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今まで知らなかった「福祉サービス」

以前に、社会福祉協議会にて
講演をさせて頂く機会があり

その際に、ご縁を頂いた職員の方と
久しぶりにお会いして

コロナにおける社会福祉現場の
現状についていろいろとお話を
お伺いすることができた。

大変な状況の中、職員を
コロナ感染から守りながら
地域の方に対して援助することの苦労や

職員の方々、お一人づつの
価値観や家庭の状況によって
仕事に対する考え方
コロナに対する考え方

福祉の現場は
今まで経験した事のない
対応や決断に迫られ

前例や基準もない中で
新しい基準、ルール、マニュアル
優先順位を考えること等
大変なご苦労をされ
自然災害が起こった時と
同じような状況下だとお話しされていた。

現場職員が障がいのおありの方や
高齢者の方との関わり、
身体のお強くない方々と接触する
頻度が高い中、

もし「自分が感染してしまったら」と
考えながら生活することのご苦労と
精神的なストレス。

医療現場も福祉の現場も
現場での壮絶な戦いと共に
自宅に帰ってからも
細心の注意をはらっての生活や行動。

医療や、福祉の現場で働く方を支える
その方々の家族も神経をすり減らすぐらいの
注意をされていることと思う。

神経が休まらないまま
自宅での時間を過ごす方も多く
援助する側の精神的疲労も
かなりの蓄積になっているようだった。

どんなにつらくても苦しくても
目の前の困っている人のために
どれだけでも動こうとする力は
本当に頭が下がる想いだ。


職員の皆さまのストレスをお聴きした後、
社会福祉の中に「こんな援助もあるんだ・・・」
「こんなことまでしてくださっているんだ」と
感心させられるお話しをお聴きした。

社会福祉協議会の方の「援助」の中に

家族の中で、
1人感染者が出てしまった。

感染者が出れば
家族はみんな濃厚接触者の
家族となるので
家から出られなくなった方(家族)
への
援助があり、そのことについてお話を聴いた。

例えば、
お父さんが感染し
お母さんと中学生の長男と小学生の長女は
濃厚接触者として自宅待機になった場合

症状は出ていなくても
家族全員、外出ができなくなる。

その際に、お母さんは
家族が自宅にいるのに
買い物に出れないから
食事を作ることができない。

そんな時に、福祉現場の職員が
その連絡を受け

お母さんの代わりに
食料品等の買い物の援助をする。

福祉の現場でそのような援助体制があることを
私は、今回、お話し聴くまで知らなかったし

コロナにかかった際に
簡単に「自宅待機・自宅隔離」としても

隔離された側の日常生活は
突然、奪われることなんだと
買い物すら行けなくなり
食事も作れなくなる。

「様々な問題」があることを教えて頂いた。

「買い物」を代行する援助をする際には
「福祉職員」が、その方の自宅へ行くわけだが

もし、万が一、福祉職員が制服を着たまま
その自宅へ伺うと・・・
福祉職員だとわかるので

ご近所の方に
コロナ感染者がいるコロナ感染者の家族であることが

分かってしまう、広まってしまう可能性がある。
ご近所に分かってしまうと
このご家庭が「差別」や「偏見」を受ける
可能性があるので

福祉職員は、依頼された方の自宅から
離れた場所に車を停めて
制服を脱ぎ、首から下げている名札を外して

誰にも分からないように
ご自宅に向かう。

職員は、ご依頼のお母さんには接触できないので
事前に職員が分かるところ(郵便受けなど)に
封筒に入れたお金と
買い物のメモを入れてもらって
買い物に行く。

ただ、この間にも注意点があり
この預かった封筒とお金を
郵便受けから取り出す時は

使い捨ての手袋をし、厳重に防護して
職員自身も徹底的に消毒をして

封筒とお金は一旦、その場で
密封されたビニール袋に入れ

事務所に戻って、
現金(お金)のすべて消毒をしてから取り出す。

最善の注意と配慮をしながら
こんな援助をしている職員がいること
私は、知らなかった。

この援助は、
ご家族と暮らしているご家庭より
一人暮らしをしている方のほうが切実で、
援助があることを知り、利用されている
ケースが多々あったとのこと。

検査が、陽性か?陰性か?が
大きな問題のようにクローズアップされ
感染したら簡単に「隔離」や
「濃厚接触者」って言われるけれど

コロナによって当たり前の生活、
当たり前にできていた社会活動が
奪われることなんだと実感した。

福祉職員が自宅へ向かうことが
周辺住民にわからないように
配慮することが、非常に重要な理由は

コロナ感染者に対する偏見や差別が
現場では、多々起こっているからと
さらにお話をお聴きした。

この福祉事務所管内で起こった具体的な差別の事例
【 事例1 】

高校1年生の子どもが感染したケースがあった。

その情報が、周りの方の耳に入ったら
SNSにより拡散されてしまい
自宅に嫌がらせが入るようになる

その嫌がらせはどんどんエスカレートし
長期間、続いてしまった。

自宅のポストには、
「学校行くな」
「家から出るな」
「高校に来るな」と

手紙が入り、
自宅に張り紙をされたり

高校生の子どもは傷つき
外に出れなくなって、
結果的に高校を退学してしまった。

なんて、ひどい話なんだろう。


そもそも、コロナに感染することは
本人の責任なんだろうか?
本人がそんなに
責められなくてはいけないことなんだろうか?

きっと、この子どもは、
昨年、受験勉強を頑張って
緊張の中、試験を受けて
新学期、高校へ通い始めていたのに・・・

コロナになったことで差別を受け
本人は悪者のように周りから言われて

高校を退学するなんて
コロナのせいで・・・いや、
コロナを怖がった人たちのせいで
この子どもの人生が変わってしまう。

本人もご家族もどれだけつらい思いをしたかと
想像しても、その苦しみは計り知れない。
【 事例2 】
保育園に子どもを預けている
お母さんがコロナに感染し
母子ともに保育園を休んでいた。

母子ともに回復し
母は、また仕事を再開しようと

保育園に子どもを預けようと思ったら
Twitterに、とてもひどいことを書かれてしまい
子どもを預けることができなくなってしまった。

保育園からも
保育士を含め検査を受けていることや
休んでいた園児も大丈夫だということを
ご家庭に、再三伝えたし
園内に張り紙もしているけれど

SNSへの投稿は止まらない。
書いてる人は誰かもわからない。


福祉の現場にて聞こえてくる話は
非常にひどいケースや

本当にお困りの方の話なので
ひどい話ばかりに聞こえるが

日本中で、こんなことは起きているんだと思う。

コロナという「ウィルスに感染する」ことは怖い。
多大なるリスクがあるし
恐怖であることは間違えがない。

でも、今は「コロナに対する不安」という
私たちの心を汚染するウィルスの方が
驚異のように思ってしまう。

コロナにかかった人に対して
誹謗中傷をあびせ、差別をして

今、日本のいたるところで
様々な方法で、コロナにかかった人に
ひどい扱いをする。

そんなことが蔓延しているのだとしたら
私たちは「心」を
どう持っていったらいいんだろうか?

ひどいことをSNSに発信する人に言いたい。
ひどい扱いをする人に言いたい。

「もし、自分がそんなことされたら
どんな気持ちになると思う?」

自分がされて嫌なことは
お友達(他人)に、してはいけないって
小学校でも教えていること。

でも、きっと、ひどいことをする人は
自分がされて嫌なことをしているという
認識はなく

大前提、
「自分はコロナにかからない」
「自分はコロナにかかりたくない」

だから、コロナにかかった人は
自分のそばに来ないで欲しい。
=外に出るな。近寄るな

ということになっていく
そんな思考になっていくんだと思う。

それは、本当に悲しいことだ。
人として悲しい。



先日、読んだ 
アルベール・カミュの”ペスト”の中に



今の私たちも心に留めたい言葉がたくさんあった。

【 「ペスト」の中から心に刺さった文章 】
”誠実”とは、今、自分のできることをやること
”絶望”に慣れることは
”絶望”そのものより悪いこと
”現在”だけの”囚人”になる

人間とは何なのか?
連帯の可能性
 ↳ 連帯とは行動の中で
   人と人が結びついていくこと

外側から襲ってくる脅威・不条理に
お互いに反抗することで連帯が生まれる。

私たちは、このコロナの時代の中で
目に見えるものを失うばかりでなく

このままでは、目に見えないものまで
奪われてしまいそうになっている。

福祉の現場で起こっていることは
私たちの生活のすぐそばで
起こっている可能性がある。

苦しんでいる人がいたら
手を差し伸べてあげてほしい。

苦しんでいる人がいないか
少しだけ顔を上げ視野を広げて
周りを観てほしい。

お互いを思いやる気持ち
「思いやり」の感度を上げていきたいと思う。

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