精神の部分であって、全体ではないと捉えることが誤解を抑えた知識と精神との関係性についての理解であると考える。

 少し具体的に知識を分類すると、先に述べた先天的知識には、種族的知識と血統的知識の二つに分類できる。前者は人間という種に共通して見られる普遍性の高い知識であり、後者はそれに対して比較的普遍性の低い、数世代にわたって受け継がれてきたような知識である。例えば、前者は呼吸や食事のような基本的な生命維持活動に関わる知識であり、後者は言語習得や発声方法などに関わるものである。前者は環境的因子を必要としないが、後者はそれを必要とする。いずれも次に述べる後天的知識とは異なり、無意識下で活用されている知識である。

 後天的な知識は、言語化できない感覚的知識と言語化可能な言語的知識に二分できる。言語という社会的な記号で抽象化された伝達可能な内容についての知識が言語的知識であり、言語化ができない繊細かつ個別具体的な知識が感覚的知識である。社会的というのは、社会のなかで共有されているという意味である。前者は観測が困難であるが、後者は観測が容易である。人の思考に関わる領域において、これほど容易に観測できるものはない。また、この言語的知識こそが、人を具体性という足枷からの解放を可能にし、巨大な社会や知識体系の形成を可能にしている。この言語的知識は人という生物を実に象徴的に体現している。

 言語的知識の基本的性質は、言語という社会的な記号によって抽象化された知識であるということである。言語的知識を含む後天的知識は可塑性が高く、別々に習得されたとしても同時に想起されることが増えれば結合し、一つの知識となる。言語的知識は、意識的な思考の素材である。言語的知識は抽象化されたものであり、それらを活用して思考することで抽象的な思考が可能となる。言語的知識は抽象的思考の素材であり、言語的知識は抽象的思考に先立つものである。他者との伝達と抽象的思考が、言語的知識が担う役割である。

 言語的知識によって精神的な疎通が可能である。精神の一部分である言語的知識は、言語を媒体として他者へ伝達される。言語を介してある精神が他者の精神へと影響を及ぼすこととなる。但し、言語というのは媒体の時点では単なる記号であり、言語によって個人の精神的実質を直接的に他者に伝達することは不可能である。そのため、言語による伝達は常に間接的である。言語的知識の伝達は、間接性という限界を抱えているが、それでも精神間の疎通を可能にしているという事実は揺るがない。ある人が自身の言語的知識を基に紡いだ文章を読むことによって、その人の精神を部分的に理解し、自身の精神の一部として取り入れることが可能となる。

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