見出し画像

あやふやなままで

MRI検査を受けることになった。診察中に決まり、その日の夕方に受けられるとのことだったので、30分ほど待って、受けた。

私が最初にMRIの機械の中に入ったのは10代の頃だった。その時に比べれば、機械音も酷くはないし、横が空いていて密閉されるわけでもないので、検査の苦しさは随分改善されているのだと思う。数十分、ずっと同じ態勢でいなければいけないのは大変ではあるが。

結果、問題はほぼなかった。正確にはちょっとした問題はあったのだが、それが原因で、私が困っている症状が起きているわけではないそうだ。とりあえず、MRIで見つかるような病気は、私には起きていない。それはいいのだが、では、私の困り事の原因はどこにあるのだろうか。わからないままだ。

いくつかの診療科をはじめ、いろいろな所で診てもらったが、問題の原因はわからない。これではないかという理由は挙がっているものの、それだとはっきりしてはいない。白黒はっきりしてくれれば、問題がすぐには解決しないにしても、納得はできるのだが。

しかし、この世の中、なんでも白黒はっきり分けられるものだろうか。違うと思う。白と黒の間の灰色、しかもその灰色はグラデーションになっている。たくさんの灰色を手にしては、これはOKなのかNGなのか、私たちはそれぞれ、その都度、判断をしているのではないか。それは面倒なことだが、そういうあやふやな物事、一つ一つに丁寧に接していく態度のことを、多様性への対応と呼ぶのだとも思う。

私の体に起きている、何なのかよくわからないあやふやな問題。それと私はしばらく付き合っていくしかないのだ。そういうものとして、受け入れてしまうほうがいいのだろう。付き合ううちにそのあやふやさも、そういうものとして受け止められるかもしれないし、そうではないかもしれないし、でもそれが存在することは認めなければならない。

この記事が参加している募集

多様性を考える

お気持ち有り難く思います。サポートは自費出版やイベント参加などの費用に充てます。