松尾芭蕉の俳句をスペイン語で読んでみたら正岡子規の言い分が少しわかった、、、かもしれない話
スペイン文学の勉強を進める中、松尾芭蕉の俳句のスペイン語翻訳版を手に入れたのですが、
読んでいろいろ考えこんでしまいました
Tanque antiguo Salta la rana Ruido de agua
が、「古池や蛙飛び込む水の音」なわけで、
翻訳するとまあこの通りなんですが、なんとまあ、面白味がぜんぶ消えてしまう、と言いますか。
もしかするとこの訳者が悪いのかもしれませんが、これをもってスペイン語圏に「これが日本の松尾芭蕉の名詩である」と紹介されているとするとヤダなー、とは率直に。
でも意外な発見もある
芭蕉の句をこうして外国語フィルターを通してみると、余計な詩情が消えて、意味だけが見えて来る。
そうすると、かの正岡子規が「芭蕉の句は理屈っぽくてつまらない!」と言っていた意味が、ちょっとわかる気がしたのです。
あー、コトバの選び方のカッコよさのおかげで見えていなかったけど、たしかに、
旅に病んで 夢は枯野を 駆け廻る
とか
やがて死ぬ けしきはみえず 蝉の声
とかは、
俳句というよりは、エッセイか随筆のテーマのような気もする。
このあたりが「俳句の本質は写生にあり!」とした正岡子規には「これは俳句じゃない!」と見えたのかもしれません。あー、外国語のフィルターのおかげで、正岡子規の言い分が少しわかった、、、かもしれない。
もちろん私は正岡子規と松尾芭蕉の言い分の成否を論じられるほど俳句に通じているわけではないので、これ以上は考察を進められませんが、
ひとつ、いえること
松尾芭蕉の句も正岡子規の句も、日本語で読むとずしんと染み入る。だから、どちらの作品も好き、ということ。
あ、もうひとつ、いえることがあった
松尾芭蕉の句も正岡子規の句も、外国語に訳した途端に実につまらなく見えるという驚き。たとえば以下は正岡子規を英語にしたらこんな感じという例。
spring day a long line of footprints on the sandy beach(砂浜に 足跡長き 春日かな)
なんとまあ詩情がすべて消えてつまらなくなってしまうことか!
でもこればかりは仕方ないことかもしれない。
俳句や和歌は、どうしても、外国語に翻訳不可能なもの、ということなのかもしれません。
まあそれをいうと、どこの国の詩も、本当は他国語には翻訳不可能、ということになるのだろうけど。。。
だとすると海外の詩を翻訳で読んできた私のこれまでの読書人生はいったい。。。
▼参考文献(芭蕉のスペイン語訳は以下から引用)
▼参考文献(子規の英語訳は以下から引用)
▼また、私は一年くらい前に、アツく子規についてnote上で語ったことがありました。こちらもちゃっかり参考リンクとして貼らせてください。
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