見出し画像

失恋した女が彼氏の好きだった本を初めて読んで思った事。

キッチン

彼が好きだったこの本のページをペラペラとめくって見る。
私は、彼があれほど好きで繰り返し読んでいたこの本を、彼と付き合っていた時に読んでみようとしたこともなかった。
正確に言えば、読みたくなかったのである。

私が彼と出会ったのは、後輩からの紹介であった。
以前から仲の良かった彼女は、私に良い印象を抱いていてくれたのだろう、私と同い年の兄を紹介してくれた。
私は彼と連絡を取るようになり、毎晩送られてくるメッセージは、私の生活に自然と入り込んでおきながら、確かな刺激を与えるものであった。そんな彼の言葉に、まるで待っていなかったかのように返信する事が日課になっていた。ずっと待っていたくせに、あなたに特別の興味なんてない、余裕のあるふりをして、私という女性はいつでもそうであった。

彼を好きになることに時間はかからなかったし、運よく彼も私に好印象を抱いてくれた。

彼にとって私は、どのような存在であったのか。
寝る前に明日も会えたらと思う存在であっただろうか。疲れて家に帰ったら顔が見たいと思う存在であっただろうか。私にはわからない。そうであったら、少しは救われるかもと希望だけが残るのだ。

確かなことは、彼の心には忘れられない女性がいた。私はその存在に気付きながら、あなたのことを信じているという言葉を使いながら、私のことを裏切らないでと暗に伝えていた。直接的な言葉を使えば、嫌われるかもしれないからと、優しい女性のフリをしながら

しかし、本当は彼が彼女のことを忘れないことなど、分かっていたのである。一つだけ自負している事があるとすれば、彼の思う彼女より、私が彼を大切に思っていることであった。それを彼に分かってほしくて、たまには可愛い女になって彼のそばにいても、彼が手に取るのはあの本なのである。

私は知っている。その本は、彼の傷心を、彼の悲しみを、そして彼の恋心を支えてきた本なのである。
彼と彼女を繋ぐその本なのである。その本を手に取る彼の顔は、どこか物悲しくて、私の知らない彼なのである。私は、そんな顔にさせるその本も、その本の奥にある彼女も、そして私の知らない彼も嫌いだった。大嫌いだった。そんな本なんて忘れてほしくて、私は彼に「紅茶を淹れてくれない?」といつも言うのである。泣きそうになる私のことなど、知らずにあなたは私の好きな笑顔で「いいよ」と答えるのである。

思い出はいつでも美しい。いかなる悲しみの底でも思い出だけは美しいのである。いつか私のことが彼の思い出になった時に、私は思い出されるだろうか。
彼は、彼女のことを「よく笑う子だったよ。」と言ったことがある。好きで聞いたことでしょ、そう自分に言い聞かせながら、あの本を読んでいる時と同じ顔の彼に私は何も言えなかった。いつか私のことを思い出す時がくるだろうか。寝る前に、疲れて家に帰った時に、私のことを思い出すだろうか。
多分、彼は「いい人だったよ。」そう言うと思う。

私は、あなたの優しさが大好きだった。彼女への思いが書かれている彼のブログを読んでしまったあの夜も、気づかないふりをして、突然あなたは優しい人だから、なんて言った私も優しかっただろうか。
美しい思い出はいつでも優しいけれど、心の痛みは癒してくれない。そう、理解した今の私ならば、あなたともう一度出会ったらまた恋ができるだろうか。私のことを見て、変わったね、なんて言って恋をしてくれるだろうか。まだ若い私には、今日の涙さえ笑う日が来るのだと思う。きっとあなたも、私の知らないあなたになるのだと思う。

しかし、おそらく、あの本を読むあなたは変わらないはずである。それでいい。この本のページをめくりながら、あなたの彼女への思いをなぞるのではなく、私はあなたの悲しみを抱きしめたいと思った。

今の私なら、あなたの横顔に「コーヒーでも淹れようか」そう優しく言えると思う。



この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?