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自分の記憶は良くも悪くも信用できない。

僕は自分の記憶を信用できない。

いつからだったかは忘れてしまったが、
僕は地球誕生五秒前説みたいに、
「記憶を植え付けられてだけの人間」
のような感覚に陥ってしまっている。

記憶の所有者が自分なのか他人なのか常に疑い、曖昧になり、区別できない状態になっている。
例えば、
自分の頭にインプットされている個々の記憶は、
「自分のものではなく映画やアニメ、小説のエピソード、誰かから聞いた体験談だったのかもしれない。」
とか
「もしかしたら自作の物語の主人公が経験したことだったのかもしれない。」
などなど。
そんな不思議な感覚。

つまり、僕の脳には無機質なデータだけがあって、そこに五感は付随していない。
だから、忘れる。




この性質は、良い面もあれば悪い面もある。

良い面であれば、過去に自分の身に起きたトラウマや後悔をいつまでも振り返り続けることがなくなった。
例えば、
「あのトラウマや後悔は自分が経験したものではなく、他から取り入れたものなのかもしれない。」
と疑うことで、記憶の所在地をあやふやにして、ふと過去の嫌な出来事を思い出しても、その感情を軽減させられる。
そもそも、これは人間が絶望しないために元々は遺伝子に組み込まれている性質で、自分にはそれが強く出ているだけかもしれない。

悪い面は、過去の懐かしい思い出も一緒に疑ってしまうことである。自分に固有・特有の思い出が、他人のものと混ざって曖昧になってしまう。
例えば、
僕の出身地は○○県なのだが、
他人に「君って△△出身だったっけ?」と間違えられることが多々ある。(似た場所にある県同士だからだと思う)。
そのとき、僕は「もしかしたら僕の出身地は○○県じゃなくて、△△県だったのかもしれない。」と自分の記憶を疑い、相手の記憶の方が信用できるのではないかと考えてしまう。
今の自分を形成した環境である地元の記憶も忘れてしまう。それはとてつもなく悲しい。


自分の記憶もコンピュータみたいに、厳重に保管したり、自由に書き換えたり、自分の思い通りに消去できたらいいのにな。


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