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SNS文章が巧くなりたければ正岡子規に学べ!

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2019年の夏休みの自主研究。正岡子規の『俳諧大要』から俳句・短歌上達の心得を引用し、それを現代のwebライティングのテクニックとして翻案してみよう、という試みです!
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SNS文章が巧くなりたければ正岡子規に学べ!【補論:正岡子規は日本語そのものの自立の為に戦っていた?!「母国語を守る」ということの意味】

過去五回に渡って正岡子規の俳句論をWeb文章論に翻案する試みをしてきましたが、今回は、そこで語りきれなかった補論となります。 正岡子規の『歌よみに与ふる書』の中に、以下のような印象深い箇所があります(※現代口語に直した上で、私なりに意訳しています)。 「和歌とは古今和歌集以来の伝統的な言い回しを守ることだ、そしてそれこそが日本語を守る道だ」という人もいるが、間違っている。それではまるで弓矢で西欧の近代軍と戦おうとしているようなものだ。そんなことをしていたらむしろ日本語は滅

SNS文章が巧くなりたければ正岡子規に学べ!(5(完))

前回に引き続き、正岡子規の『俳諧大要』を教科書に、俳句論をWebライティングの方法論に翻案する試みをやってみましょう。 五回目の今回は、このシリーズのいったんの最終回として、私自身も文章を書くときの参考にしている「理屈をやめよ!」という格言を取り上げたいと思います。ところがこの格言、実践はかなり難しい! 実をいうと、「いったい正岡子規にとって、何が『理屈っぽい悪文』で、何が『理屈っぽくない名文』なの?」という問いに、私もまだ完璧な答えを見いだせていません。 ひょっとした

SNS文章が巧くなりたければ正岡子規に学べ!(4)

前回に続き、正岡子規の『俳諧大要』から俳句・短歌上達の心得を引用し、それを現代のwebライティングのテクニックとして翻案してみました! 『俳諧大要』には以下のようなパートがあります。私も好きな箇所です。 自ら著く進歩しつつあるが如く感じたる時 、あるいは何とはなけれどただ無闇に趣向の溢れ出るが如く感じたる時は 、その機を透かさず幾何にても出来るだけものし見るべし 。かかる時はたしかに一段落をなして進歩すべき時機にして 、仏教の大悟徹底 、基督教の降神とその趣を同じくし 、

SNS文章が巧くなりたければ正岡子規に学べ!(3)

前回に引き続き、正岡子規の『俳諧大要』の中から俳句・短歌上達のための心得を引用し、それを現代のwebライティングのテクニックとして参考にしてみましょう! 今回取り上げたいのは、以下の一文。 学生時にあるいは月並調を模し自ら新奇と称す 。これ彼れ自身には新奇なるものならん 。しかれどもその文学社会に陳腐なること久し 。無学笑ふに堪へたり 。 これを、現代口語に直した上で、かつwebライティングの心得に翻案すると、以下のようになりましょうか。 (斬新なネタというものはもち

SNS文章が巧くなりたければ正岡子規に学べ!(2)

前回に引き続き、正岡子規の『俳諧大要』から、SNS文章に応用できそうな考え方を引用してみました。 たとえば「よい俳句(文章)の基準とはなにか?」という問題に対する、以下の子規の主張(※例によって現代口語に直した上で、私なりに意訳しています) 文章の良し悪しの基準というものは自分の中で作っていくべきもの。せっかく書いた文章について、誰かが「悪い文章だ」と言ってきたとしても、自分のその時の基準に合わせて悪いと思えないなら、そのスタイルを変える必要はない。本当に悪い文章なら、長

SNS文章が巧くなりたければ正岡子規に学べ!(1)

昔の人との時宜を得た出会いというものが、あるようですね。 俳人正岡子規についてです。 この人については高校現代文の教科書にも出ていたし、司馬遼太郎の歴史小説にも出てくるので、とうぜん、知ってはいました。 けれどこの夏、何気なく彼の『歌よみに与ふる書』や『墨汁一滴』などを買って読んでみたら、めちゃくちゃ開眼させられました。 これらは俳句論や和歌論の形を借りた、ライティング指南書ではないでしょうか!?少なくとも私の目にはそう見えた。 特に感銘を受けたのは、三冊目として読