数学が気になるこの頃 ~短詩と数学のつながり~

 私の専攻は、かんたんにいうと統計学とか情報学とかプログラミングとかです。いわゆる流行りの学問。このコロナ禍でこちら方面の仕事の需要が増えるとのことで、周囲の大人にちょっと勉強を急かされており、資格の問題集とか買ってみたけどぜんぜんやれてない。というわけで、回り道かもしれないけど、まずはその分野を好きになりましょうキャンペーンをいろいろやってみているこの頃です。ほんとは資格の勉強をさっさとやったほうがいいんだろうけど、(ヾノ・∀・`)ムリムリ。そんななかでなんかおもしろいなーと思った話をします。

 ご存知のとおり、統計学はがっつり数学をつかいます。いちおう高校では理系だった私ですが、エセ理系だったのであんまりちゃんと本格的に問題集をやりこんだりはしていません。一般入試じゃなかったし。ああいう問題集をストイックにやりこむおもしろさってあるんですけど、大学入ってからそういうのしてないなあ、ちょっと懐かしいかも、と思ってほんとに初歩の初歩もいいとこの問題集をまず借りました。『数学入門』。夏にちょびっとだけやったんですけど、まあ忘れてるね。自分にドン引きます。中学レベルを思い出すところからってどんだけ記憶喪失なん。あんなに楽しくやってたやんー、みたいなこともまあまあ忘れている。こわ。継続って大事だね。

 さて、数学に魅せられた人たちの言葉で、その「美しさ」みたいなものって結構語られます。私の高校にいた教師も数学が好きな人しかおらず、授業で板書しては「美しいな~」と言う教師が何人かいました。私はといえば、数学が「楽しいもの」っていう意識ならまだしも、「美しい」っていう意識はあんまりない気がする。そんななかで『世にも美しい数学入門』(ちくまプリマ―新書)という本を見つけました。藤原正彦さんという数学者の方と、『博士が愛した数式』を書いた小川洋子さんが対談していくなかで、数学が持つ美しさを読者にゆったり教えてくれる、みたいな本です。この藤原正彦さんは新田次郎、藤原てい作家夫妻の息子さんだそうです。私はこの夫妻は知らないけど、この本のなかでは、藤原さんが子どものころ、庭の風景をお父さんと一緒に眺めていたら草に水玉が光っている、「あの水玉が七色に光っているのは太陽の光が反射と屈折を繰り返しているからなんだよ」、そしてこの景色をつかって即興で俳句をつくってみようという話になった、という、科学と情緒の教育を同時にやってくれたんですってエピソードが出てきて、素敵やん……そんなん好きになるやん……と読み進めていったのでした。

 いわく、日本人の伝統には俳句がありますが、本質を短い言葉で表すその行為は、複雑な現象をひとつの式で表す数学と共通するところがあるそうです。日本人にはそこまで意識がないかもしれないけれど、日本の学問でいちばん世界的に優れているのは文学で、だから美的感覚が他の国より優れている。そして二番目に優れているのは数学で、数学にはなにより美的感覚が必要なので、日本人の感覚は数学向けなのだと藤原さんは言います。もしノーベル数学賞があったら日本人は20人は獲得していたはずだと。俳句ではないけれど、短歌をやっている人間としてこれほど励まされる言葉もありません。そこがつながるんだー、まあまあ予想外やなーみたいな。考えてみれば昔から好きな教科は国語と数学でした。はえー。見抜かれている。日本の文系理系の枠組みは無意味だ、とはいろんなところで見かけるけれど、ではどんな例外があるか、という話をしてくれた人ははじめてだったので、なんか嬉しくなりました。

 他にもこの本のことを語りだしたら全部の章を引用してしまいそうなのでこのへんにしておきます。私はすっかり触発されて、もといやる気を出して、数学の一般教養科目を取ってみたりしました。この本で出てきた定理も授業で偶然出てきたりして、なかなか楽しいです。なんだかすっかり本来の目的(資格取得)から脱線しているけど、勉強の楽しさを思い出せたからいいか。なーんてね。おわり。

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