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【読書録】『モモ』ミヒャエル・エンデ

今日ご紹介するのは、ドイツの児童文学作家、ミヒャエル・エンデのファンタジー小説、『モモ』

1973年刊。1974年にドイツ児童文学賞を受賞。各国で翻訳され、ドイツと日本で特に人気の高い本。有名なので、ご存じの方も多いと思う。冒頭の写真の、我が家にあるの本は、岩波書店のハードカバー(2005年第65刷)。

この本を久しぶりに読んでみようかと思ったきっかけは、NHK BS1スペシャル「コロナ新時代への提言3 それでも、生きてゆける社会へ」という番組にて、この本が取り上げられたことだ。

コロナ後の世界の指針を語る大反響シリーズ第3弾。著作が注目を集める3人の識者、独立研究者・山口周、経済思想家・斎藤幸平、医療人類学者・磯野真穂が描く未来とは?

「ビジネスは歴史的使命を終えた」と語る独立研究者・山口周。持続可能な脱成長を説いた著書『人新世の「資本論」』が話題の経済思想家・斎藤幸平。医療従事者や患者への丹念な調査から「人間とは何か」を問う医療人類学者・磯野真穂。コロナ禍を受け、彼らは一冊の本を手に取った。ミヒャエル・エンデの児童文学『モモ』。現代社会を鋭く批評したこの作品をヒントに人類が向かうべき未来、誰もが生きるに値する社会について語る。

この番組の出演者のひとりに、以前私の記事でご紹介した『人新世の「資本論」』の著者である、経済思想家・斎藤幸平氏がいらっしゃった。

同氏を含む、新進気鋭の学者さんたちが、児童文学である『モモ』について言及されていたのは大変興味深かった。

それで、再度、この『モモ』を、手に取って読み直してみた。

改めて読んでみて…。

児童文学なのだが、大人の私たちからしても、出版から半世紀近く経っている今でも、ドキッとさせられ、耳の痛くなるような、風刺の効いた本だ。

富や効率を重視する現代社会に生きる私たちに対して、豊かな人生、豊かな時間、豊か何生活とは何なのかという究極の問いを、子どもでもわかる易しい言葉で、物語の形をとって、正面から突き付けてくる。

以下、特に心に残った記述を抜粋してみる。(※以下、ネタバレにご注意ください。)

 とてもとてもふしぎな、それでいてきわめて日常的なひとつの秘密があります。すべての人間はそれにかかわりあい、それをよく知っていますが、そのことを考えてみる人はほとんどいません。たいていの人はその分けまえをもらうだけもだって、それをいっこうにふしぎとも思わないのです。この秘密とはーそれは時間です。
 時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ぎゃくにほんの一瞬と思えることもあるからです。
 なぜなら、時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。(p75)

時間があるのが当たり前と思っていないか、日々の生活において、丁寧に時間を使っているかについて考えさせられ、ドキッとした…。

次は、人間の時間を盗む「灰色の紳士」が、床屋のフージーに対して、時間を倹約するよう説得するシーン。

…「時間の倹約のしかたくらい、おわかりでしょうに! たとえばですよ、仕事をさっさとやって、よけいなことはすっかりやめちまうんですよ。ひとりのお客に一時間もかけないで、十五分ですます。むだなおしゃべりはやめる。年よりのお母さんとすごす時間は半分にする。いちばんいいのは、安くていい養老院に入れてしまうことですな。そうすれば一日にまる一時間も節約できる。それに、役立たずのボタンインコを飼うのなんか、おやめなさい! ダリア嬢の訪問は、どうしてもというのなら、せめて二週間に一度にすればいい。寝る前に十五分もその日のことを考えるのもやめる。とりわけ、歌だの本だの、ましていわゆる友だちづきあいだのに、貴重な時間をこんなにつかうのはいけませんね。ついでにおすすめしておきますが、店の中に正確な大きい時計をかけるといいですよ。それで使用人の仕事ぶりをよく監督するんですな。」(p88-89)

この「灰色の紳士」の呼びかけは、効率化を追求する現代社会と見事にシンクロするようで、ゾッとした。

そして、人々が時間を節約しはじめると、人々の生活の質が、どんどん変わっていく…。

 仕事が楽しいとか、仕事への愛情をもって働いているかなどということは、問題ではなくなりましたーーーむしろそんな考えは仕事へのさまたげになります。だいじなことはただひとつ、できるだけ短時間に、できるだけたくさんの仕事をすることです。(p94)
 時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたちの生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとり認めようとはしませんでした。
(中略)
 けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。
 人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。(p95)

時間に追われて日々を過ごしている自分をふりかえり、生活がまずしくなっていて、やせほそっている、のではないかと、考えさせられた。

物語は進み、モモが灰色の男たちと対決していく。次は、灰色の男がモモに語ったこと。

「人生でだいじなことはひとつしかない。」と男はつづけました。「それは、なにかに成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れることだ。ほかの人より成功し、えらくなり、金持ちになった人間には、そのほかのもの ー 友情だの、愛だの、名誉だの、そんなものはなにもかも、ひとりでに集まってくるものだ。きみはさっき、友だちが好きだと言ったね。ひとつそのことを、冷静に考えてみようじゃないか。」
(中略)
…「きみがいることで、きみの友だちはそもそもどういう利益をえているかだ。なにかの役に立つか? いや、立っていない。成功に近づき、金をもうけ、えらくなることを助けているか? そんなことはない。時間を節約しようという努力をはげましているか? まさに反対だ。きみはそういうことをぜんぶじゃまだてしている、みんなの前進をはばんでいる!…」(p126-127)

人生で大事なことは何なのか。灰色の男は、成功やお金こそが大事だと、モモに語る。

そして、モモは、時間をつかさどるマイスター・ホラから、時間の本質について教わる。

…時計というのはね、人間ひとりひとりの胸の中にあるものを、きわめて不完全ながらもまねて象(かたど)ったものなのだ。光を見るためには目があり、音を聞くためには耳があるのと同じように、人間には時間を感じるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、その時間はないもおなじだ。虹の七色が目の見えない人にはないも同じで、鳥の声が耳の聞こえない人にはないもおなじようにね。でもかなしいことに、心臓はちゃんと生きて鼓動しているのに、なにも感じとれない心を持った人がいるのだ。(p211-212)

さらに、灰色の男たちの企みにより、「時間貯蓄家」となってしまった大人たちが、子どもの時間と自由を奪う様子も描かれている。

…こうして子どもたちは、ほかのあることを忘れてゆきました。ほかのあること、つまりそれは、たのしいと思うこと、むちゅうになること、夢見ることです。
 しだいしだいに子どもたちは、小さな時間貯蓄家といった顔つきになってきました。やれと命じられたことを、いやいやながら、おもしろくもなさそうに、ふくれっつらでやります。そしてじぶんたちの好きなようにしていいと言われると、こんどはなにをしたらいいか、ぜんぜんわからないのです。
 たったひとつ子どもたちがまだやれたことはといえば、さわぐことでした。ー でもそれはもちろん、ほがらかにはしゃぐのではなく、腹立ちまぎれの、とげとげしいさわぎでした。(p247-248)

このくだりを読んで、受験勉強や習い事に追われて、大人顔負けで忙しい日々を過ごす、現代の子どもたちの様子が、目に浮かんだ…。

いつも周りにいた子どもたちと会えなくなって、孤独になってしまったモモ。身をもって、次のことを知った。

…もしほかの人びととわかちあえるのでなければ、それを持っているがために破滅してしまうような、そういう富がある…(p284)

そして、モモの奮闘により、物語の最後には、奪われた時間がふたたびよみがえる。人々が、豊かな生活を取り戻す。

 大都会では、長いこと見られなかった光景がくりひろげられていました。子どもたちは道路のまんなかで遊び、自動車でゆく人は車をとめて、それをニコニコとながめ、ときには車をおりていっしょに遊びました。あっちでもこっちでも人びとは足をとめてしたしげにことばをかわし、たがいのくらしをくわしくたずねあいました。仕事に出かける人も、いまでは窓辺のうつくしい花に目をとめたり、小鳥にパンくずを投げてやったりするゆとりがあります。お医者さんも、患者ひとりひとりにゆっくり時間をさいています。労働者も、できるだけ短時間にできるだけたくさん仕事をする必要などもうなくなったので、ゆったりと愛情をこめて働きます。みんなはなにをするにも、必要なだけ、そして好きなだけの時間をつかえます。いまではふたたび時間はたっぷりとあるようになったからです。(p350-351)

たっぷりと時間を使って丁寧に生活することが、いかに豊かで素晴らしいことか。このくだりから、それをひしひしと感じとることができた。

「作者のみじかいあとがき」にある、次の記載にもドキッとする。

「わたしは今の話を、」とそのひとは言いました。「過去に起こったことのように話しましたね。でもそれを将来起こることとしてお話ししてもよかったんですよ。わたしにとっては、どちらでもそう大きなちがいはありません。」(p355)

事実、この話は、この作品が世に出て半世紀後の現代にも、ぴったり当てはまる。いや、たぶん、今の時代のほうが、よりこの本に書いてあることを意識する必要性は高まっているだろう。

そして、訳者である、大島かおり氏のあとがきが、秀逸だ。この本の特徴が、とてもよくまとめられている。

 この本には、探偵小説のようなスリルと、空想科学小説的なファンタジーと、時代へのするどい風刺があふれています。そしてその全体は、ロマン主義的な純粋な誌的夢幻の世界、深くゆたかな人生の真実を告知する童話(メールヘン)の世界の中に、すっぽりとつつみこまれています。内容的には、おとなにも子どもにもかかわる現代社会の大きな問題をとりあげ、その病根を痛烈に批判しながら、それをこのようにたのしく、うつくしい幻想的な童話の形式(エンデはこれをメールヘン・ロマンと名づけています)にまとめることに成功した点に、この本の画期的な意義があります。(p360)

この本の同氏の和訳は、素晴らしかった。子どもでも難なく読めるように、ひらがなを多用しているが、大人にとっても、とても読みやすい。

日々、時間に追われている皆さんにこそ、是非、ゆっくり時間をとって読んでほしい本だ。あなたの大事なものは何かについて気づかせてくれる、珠玉の一冊。

ご参考になれば幸いです!

著者ミヒャエル・エンデの作品として、1979年刊の『はてしない物語』も有名だ。『ネバーエンディング・ストーリー』というタイトルで映画にもなった。こちらも素晴らしい作品なので、併せてお勧めしたい。

※『はてしない物語』はこちら。

※『ネバーエンディング・ストーリー』の映画版はこちら。こちらも名作。


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