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6.【心の中のかけら】 目の前にある美しさ

今朝はいつも以上に日差しを明るく感じる。(もしくは、本当に日差しが強く秋晴れのような天候なのかもしれない。)

わたしが今の住まいを選んだ理由の一つは、南に大きく開いた窓の存在も大きい。今ではこの窓際で味わう朝が好きで、モノは増やしたくないけれど、やはり改めてバルコニーテーブルを探そうと思う。

そうとはいえ、きっとわたしのことだから、心から気にいるものを見つけるまでひたすら探し回るのだろう。それまではお気に入りのヴィンテージテーブルを使おうか、と窓際まで引き摺り、パソコンを開いた。するといつもとはちがう景色が広がり、これはこれでいいかもしれない、と満足感に浸る。


今日は美容院に行くつもりでいたが、まだ体力も気力も万全でない自分の存在に気づき、昨晩泣く泣く諦めた。

でも、あのときに諦めていなければ、こんなにゆったりとした朝の時間には出会えていなかったはずなので、これでよかったのだろう。

おかげで今、わたしの心の中はとても穏やかで清々しい風景が広がっている。しかし、相反して、その自分が不思議でならないという感覚もある。今日はその感覚に足を止めてみることにする。


なぜ、どう考えても穏やかな要素を感じられるような現実の中に身を置いているわけではないわたしが、穏やかさを感じられているのか。(現実では心身ともに万全ではないことに加え、新たな気落ちする出来事も起きている)


思いを巡らしてみたところで、“もしかすると、わたしはようやく自分とまわりを切り離して感じられる術を身につけられたのかもしれない”という考えにたどり着く。

感情はわたしの全てではなく、わたしの一部であり、また、現実も同じことだという感覚だ。


以前のわたしは、感情に呑まれ支配されてしまうし、目の前に起こることは、たとえ他人の出来事でも、自分の出来事として捉えてしまう節があった。いや、その生き方しか知らなかったのである。

でも、そこを切り離してみられるようになると、不思議なほど心が揺れ動かなくなっている自分に気づく。そのわたしは、瞳を閉じて、ただただすべてに耳を澄ましているようなイメージだ。

確かに大変な出来事の渦中にはいるが、今のわたしはこの美しくて温かい朝に身を置き、夜までは自由に過ごすことができる。昨日新しく届いた本を読む楽しみだって待っているし、“今”はなにも大変ではないのである。


この今しかない美しい瞬間を大切にできれば、きっとわたしはそれだけで幸せなのだ。

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