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2021年地獄の旅 第1話 「予兆」

例えば地震や噴火など自然災害が起きる前には予兆というものがある。
地震雲が出ていたり、鳥の鳴き声が普段より騒がしかったり、猫がやたらと家の外に出たがったり。
そしてそういう普段と少しだけ異なるものはとても気付きにくく、後になってからあの時そういえば変な雲が出てたとかカラスの様子が変だったとか猫に引っ掻かれた、と思い出して腑に落ちることが多い。それだけ私たちの普段の生活というものは忙しく些細な変化は見落としやすい。

今になって思い出してみると私にもそういう「あ〜そういえば」という予兆はあり、そしてその予兆は小さ過ぎたし私は自分の健康を過信していた。

私は同じ枕をもう2年くらい気に入って使っている。
高い枕が嫌いなのでメモリーフォームの厚さ10センチもないくらいの枕だ。
救急にいく1ヶ月くらい前からだろうか、何故か夜中に時々目が覚めた。なんだか寝づらい。起きては体を横にしてみたり枕をちょっと引っ張って肩のあたりまで持ってきてみたり、とにかく以前にようにピタっと枕が合う気がしない。
しばらくモゾモゾして結局寝るので「メモリーフォームって薄い枕だと2年くらいで買い替えなのかな」程度だった。
空を見上げたらいつもと違う雲が広がっている。今日の雲は変だな、それで終わっただけだった。

あとから考えると、あの時既に首の頚椎の上から2番目と3番目の骨の下の奥で不自然にくっついている動脈と静脈は悲鳴をあげていたに違いない。

10月最後の週の始めハロウィンは何を着ようか考えていた頃、TwitterのSpaceだったかClubhouseかで発言してた時とフロリダの美容師のハッピーアワーという名のオンラインイベントで自己紹介をした時に、頭がズキズキした。頭の前と後頭部と両方押さえて座り込むくらいの痛みだった。相方が10月の初めに16年間大事にしてきたレストランを手放したばかりで、事後処理が終わりたっぷり時間ができた相方は家族に会うため隔離2週間覚悟で帰国していた。私は相方がビジネスを閉めるにあたり色々気疲れも溜まっていたし毎日5時起きの生活で寝不足のせいもあるのだろうと思い、その後もずっと続く頭痛に毎日市販の頭痛薬を飲み効かないから他の痛み止めを次から次へと飲んでいた。

10月最後の週はこうして薬漬けで仕事に行った。仕事中は集中して痛みは余り感じなかった。家に帰ると痛かった。今までなった事は無かった偏頭痛だろうと思った。
予兆はもう超えていて実際はこの時既に脳の中では出血が始まっていたのだけども。

10月30日土曜日。
日曜日は定休日なのでハロウィンの衣装はこの日に着て仕事した。
いつもは集中してて気にならない頭痛が気になる。前日から飲んでいた偏頭痛の薬が効いていたので仕事が出来ないほどではない。でも気になる。
仕事が終わった途端に痛みは我慢できないものとなった。一旦帰宅し着替えて娘たちに近所の救急に行ってくる、夕ご飯までには帰るからと伝えて車に乗った。

今までの人生で手術を受けた事は2回。1度目は扁桃腺切除で2度目は妊娠発覚直後の胞状奇胎の掻爬手術。25年くらい前のことだ。どちらもマイアミの病院でここも家から遠くはない。あの病院まで行っても良いけどあそこは救急混んでるからな、ハリケーンの後に行った時など12時間待たされたからな。
そう思って別病院が数年前に開けたばかりの救急センターに向かった。
家から5分かかるかかからないかの距離で同じ敷地内にはいつも私が買い出しに行くPublixもある。救急が終わってから夕ご飯の買い物して帰るのにちょうど良い。

この選択が数日後に人生最大のしっぺ返しとなり自分がアメリカ医療の底辺を体験することになるとは思いもしなかった。

私、痛みに強いってしょっちゅう言われるからちょっとオーバー気味に伝えた方がいいな。
それにしても真剣に痛いんだけど。
夕ご飯はもうテイクアウトかデリバリーでもいいか。

そういう事を考えながら車を止めてERの入り口へと歩くたびに頭に響く痛みを我慢しながら向った。

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