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Japan→LA→Miami (留学→会社勤め→脱サラ→美容学校→美容師) アメリカ…

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Japan→LA→Miami (留学→会社勤め→脱サラ→美容学校→美容師) アメリカなのに英語通じないラテンの地で生きてます。 Twitter: https//twitter.com/sayuri_t_h Mastodon: @sayuri_t_h@fedibird.com

最近の記事

今日泣きそうになった出来事

長年カットしてるキューバ人のおばあちゃんが居るのだけど、パンデミック以降顕著に言葉が出てこないようになった。13歳でキューバからマイアミに移民として来て長年住んでるから訛りはあっても英語はスラスラ話す。でも最近は頻繁に話の途中で言葉が出てこなくて「えーとなんていうんだっけアレ、、」と考え込むようになってきた。 うちのアシスタントはエクアドル出身でシャンプーしてる間は2人でいつも楽しそうにスペイン語で喋ってるから、普通のお客さんよりちょっと多めにシャンプーの時間取っている。

    • マイアミが機能しなかった日

      ドイツでストにより公共交通機関が全て麻痺しているというニュースを見て、マイアミでも都市機能がかなり麻痺した日があったなと思い出す出来事がある。 1999年、エリアン・ゴンザレスという当時確か5歳だった男の子が母親と一緒にボートでキューバから脱出した。 多くの人達を乗せたボートはアメリカにたどり着く前に転覆し、エリアンと大人2人以外の全ての人達が命を落とした。エリアンの母親も含めて。 マイアミに住むエリアンの親戚がエリアンを引き取った。海を漂うところを漁師に救助されたエリアン

      • 真珠湾攻撃の日

        1941年12月7日(米国時間)の真珠湾攻撃。 1945年8月6日の広島への原爆投下。 1945年8月9日の長崎への原爆投下。 そして1944年4月25日の祖父の戦死。 これらの日にちを迎えるたびによく思い出す事がある。 前にTwitterに投稿したけどnoteにもまとめておく。 随分前の話だけど、私のお客さんで日本語を話す台湾人のおじいちゃんが居た。 おじいちゃんは日本人美容師が居ると聞いて来てくれた。孫が連れてきてくれて「おじいちゃんは英語は全然話せないけど日本語ペラ

        • わたし史 ②

          【この回はFediverse Advent Calendar 2022の3日目の記事になります】 昔々、生まれて初めて飛行機に乗り向かった先は香港であった。 私の子供時代、未成年は親と共にパスポート写真に収まっていた。誘拐などを懸念する場合、現代の「5歳まで新生児1人の写真でオケ👌」のパスポートより遥かに安全性は高かったと思う。 さて、上の家族写真から年月を経て、私は1人でカラーで撮った写真付きのパスポートを持ち日本を離れた。 ロンヤス外交に政治は浮かれ1ドル200円で

        今日泣きそうになった出来事

          ワールドカップの闇

          NYTimesでもう20年以上もワールドカップを追い続けている記者にとって、今回のワールドカップほど開催過程が問題視された大会は珍しいそうだ。 カタールは国家のprestige(名声)のために自国での開催は悲願だった。 FIFAの開催地決定に関する買収問題は今に始まった事ではないけど、今回もカタール(そしておそらく他に立候補した候補地も)は開催地決定の投票権を持つ22人のFIFA関係者を自国に招いて接待し、その中で中南米の3カ国の関係者が裏金を受け取ったことは確認されている

          ワールドカップの闇

          わたし史 ①

          ツイ廃の私が念のために他のソーシャルメディアにも新しくアカウント開けておこうと思うほどイーロン・マスクが乗っ取った後の今のTwitterはとても不穏で、累々たるエクソダスの流れに片足だけでも突っ込んでおきたく多くが漂着するMastodonにもアカウントを開けた。 ついでにこういう時にペタッと貼れる自己紹介があれば便利だと思ったので自分史もちょっとずつ纏めることにした。 在米歴は30年を軽く超えて人生で一番長く住んでるのはここマイアミになっている。 日本を出た元々のきっかけ

          わたし史 ①

          3年ぶりに帰国など ①

          3年ぶりの帰国となりました。 成田まであと4時間くらいだ。 自分の人生でまさか経験するとは思っていなかったCOVID -19のパンデミック、そしてこれもまたまさか経験するとは思っていなかった脳出血による入院と手術。そして帰国間際になってまさかのCOVID感染。 なんともドラマチックな2年となった。そして前回帰国してから3年。ほぼ毎年一時帰国しているのでこの3年は本当に長い。 5月23日、帰国が近づいてきて陰性証明はどこで取ろうか考えていた。 うちのコミュニティの隣にはカウ

          3年ぶりに帰国など ①

          2021年地獄の旅 第4話「ここ出たい」

          私が通った美容学校はお世辞にも良い学校とは言えなかった。 いわゆる公立のvocational schoolの美容師のコースからマイアミの私立の美容学校は全部見学に行き一番良さそうだったのだけど。 見学に行った時一歩足を踏み込んだらスペイン語しか聞こえなかった。オフィスに行き英語の授業はやってるのか聞いたら心外だと言わんばかりに目をまん丸にして「全ての授業は英語とスペイン語があるわよ、ホラ。」と英語の教科書を渡された。「海外から留学生だって来てるんだから。」 入学初日、顔

          2021年地獄の旅 第4話「ここ出たい」

          2021年地獄の旅 第3話 「不信感」

          小さい頃住んでいた家の近くにもう使われなくなった沢山の自動販売機や冷蔵庫が並んでいる敷地があった。今思うと産業廃棄物の不法投棄だったかもしれないが子供たちにとっては格好の遊び場所だった。 かくれんぼをしてたある日、私は冷蔵庫の中に隠れた。隙間から覗いて鬼が来ないか確認していたら何かの拍子にドアがパタンと閉まり中から開かなくてパニックになったことがあった。 それ以降狭い場所がダメになった。エレベーターにも乗れないという人に会った事があるが私は身体を動かすスペースが無いくらいの

          2021年地獄の旅 第3話 「不信感」

          2021年地獄の旅 第2話 「ER」

          ERとはEmergency Roomの略で救急外来という意味である。 娘達が小さかった頃、ハリケーンが上陸・通過し停電となりそんな中娘達が次々と熱を出した事があった。上と下のどちらが先だったか忘れたけど、連続2日で1人ずつBaptist HospitalのERへ連れて行った。日没後の外出禁止令が出る中、道路を曲がるたびにパトカーに止められその中の1台が先導してくれて大病院のERに着いた。明かりという明かりが消え真っ暗闇の街の中で緊急時の自家発電で最低限の電力を維持する病院だ

          2021年地獄の旅 第2話 「ER」

          2021年地獄の旅 第1話 「予兆」

          例えば地震や噴火など自然災害が起きる前には予兆というものがある。 地震雲が出ていたり、鳥の鳴き声が普段より騒がしかったり、猫がやたらと家の外に出たがったり。 そしてそういう普段と少しだけ異なるものはとても気付きにくく、後になってからあの時そういえば変な雲が出てたとかカラスの様子が変だったとか猫に引っ掻かれた、と思い出して腑に落ちることが多い。それだけ私たちの普段の生活というものは忙しく些細な変化は見落としやすい。 今になって思い出してみると私にもそういう「あ〜そういえば」と

          2021年地獄の旅 第1話 「予兆」

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          Florida Keys(2012)

          Florida Keys(2012)

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          BLMで思い出す

          2年半前に膵臓がんであっという間に亡くなってしまった長い間の親友であり同僚だったアンドリアはジャマイカ出身だった。 アンドリアはネイリストで、とにかく喋るのが好きで私のお客さんがネイルしてもらう間も1人で喋り続けて中には寝たフリする日本人のお客さんも居るくらいだった。(腕は確かだったけど) 接客中の私の横に来てあれこれ話しかけてくることも多く毎回「仕事中は話しかけないでって言ったでしょ。あっち行け。」と追い払い、そういう日は決まって仕事が終わった後に電話してきてまた延々と話

          BLMで思い出す

          ドライブスルー検査に行ってきました

          ちょっと前の話だけどドライブスルー検査行ってきました。 5/25は上の娘の18歳の誕生日。 マイアミがロックダウンを解除してフェーズ1に入ったのが5/20。翌21日から定員10人以下に抑えるために1日5時間の午前と午後シフトに分かれてサロンに戻った最初の週末だった。 家でステーキ焼く事になりダンナが奮発して宮崎牛の最高グレードのお肉を仕入れてきたのでロックダウン以降1滴も飲んでなかったお酒も飲み久々にゆったりとした気分になっていたところ、、、。 食事が終わった頃から胸が苦

          ドライブスルー検査に行ってきました

          ロックダウン45日目

          一体マイアミの都市封鎖から何日経ったんだろうかとカレンダーで数えてみたら今日で45日目だ。 出産したときに産休を1カ月取って家に居ただけで軽い鬱になった。あの時は典型的な産後鬱だったのでホルモンのアンバランスもあったんだろうけど家にずっと居るというのが耐えられなかった。 今回のコロナは無条件に選択の余地なく街自体がロックダウンになり「感染するかも」という恐怖もあり「ウロウロしてて感染したりさせたりすると患者激増で医療崩壊するからみんなで街を守らねば」という使命感のようなもの

          ロックダウン45日目

          Dropboxで子供の写真探してたら、父が在命中に最後に撮った母との2ショット写真が出てきた。後ろ姿だけど両親を良くも悪くもよく表していて自分では気に入ってる1枚。

          Dropboxで子供の写真探してたら、父が在命中に最後に撮った母との2ショット写真が出てきた。後ろ姿だけど両親を良くも悪くもよく表していて自分では気に入ってる1枚。