自分は認められていないという気持ちはいつか消えるのか
父も母も亡き今、私の親族というのは私の子供と妹だ。妹夫婦には子供はいない。
就職が決まった息子と食事に行った妹からLINEが来た。最後に新しい一歩を踏み出す彼をサポートしてください。という一文に違和感を覚えた。
息子は大学を中退した。世の中には大学中退してる人たくさんいると思う。対人関係のつまづきから休学し、復学後も画期的に上手くいくことはなく留年中だった。
その彼が、中退して就職すると決めた。これまでも何回か中退を匂わせていたのでよく考えての結果だったと思う。中退した人のマイナビみたいなところから、職を決めたよと報告された。
彼の過ごしてきた時代は、膨大な情報が溢れ、頭でっかちなようにも見えるが、保守的部分もある。大学卒業して就職するルートを基本として、少しでもいい企業に入りたい、昔ながらの概念が継続している。そこから外れられなくて、足踏みしていたところから、一歩足を出したばかりだ。
ただ彼の自信がなくなっていることは態度や言葉から読み取れる。それを隠そうとしているのもわかる。でもなにもしてやれないし、してほしくもないことも伝わる。必要なときには力になると伝え彼が道を切り開くのを見守るだけだ。
新たな道を切り拓け。
話を戻そう。
妹のLINEに感じた違和感。小さい頃から可愛がっていた甥を心配し、思いやるのと、先輩としての仕事の助言のほかに、私への~してあげて。
わざわざいうところに、離婚後メンタル不調を引きずるのわたしの脳が敏感に反応した。
いつもなら見てみぬふりでやり過ごせたが止められなかった。
聞いた。
自分を認めてもらえてないって悲しいことだよ、認めてないよね?ときた。
私たちにしてはよく話し合って、中退したとしていい仕事につけないかもという彼と、自信をもって進めば良い、いい企業に就職することが幸せなわけではないし、あなたの選択を応援するから、と話しているのに。
子供に対して真摯に対応していないといわれたことは大いに腹が立った。仕事が大変で手を掛け目を掛けることは十分ではなかったから、息子のつまづきには自分を常に責めていたのだから余計にカチンときた。
これだけは、ひけない。
彼女から最後に来たLINEに私の書きっぷりが冷たさを感じたとあった。
彼女がメンタル弱ってるとき、小さい子ともをおいて付き合い、彼女と彼女のダンナには言いたい放題言われた過去は葬り去られている。
私が大変なときも、自分の話になる彼女。私の気持ちに寄り添ってくれていたのだろうか。言うほど私が寄り添っていないからそうなのかなとも思った。
それを教えてくれたのは彼女だ。叔母の介護で大変だと思って、いとこに協力して邪魔にされる私に、あの家の問題だから放っておけ、離婚して大変なんだから自分たちのことだけ考えてろと。
自分を認めてもらえない、気が強いが心の声だ。たぶん母に私は可愛がられていた。いい子を演じ続けてきたから。いい子にと言われ続けてきた身としては、違うと思うこともやり過ごすためにはいい子にしていた。それが当たり前だった。妹の大胆な行動を心配していた。妹の性格が心配症の母を悩ませることも多かった。でも妹は母が大好きだったし愛されていたと思うよ
機能不全家族、みんなお互いにどこかがおかしい家族だ。
私は心が狭くて、広い。これまでは人のことを心配したり嫌でも、血縁関係の努めだからと対応してきた。もうムリなことは無理して合わせなくていい。気持ちに正直になろう。しかしこの頃少し感情的になってしまうときがあるから、それは気をつけないとと思う。
そうだ。
生前に私と妹に形見分けをしながら、何もいらないよという私に、
「そんなこと言ったら何も思い出がなくなっちゃうじゃない!」
怒っていた母。形見の時計はもう結構な年月をともに過ごし、大切なときには同行させたから、もういいだろう。
時計は、この前十万以上かけてオーバーホールしたばかりだ。黄ばんで古びた時計の存在がなんとなく重くなってきたから。思い出としてそのままにしておくか、きれいにするか、悩んだがきれいにしてもらってよかった。母の死後一番キレイに光っている。気持ちもスーッとした。
心の狭い私が、買い取り業者に査定見積もりを依頼してる。手放すとなると惜しくなる。彼女が手放したとしても、それはどうでも良いことだけど。
私が母を思って泣くことはもうないだろう。同じ女として同じようにうまく行かない道を歩く同士として相談するかもしれないけれど。
おしまい。
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