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【古代中世言語をやっている人ゆえのつぶやき】スポーツの扱いを間違ったせいで殺されかけた古代皇帝と、現代欧州サッカーへの違和感の話

そもそもFIFAやIOCの委員が欧州の王族や名家出身者で埋め尽くされている問題にも関わる欧州スポーツへの素朴な違和感につながる話。そりゃ私も男性なのでサッカーやオリンピックは好きですが、いろいろと考えさせられてしまう論点。

以下、古代よりスポーツの取り扱いというのは実に厄介な問題だったのだなと思い知らされた話です。

舞台は、古代中世好きとして無視できない興味の対象「ビザンチン帝国」、または東ローマ帝国。

その栄枯盛衰を扱った以下の著作に、面白い話が載っていました。「名君まであと一歩」だった男、皇帝ユスティニアヌスが滅びかけた大事件、「ニカの乱」の原因を巡る話です。

この事件は競馬場から始まりました

東ローマ帝国における競馬場というのは国家的スポーツの場。「パンとサーカス」の故事の通り、ローマ帝国以来の伝統として「民衆のストレスはスポーツを見せて発散させることが統治のコツ」とされてきましたから、こういうスポーツイベントはとても盛んでした。

特に東ローマ帝国における競馬場(戦車レースですね)は、青チーム緑チームというライバルチーム同士の対決が目玉。帝国市民も青チームのファンと緑チームのファンに分かれ、応援団どうしの喧嘩や、どちらかのファンが暴徒化することもしばしばあったとか。現代欧州サッカーのフーリガン問題と全く同じような話ですね。

で、皇帝ユスティニアヌスが、市民の人気を得ようとこのスポーツに介入し「青チームのファン」と公言して、いろいろと青チーム側を優遇するようなことをした。

皇帝自身がスポーツ観戦に参加することでの人身掌握策のつもりが、そのわりには青チームのファンが暴徒化したのを厳重に処罰したりしたので(統治者としては当たり前ですが)、ライバルの緑チームのファンだけでなく、肝心の青チームのファンからも「嘘つき皇帝!」と反発を買い、

青チームのファンと緑チームのファンが一緒になって暴徒化し、「反皇帝」の大暴動になってしまったのが「ニカの乱」ということです。

「パンとサーカスを与えていれば民衆は統治できる」などという単純な考えが通じなくなったという意味でも象徴的な事件ですが、

「人気のスポーツ」などというものを甘く扱うと民衆のエネルギーがとんでないことになりかねない、という話でもあります。スポーツというのは扱いが厄介です。

ともあれ「パンとサーカス」などという統治方法が歴史上発生しなかった日本では、このような「スポーツがきっかけの内乱」というのも、現代のフーリガン問題もいまいちピンとこないことも正直あり、「やはり欧州と日本ではそもそも『スポーツ』の意味というのが何だか違うようだ」というのが、つくづく感じられる話でもあります。

ぶっちゃけ、私の目から見て、欧州スポーツはなんだか本気すぎて怖いところがあります。ここにローマ以来の「パンとサーカス」の伝統が絡み合っていると仮定すると、ううむ。やっぱりなんか怖いものを感じるなあ、、、。

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!