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【読書録】『0メートルの旅』岡田悠

旅とは何か、を考えさせてくれる本、岡田悠氏の旅行記エッセイ『0メートルの旅』。副題は『日常を引き剥がす16の物語』

岡田氏は、ライター兼会社員。訪れた国は70か国、日本は全都道府県踏破しているとのこと。そして、Webメディアで旅行記を中心とするエッセイを執筆し有名になったとのこと。

旅好きの私は、この本の存在を知るや、速攻で読んだ。

構成は、副題のとおり、16のエッセイから成る。第1章「海外編」。第2章「国内編」。そして第3章「近所編」、最終章「家編」。

海外編は、南極からパレスチナ、イランなど、難易度の高い国々での冒険の記録8件。国内編は、少し変わったテーマでの、個性的な旅の記録4件。

そして特にユニークなのが、「近所編」3件と、「家編」1件(「0メートル」の、自宅の部屋の中)。1300メートル先の駅前の寿司屋から、0メートルの部屋の中ででも、旅をしようと思えばできるのだ!という、目からウロコの発想が満載だ。

岡田氏の旅のオリジナリティが、とにかくすごい。面白い。よくもまあ、こんなことを思いつくものだなあ、と感心しながら、一気に読み進めた。
(※以下ネタバレあり。)

特に面白いと思ったのは、次の3つ。

① 誰も行かない場所に行こう、という逆張りの発想で、「検索されない場所」を探した旅。

② 江戸時代の地図に従って、近所を歩く旅。

そして極めつけは、

③ Google Mapのストリートビューとエアロバイクを連動させて、部屋の中にいながら日本中をめぐる旅。

想像力を働かせると、誰でも、国内にいても、近所でも、そして部屋の中にいてさえも、エキサイティングな非日常=旅を味わうことができるのだ。

以下、岡田氏の、旅についての考え方がわかる箇所を抜粋してみる。

(......)美しい景色を見に行ったり、美味しいものを食べに行ったり、そういうものだけが旅ではない。旅とは消費するだけではなく、ときには創り上げる行為である。(p210)
たとえ遠くへ移動できなくても、旅人から旅を奪い去ることはできない。想像力を膨らませること、些細な巡り合いに興味を持つこと。そういうことを繰り返していれば、近所にだって旅は創れる。(p211)
 旅を辞書で引くと、「定まった地を離れて、ひととき他の場所へゆくこと」と書かれている。
 定まった地とは、きっと日常そのものだ。日常は安心で、快適で、大切な僕らの基盤である。だけど予定通りの毎日を繰り返していくうちに、だんだんとその存在が曖昧になっていく。日常が身体にべったりと張りついて、当たり前になって、記憶にすら残らない時がただ過ぎ去っていく。
 旅とは、そういう定まった日常を引き剥がして、どこか違う瞬間へと自分を連れていくこと。そしてより鮮明になった日常へと、また回帰していくことだ。(p281)
 どこへ行こうとも、予定も目的も固定概念もすべて吹っ飛ばして、いま目の前にある0メートルを愛すること。
 それが旅の正体ではないか。
(中略)
 これから国境が再び開いたら、僕は飛行機に乗り込むだろう。もちろん国内旅行は常に狙っているし、あるいは近所で、あるいは家で、また新しい旅が生まれるかもしれない。
 でもどこに行ったって、愛すべき0メートルが、突然ひょいと姿を現す。そこに飛び込んでいくことで、僕はこれからも、鮮やかな日常を過ごしていける。

アイデア次第で、非日常へ自分をいざなって、目の前にある新しい発見や出会いを楽しむ旅を、いつでもどこでも創り出すことができる。旅=遠出をする、という固定観念を、鮮やかに、気持ちよく覆してくれる本だった。この本と出会えて良かった。

(ふと、「旅は旅をする人がつくるものだ」と、『深夜特急』で有名な、沢木幸太郎氏が述べていたことを思い出した(こちら(↓)の過去の記事をご参照ください)。)

コロナ禍で旅ができないということで、嘆き悲しんだり、鬱々としている人(私もその1人だった…)に対して、特におすすめしたい。

いろいろな制約のあるなかでも、日常に旅という潤いを取り入れて、人生に少しでも多くの楽しみを見つけるきっかけになるのではないかと思う。

ご参考になれば幸いです!


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