四捨五入って残酷だなぁ...っていう小話。
小学生の頃、
「郷ひろみの2億4000万の瞳ってどういう意味なん?」
と、親に質問したことがある。
そのときに初めて僕は日本の人口が約1億2000万人だと知った。
しかし、後に学校で社会の時間に統計が載った資料集をペラペラと巡っていたら、実際には、その800万人も多い、約1億2800万人ということが判明した。
当時僕は、
「その切り捨てられた800万人は、いったいどこの誰なんだろうか?」
「もしかしたら、存在を消されたその数字の中の一人は僕なのかな?」
とか、思っていたなぁ。
数字とは往々にしてそういうものだけれども、なんだか無機質で非情だなと思った。
その頃から、「四捨五入」の概念が適用されている物事を見聞きする度にそう感じている。
(※ちなみに、上記のエピソードは四捨五入ではない。)
四捨五入で切り捨てられた端数は、
死んでいるような人を指しているかのように感じた。
逆に、切り上げられた分はどこから調達してきたのだろうか?
僕は数字や数学が好きだし、割かし得意だったと思う。
だけど、
四捨五入って残酷だなぁ。
と思っていたし、今でもそう思う。
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