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2021年地獄の旅 第4話「ここ出たい」

私が通った美容学校はお世辞にも良い学校とは言えなかった。

いわゆる公立のvocational  schoolの美容師のコースからマイアミの私立の美容学校は全部見学に行き一番良さそうだったのだけど。
見学に行った時一歩足を踏み込んだらスペイン語しか聞こえなかった。オフィスに行き英語の授業はやってるのか聞いたら心外だと言わんばかりに目をまん丸にして「全ての授業は英語とスペイン語があるわよ、ホラ。」と英語の教科書を渡された。「海外から留学生だって来てるんだから。」

入学初日、顔が引き攣った。
クラス40人ちょっとのうち英語の教科書を持つものは私を入れて4人、残りは全員スペイン語の教科書。先生は1人。

対等に扱われるべき立場が明らかに不等に扱われる不条理や本来受けるべきサービスを充分に享受出来ない不満というのは、ストレスと不信感しか産み出さない。


以下ズラッと並んでいるのが1つ目の病院で受けた検査だ。

ツイートと医療費明細を照らし合わせて書き出してみた。改めて見てみるとあの短期間に凄まじい検査数だ。勿論これとは別に毎日血液も沢山抜かれた。よく身体が持ってくれたと思う。

【Kendall Regional Hospital】

10/30/21
・CT scan  頭部CT
・X-ray 胸部レントゲン

10/31/21
・MRI 脳
・angiogram (CT) 頭部造影CT

11/1/21
・CT scan 腹部と骨盤
・angiogram (CT) 後頭部/首造影CT

11/2/21
・COVID test
・エコー
・脳血管造影検査(カテーテル) 7unitsって7回撮影?

11/3/21
・脳ドップラー検査

11/4/21
・脳ドップラー検査

11/5/21
脳ドップラー検査
退院


私が居た病室はICU階にあるIMCという集中的にモニタリングするユニットで相部屋に加えてドアは開けっぱなし。そして重症の人達で溢れている。

私もここに運ばれた時はレベル5扱いだった。医療費明細書に「LV5 STD EMER DEPT」と書かれていた。

レベル5とは:

An immediate and significant threat to life or physiological functioning.

生命活動または生理学的機能に対する差し迫った重大な脅威

だそうだ。
怖い。我が事ながら怖すぎる。あと2、3日ERに駆け込むのが遅かったら三途の川を渡っていただろうと言われた。(実際ERでは検査もせずに家に帰されそうになったのだけど)

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各レベルの定義

ここでモニタリングされている人達はみんな一般病棟には居られない事情がありその事情も多岐に渡っている。

最初の夜から開けっぱなしのドアから聞こえるナースたちの雑談の音量も凄かったのだけどそれを圧倒する雄叫びを上げる男性が1人、唸り声を上げる女性が1人居た。

唸り声をあげている人は認知症のようだった。一晩中雄叫びを上げて朝になると力尽きて寝てるようだった男性は声の感じからして結構若いようだった。どんな事情や病気でIMCに居るのか分からなかったが精神状態は普通ではなさそうだった。毎日夜にずっと叫び声がするのはなかなかカオスだった。

一晩中こういう声を聞きちょっと静かになったらウトウトしウトウトしたらナースが投薬や体温測定や点滴交換に来る。そしてその後に寝ようと思うのだけど点滴交換の後や点滴に薬を注射で入れる時は見張ってないと怖い。

最初は単なるミスで誰でもあるからしょうがないよなと思った。ウトウトしてるときに点滴交換にナースが来てそのまま寝ていた私は1、2時間したら例の男性の叫び声で目が覚めた。ふと気がつくと点滴の袋がまだパンパンのままだ。何度も交換してるから大体どのくらいの間隔で減っていくのかはわかってたのでおかしいなと思い袋から視線を下げていくとポタリポタリと落ちるところが止まったままになっていた。

・・・袋だけ変えて止まったままかよ・・・

ナースコールを来るまで押し続けて、なーにーー?と入ってくるナースに「あのさぁ、点滴落ちてないんだけど、もう2時間くらい」と指摘する。そして向こうはまったく悪びれる様子もなくオーマイガーハハハ〜と笑ってタッチパネルに速さを打ち込みやっとポタリポタリが始まる。

これが、、、、退院するまでに4回あったよね、、、。

そしてロケットブースター薬は4時間おきに飲まないといけないけど、4時間経っても来ないよね、、、、。

例えば20分30分遅れてもまあ4時間のスパンで考えるとそれほど大勢に影響はない気がする。しかし4時間おきの薬が2時間来なかったら、そして遅れて飲んだ次も遅れたらさすがに影響出るよね、、、、。

なのでどれだけ爆睡してようがナースが来たら秒で脳を再起動して目もフル稼働して細かく監視しないとならない。薬は毎回来たら直ぐに4時間のタイマーセットした。

もっとイラっと来たのがトイレに行きたい時。
ナースコールして来てもらい繋がってる線を全部外してもらい部屋の出入り口横のバスルームに行くのだけど、ナースコールしても来やしない。ナースのおしゃべり聞こえてるけど来やしない。なのでトイレめちゃ行きたいギリにコール押しまくっても地獄見るので早め早めに押しても来やしない。

指にはめる心拍数測定器は取り外し簡単だし、EKGに至っては入院2日目に各色の線を胸部のどこに付けるか把握したよね。
ナースコール押しまくっても来ない→速攻でババババっと全部外す→心拍数から血圧から一気にゼロになりモニターに黄色のライトがパカパカ点きアラーム音が鳴り出す→フラフラしてダッシュはできないけど早足でトイレへ→数分で警告ライトは黄色から赤に変わりアラーム音がMAXになるのでその前に戻る努力最大限→ババババっと血圧・心拍数・EKG装着→知らん顔して寝る
こんな事まで出来るようになった。必要に駆られて。

これくらいは知っておいて損は無いかも?

そしてもうこの頃にはIMCのモニタリングとは一体、という根本的な自分がそこに居る存在意義にまで関わってきていた。

後に退院し友人知人やお客さんとも連絡取るようになりどこの病院に居たのか聞かれて1軒目はKendall Regionalだと言うと10人に9人は絶句するかオーマイガーーー!と悲鳴を上げた。
そのくらいここの評判は悪かった。
そんなん知らんがな。
何年も前にトラウマセンターが出来て医療が充実なんてニュースを見たのが記憶の彼方に残ってた程度でそれ以外の予備知識が無かった私はそういう沢山の人達からの絶句ストーリーや悲鳴ストーリーを後になって聞き、そして新たな私のストーリーを沢山の人達に伝えることとなった。


相部屋なのでカーテンの向こうにはお隣さんが居て、私が居る間に最初にいた人は居なくなり新しい人が来たのだけど、その高齢の女性には私と同じくらいの歳の娘さんが付き添っていた。そしてあの狭い椅子をベットにして毎日泊まり込んでいた。ママの方は南のKeysのどこかの島にバケーションホームを持っていて寒くなる前に北の方の州から降りてくるスノーバードで、そのバケーションホームで転んで事もあろうかこの病院に搬送されて来た。

何時間も救急車に乗ってこの病院とは、、。
お気の毒に。

娘はシカゴに住んでて連絡を受け飛行機に飛び乗って来たそうだ。
そして着いた早々に「誰か英語でちゃんと説明してっ!!!」とブチ切れ、ナースコール押すよりナースステーションに怒鳴り込む方が早いと秒で学習し(線で繋がれていない自由さが本当に羨ましかった。私も2回ナースステーションに怒鳴り込んだけど)、事あるごとに「スーパーバイザーは誰?!?!」と圧をかけまくった。

この娘さんのアピールの凄さもあるのだけど、ホワイトスノーバードはやっぱり対応が違うなと、そこもまた嫌気に拍車をかけたのだけど、これをチャンスと捉え利用しない手はないと、私も娘さんに便乗してアレやコレやアピールした。娘さんは2日の泊まり込みで怒りが頂点に達し、あちこち電話かけまくって他の病院に転院する段取りを3日目の朝には付けた。
「アナタも出た方がいいわよ」と言われ「出るよ私も」と言った。この時11/3。退院の2日前だった。
「ERなんて所詮命の危険が去ったらさっさと次にmove  onするところよ」
おっしゃる通りです。

ドクターとのコミュニケーションもすごく悪い。出血は薬で止まっている。
やっぱり絶対ここ出よう。
固く心に決めた。


【今日の豆知識】

体重(ポンド)を2で割った数字が1日に必要な水分摂取のオンスになる

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