「悔しさ」や「恨み」が持つチカラの話


いつからだろうか、私は「悔しい」という感情を抱くことが無くなった。
アスリートとかが良く言う「悔しさをバネに~」という言葉。かつてスポーツをしていた私にも覚えのある感情ではあるが、勝負事をする機会が無くなった今、そして年齢を重ねた今、人生に勝ちも負けもないと思っているので、どうにもこうにもそんな感情は浮かばない。
第一、悔しがるのって疲れるじゃないか。

「悔しい」

これはその感情を抱く本人からしたらネガティブなものかもしれないが、聞いているこちらからすると、どこか次へのステップへ繋がる前向きなものに聞こえるから不思議だ。

もう10年くらい前のこと。
友人が会話の中で「最も人間の力を生み出してくれる感情って、イライラとか怒りだと思うねん」と言った。その言葉がとても印象的で、今でも良く思い出す。
確かに、人って怒ると力が強くなるし、ムキになると変な力が出たりする。「あいつには負けたくない」などの感情も同じだろう。

そうそう、恨みの代表格である丑の刻参りは、わざわざ藁を結って該当者の毛を入手して、白装束を来て夜中の神社に出かけて…なんて、
恐ろしいパワーである。

ということは、「悔しい」と思うことは、場合によってはとても有効なのだ。
ちょっと踏ん張る力が欲しいならば、一時的に外にライバルや敵を作ってみるのも良いかもしれない。(あくまでも「自分の中にだけ」というところが重要だが。)
「ライバルはいつでも自分自身ですっ!」なんて綺麗事が言えればいいのだが、そこまで私は人間が出来ていない。

ま、そうは言っても、敵なんてすぐ作れないよねえ。
とりあえず、今夜のジムでは夫よりも長く走ってみるか。

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