見出し画像

人と違うことは相手のものさし


最近、カウンセリングをしていると

「相手との違い」や「相手から見られる自分」
「周りからの評価」を気にするがあまり
 本来の自分らしさを見失っている方が
 多いなと感じる。


相手の求める自分になろうと、
そのことにばかり目を向けていると

自分の個性や自分の価値が分からなくなっていく。

今日は、そのことについて書いてみようと思う。


今からずっと昔(笑)
まだ心理カウンセラーとして
勉強中の時、いろいろな学会に参加した。

当時、若くて女性である私は
学会で、なかなか心理学者や
心理の専門家たちに相手にしてもらえなかった。

学会は、男性の先生ばかりで
みんな年齢も高く
経験も知名度もある方ばかりだった。

女性である私が会場に入っていくだけで
じろじろ見られた。

女性が少ないことに対して

私と同じ立場のような
女性の若い先生は
卑屈になるような意見を
言われていることも耳にした。


私は、学会中、発表されている先生に
わからないことがあると
いつも手を真っ直ぐに上げて、質問した。

通常は、講師が
受講している人を当てる時

「〇〇先生」と席の前にある名前を呼ぶのに

私だけ、名前がなかった。
名前を呼ばれなかった。

いつも「フレシュマン」って当てられた。

しかも講師は、笑いながら。。。
会場も笑いが起こっていた。

私は、そんなこと気にせず
毎回、研究発表や論文の中の
新しい知らなかったことを

一生懸命、質問した。


「フレッシュマン」って
「マン」は男だろっ・・・と
自分の心の中で秘かに突っ込みながら(笑)

でも、その時、私は
それを「女性だから軽視されている」とか

「女性の心理カウンセラーだから」だ

なんて思わなかったのを覚えている。


こういう世界なんだと。

こういうことを私にするのは
環境の問題で
相手の心の問題なのだと。

男性と比べて女性である自分を想うと
「差別された」「区別された」ことに
目がいってしまう。

学んでいた時の私は
必死だったので、そんな扱いを
気にする余裕もなかったように思う。

私はこの時の出来事を
10年以上たっても覚えているように
されたことは覚えている。


でも、悪い記憶ではない。

こうやって会場で特別扱いされたことで
他の先生からもよく声をかけて頂いたし

私の会場中の先生が覚えていてくれた。

「フレッシュマン」の呼び名によって・・・。


・・・・・・・・・・・

今から10年以上前、

仕事で、ヨーロッパへ行った時
アジア人である私は通された席が違っていた。

“人種差別”というのをはじめて経験した時だった。

一瞬、悲しい気持が
心の中を大きく占領しようとしたとき

これは、私の問題ではなく
相手の問題なんだと思った。


今日のこのnoteで
私は、差別や区別について書きたいわけではない。


今、私のカウンセリングルームを訪れる

クライエントさんの中には

・女性であること
・学歴がないこと
・〇〇ができないこと

こういうことにとらわれて


相手からの評価をとても気にして
それが悩みになっている方も多い。

相手が自分のことをカテゴリー分けしたり
相手が、相手の価値観によって

自分のことを評価したり、査定するのは

相手の問題であって
こちらの問題ではない
と私は思っている。


女性であることが
ハンディだと思う環境にいるなら
環境を変えればいい。

今、すぐには変えられなくても
変える方法を模索すればいい。

方法を探し、見つけ出して欲しいと思う。


子育てをしていることが
ハンディなら
それを受け入れあるがままの姿を

受け入れてくれる場所や働き方を
探すことが大事だと思う。


自分の中に変えられないものを
変えようと思ったり

周りを変えようとすることは
とてもエネルギーと時間がかかる。

変えられないものは
「過去」と「他人」
変えられるものは
「未来」と「自分」


同じ物事も違う方向から見ると
違うように景色が変わる事はよくある。


あなたの素晴らしさが分からず
あなたの魅力もわからない人に

自己肯定感を下げられてはダメだ。

その人は、あなたの人生に必要な人じゃない。


自分が自分でいられる場所を
見つけて欲しいと思う。


頑張ることも大事。

でもがんばる場所
エネルギーを注ぐ場所を

間違えてしまうと
それは、ただの「消耗」になってしまう。

心も体も消耗する。

自分の大事な人生と限られた時間を

「消耗」に使うのではなく
自分の輝ける場所と時間に使って欲しいと思う。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?