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【読書録】『ブルシット・ジョブ』デヴィッド・グレーバー

今日ご紹介するのは、アメリカの人類学者であるデヴィッド・グレーバー氏の『ブルシット・ジョブ』(原書は2018年、日本語版は2020年。)。副題は、『クソどうでもいい仕事の理論』。日本語訳は、酒井隆史、芳賀達彦、森田和樹の3氏。

ブルシット("bullshit")は「牛の糞(クソ)」という、英語のスラングだ。このフレーズを使ったブルシット・ジョブ、というのは、あまりにも衝撃的な表現だ。「クソどうでもいい仕事」という副題にもあるように、「意味のない仕事」というニュアンスをよく表している。

以下、特に印象に残った箇所について、書き留めておく。

ブルシット・ジョブの定義

第1章「ブルシット・ジョブとはなにか?」において、たくさんの例に触れながら、ブルシット・ジョブの定義を徐々に明らかにしていく。以下が、著者のいう、ブルシット・ジョブの「最終的な実用的定義」だ。

ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。(p27-28)

なお、訳者あとがきには、この定義の英語の原文が掲載されている。

a bullshit job is a form of paid employment that is so completely pointless, unnecessary, or pernicious that even the employee cannot justify its existence even though, as part of the conditions of employment, the employee feels obliged to pretend that this is not the case. (p409)

原文で読むほうが、そのシニカルさが、より端的に伝わってきた。

ブルシット・ジョブの主要5類型

次に、第2章「どんな種類のブルシット・ジョブがあるのか?」においては、ブルシット・ジョブには5類型があり、それぞれについて、豊富な例を挙げている。

1.取り巻き(flunkies):だれかを偉そうにみせたり、だれかに偉そうな気分を味わわせるという、ただそれだけのために(あるいはそれを主な理由として)存在している仕事。(p50)
2.脅し屋(goons):その仕事が脅迫的な要素をもっている人間たち、だが決定的であるのは、その存在を他者の雇用に全面的に依存している人間たち。(p61)
3.尻ぬぐい(duct tapers):組織に欠陥が存在しているためにその仕事が存在しているにすぎない雇われ人。(p66)
4.書類穴埋め人(box tickers):ある組織が実際にはやっていないことをやっていると主張できるようにすることが主要ないし唯一の存在理由であるような被雇用者。(p72)
5.タスクマスター(taskmasters):第1類型として、もっぱら他人への仕事の割り当てだけからなる仕事。第2類型として、他者のなすべきブルシットをでっちあげる人びと。(p79)

仕事の社会的価値と報酬が反比例すること

第6章「なぜ、ひとつの社会としてのわたしたちは、無意味な雇用の増大に反対しないのか?」において、仕事の社会的価値と、仕事の対価は反比例する、という趣旨のくだりがあり、衝撃的だった。

…第一に、仕事をすることで得られる最も重要なものは、(1)生活のためのお金と、(2)世界に積極的な貢献をする機会であるということ。第二に、この二つには倒錯した関係性があるということ。すなわち、その労働が他社の助けとなり他者に便益を提供するものであればあるほど、そしてつくりだされる社会的価値が高ければ高いほど、おそらくそれに与えられる報酬はより少なくなるということ、である。(p271)
(…)少数の経済学者たちは、有用性(ユースフルネス)と報酬のあいだには反転した関係があることを立証してきた。(p275)
(...)おそらくこの状況にかんして最も悩ましいのは、きわめて多数の人びとがこの反比例した関係を認識しているばかりか、それが正しいと感じているようにみえる事実である。(p278)
...社会に便益(ベネフィット)をもたらすことを選んだ人びとや、とりわけ、みずからが社会に便益をもたらしている自覚をもつこと(※太字ママ、以下同じ)によろこびを感じる人びとには、中産階級なみの給与や有給休暇、充分な額の退職金を期待する権利はまったくない。さらに、自分は無意味で有害ですらある仕事をしているという認識に苛まれねばならぬ人々は、まさにその理由によって、より多くのお金を報酬として受け取って然るべきだという感覚もまた存在しているのである。(p280)
 (...)そもそも仕事ーより具体的には、支払い労働(ペイドワーク)ーは、それ自体で価値であるという想定がある(...)。(p281)
(...)仕事はますます目的達成のための手段ーつまり、なんらかの目的(前述したように、家族、政治、コミュニティ、文化、宗教といった経済的なもの以外の諸価値)の追求を可能にする資源や経験を獲得するための手段ーから、目的それ自体と考えられるようになった(…)しかし、それと同時に、ほとんどの人びとが、有害で自尊心を低落させ、不快でもあるとみているのが、この目的それ自体なのである。(p313)
(...)労働者はみずからの仕事を嫌悪しているがゆえに、尊厳と自尊心の感覚を得るということになる。(p314)

普遍的ベーシック・インカム構想

第7章「ブルシット・ジョブの政治的影響とはどのようなものか……」においては、普遍的ベーシックインカム構想に触れている。

ベーシックインカムの究極的な目的は、生活を労働から切り離すことにある。実施するあらゆる国で官僚制の規模の大幅な縮小が、すぐに効果としてもたらされるだろう。(p357)
…完全なベーシックインカムによるならば、万人に妥当(リーズナブル)な生活水準が提供され、賃金労働をおこなったりモノを売ったりしてさらなる富を追求するか、それとも自分の時間でなにか別のことをするか、それにかんしては個人の意志にゆだねられる。こうして、労働の強制は排除されるであろう。ひるがえって、それによってより好ましい財の配分方法が切り拓かれるかもしれない(…)。(p360)
忙しく働く人びとには、その仕事が完全に無益な仕事であったとしても、なにかほかのことに取り組むための十分な時間はない。少なくとも、これが現在の状況に対してなにも手をつけないことへのさらなる動機づけ(インセンティブ)である。(p363)
(...)経済のおよそ半分がブルシットから構成されているか、あるいは、ブルシットをサポートするために存在しているのである。(...)もし、あらゆる人びとが、どうすれば最もよいかたちで人類に有用なことをなしうるかを、なんの制約もなしに、みずからの意志で決定できるとすれば、いまあるものよりも労働の配分が非効率になるということがはたしてありうるだろうか?(p364)

感想

ページ数や注釈が多いうえ、経済学、神学、社会学、歴史学などの概念が随所に織り込まれており、難解だと感じる部分も多かった。だから、読了までには、いつもよりも時間を要した。しかし、とても読み応えがあり、引き込まれた。

ブルシット・ジョブの具体例が、これでもかというほど挙げられていた。確かに、世の中の職業を見渡してみると、ブルシット・ジョブの何と多いことか…。

私自身の仕事も、私の上司の仕事も、ブルシット・ジョブかもしれないなあ、と気づいた。著者の皮肉の効いた文章に、チクチクと刺される感覚が続き、何度もため息をついた。何とも微妙な読後感だが、そういう視点を持てて良かった。

そして、仕事の社会的価値と報酬が反比例しているという現象についての説明についても、ハッとさせられた。確かに、そういう実例は、私の周りでも、枚挙にいとまがない。

さらに、ブルシット・ジョブ論から、ベーシックインカムの提言に展開する流れも、腑に落ちた。

私は、以前から、ベーシックインカム論に漠然と賛成していたのだが、本書では、ベーシックインカムによって、ブルシット・ジョブがなくなり、その代わりに労働や財の配分が社会に好影響を及ぼすと論じている。閉塞感のある現代社会にとっての一筋の光のように思えた。

ブルシット・ジョブが淘汰されたり、エッセンシャル・ワーカーの待遇が上がったり、ベーシックインカム制が導入されたり、といった社会の変化は、直ちには実現しないだろう。

しかし、身近なところでは、私たちが次のキャリアステップを考えるときや、会社で何らかのポジションを作ろうとするときに、ブルシット・ジョブに貴重な資源を費やそうとしていないか、という視点を持っておくと、役に立つかもしれない。

ブルシット・ジョブに時間を奪われ、疲弊している皆さんも、搾取される不合理を感じているエッセンシャル・ワーカーの皆さんも、一度、この本を読んで、仕事の本質について見つめなおしてみてはいかがだろうか。

ご参考になれば幸いです!

※私の過去の読書録記事へは、こちらのリンク集からどうぞ!


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