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大学時代の私の秘密本棚からバタイユ4冊が出てきて懐かしくなった&「当時の自分すでにアブなかったのかw」と笑みが漏れてしもうた話

皆さんこんにちは。noteでイラスト入りの夢日記をやっているヤシロと申します。

もともと私は、夢日記の他にも、

幻想文学とか、神秘思想とかの話をnoteによく載せる人ではあるのですが、、、

いやいやいや今日は自分で少しビックリしたことがありましたよ、というのも、

私の実家には大学生の時に使っていた本棚付き机が残っているのですが、老いた父から「片付けて」と言われて本日、

久々にその勉強机脇の本棚を開けたら、これが出てきた↓

現代思想通な方なら「大学初年の少年がこの4冊に感化されてた」ってのがいかに狂ってるケースかお分かりかとw

そうですね、バタイユですね。

フランスにおけるニーチェの後継者と目される、1940-1950年代の特異な思想家ですね。いろんな意味で、ベリーデンジャラスな思想家です。ニーチェと同じか、もしかしたら、ニーチェ以上にバタイユはアブない人じゃなかろうか

そして、大学時代の私は、確かに、これらバタイユの主著(と、当時の私はこの4冊をみなしてた)を勉強机備え付けの、スライド戸が閉められる本棚に入れてたワケですね。

ガラス戸ではないので外からは見えない、しかし、勉強中に思いついたらパッと戸を開けてすぐに手に取れる、という便利な位置にこれらの本を入れていたワケですね。

しかし、大学初年度の私よ、、、君に言っておこう、、、

「ニーチェやバタイユを日々読んでる19歳の少年」って、

40代になった自分から振り返ると、「その19歳、狂ってる、怖い!」と一瞬思うけど、

でも、「ニーチェやバタイユを読んでるなんて人に見られたら恥ずかしい!!」と、あたかもえっちな本を扱うかのような場所に隠して読んでた点は、自分で言うのもなんだが、そんな19歳、少しかわいいぞw

それに、なんですかねえ、ニーチェやバタイユって、やはりこういうふうに、恥ずかしがりながらコッソリ読むものっていう19歳の私の感受性は当たってる気がしますけどね、、、「俺はニーチェを読んでいるんだぞドーン!」「俺はバタイユを読んでいるだぞドーン!」っていう人はあんまりいないですよね。「俺はカントを読んでいるんだぞドーン」「俺はプラトンを読んでいるんだぞドーン」「俺はマルクスを読んでいるんだぞドーン」はあり得るのに。もっとも、学生さんがマルクスを読むのは「危険思想」と周りから見られるプレッシャーがかかるかもしれませんが、

「マルクスはアブない思想だぞ」と怒られるのと「ニーチェやバタイユはアブない思想だぞ」と怒られるなどではぜんぜんベクトルが違いますしね。19歳のうちにマルクスのほうにイッちゃった学生さんってのは、何か過激な運動とかに入ったらどうしようって意味で「怖い」感じだけど、19歳のうちにニーチェバタイユにイッちゃった学生さんってのは、そのまま精神が壊れていっちゃったらどうしようって意味で「心配されちゃう」感じかな。

どちらにせよ、やはり、思想というのは恐ろしいですねー、、、ていうか、えーっ!先の本棚を見る限り、19歳の私は後者の事例のみごとな一人だったわけじゃないですかwそうか、、、ニーチェとかバタイユとか、、、うん、確かに読んでたw、、、のめり込んでたってわけじゃないけど、なんとなく、波長が合うような気がしてた、、、

スタンド使いはスタンド使いと引かれ合うように、、、

メンヘラ男子はこういう系統の思想家に19-20あたりで宿命的に引き寄せられることがあるとでも、いうのだろうかw、、、だが先ほどから「w」が乱発されていることが、私とニーチェ&バタイユの距離感を示している。そう!40代になった私が、「そうはいうても自分も精神面で成長したなあ」と思えるのは、ニーチェ&バタイユを語る時にちゃんと「w」を乱発できていることでしょう!

だって、、、率直に申し上げて、、、40代になった私がニーチェ&バタイユのことを、たとえば自分より若い人に説明しようとしたら、、、以下のような「w」だらけの言い方以外できないでしょう?

ニーチェとかバタイユとかwあーwそうね僕も若い頃に読んでたよwでもあれはやっぱりアブないよねーwでもなーんか文体によって奮い立たされるというか元気になるというかwあの人たちが書いた本ってそういうハイになれる薬物みたいなパワーがあるからw読書の力ってすげえなって思えるわけよw本読んでいるだけで昂揚したり永遠とか無限とか消尽とかが見えちゃうってのはwでもさあ

これですよ。

「アブない思想」と言われているものを読む時に大切なこと。

より厳密に言えば、「読んだ人を過激な政治運動に向かわせる…という意味でのアブない思想ではなく、端的に書かれている世界観・人間観・宇宙観が常識のレベルからぶっ飛んでいるのでアブない思想」を読む時は、いきなり飲み込まれないように、適度に便利な記号”w”を入れながら読んでいきましょう!

↑↑↑

というようなことを考えながら、ひさびさに、バタイユの無神学大全を読み始めたのですが、

なんてこった、やっぱり、この年齢で読んでもヤバ面白い、、、!

しかも、思うのです、ニーチェもバタイユも、「過去の権威など笑い飛ばせ」とか「ディオニュソス的陶酔の中に現れる哄笑」を語っているのだから、「笑」とか「草」とか「w」とかを入れながら読書していくのは彼らの構想にも適っているんじゃないですか?「我々の本は、いかめしい顔をして向き合うのではなく、軽やかに読んでほしいのだ!」みたいなスタンスですもの。現代のネットスラングまで軽くすることが適当かどうかは別かな?どうですかねえ?

いずれせよ、私もカッコをつけて文学思想などを語るタイプでもないと思いきや、noteの他の方の記事を見ると存外、ニーチェとかバタイユとかの話題が好きな人は多いように見え、、、素直に「今の年齢になってしまったら”w”を合間合間に入れつつ読むようにスレてしまったが、それでも、読むのが面白い思想家」としてのニーチェやバタイユについて、もっと積極的に語ってもいいのかもしれないとは思うた。。。「アブない思想家なので原著を読んでみたい方はくれぐれも自己責任で!」と強調を繰り返しながらとなりそうながら。

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子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!