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いわゆる、パシリ

小学校低学年の頃、うちで強く感じたこと。
それは、わたしは「家の召使い」という感覚。

mamaの時代は
女性は家事をこなしてなんぼの世界だったと思う。
だからmamaに言わせれば
わたしを”わざと”躾のためにこき使ったらしい。

当時のわたし、楽しくお手伝いしたことない。
いつも強い命令をされるばかり。

mamaときょうだいから
“パシリ”感覚でよく使われた。
それが本当に嫌だった。
でも怖くて反抗できなかった。

mamaの指令は絶対だった。
きょうだいもmamaと一緒になって
何でも威圧的にわたしに”命令”してきた。

わたしには
今日は行きたくない、行かない
そういう発言をする権利はない。

最近夏になり、テレビや雑誌で
美味しそうなイチゴのかき氷をみる。
そんな時、いつも当時を思い出す。

mamaときょうだいが
「かき氷食べたいな」というと
「お前、買ってきなさい」となる。

当時うちには、かき氷器はなかった。
近所に、かき氷屋さんがあった。
そこは大き目のボウルを持って行くと
買った人数分のかき氷を
ボウルいっぱい入れてくれてた。

小学校低学年のわたしの遅い足では
ボウルいっぱいに買ったかき氷は
夏の暑さのなかで
家に着くころには半分溶けてた。

暑いなか、坂道を懸命に
汗だくでのぼった。

怒られるのが怖くて
親きょうだいに嫌味を言われるのが怖くて
一生懸命、早歩きで
ボウルの中身がこぼれないように帰った。

汗だくで家に着いたら
mama達から「溶けてる」と言われ
毎回泣きたくなった。
毎回そんな状態だった。

冬は「たこ焼き買ってこい」

きょうだいが
「たまには自分が買ってくるよ」
ということは絶対に無かった。
mamaも、わたしばかりこき使った。
シンデレラや
昔のアニメあさりちゃんの
エピソードは笑えない。

いちごのかき氷をみると
毎年思い出す
苦い、楽しくない夏の想い出。

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