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長崎異聞 38

 蒼緑の瞳に強情が篭もっている。
 梃子てこでも動かぬ心境が鈍く光る。
「村田さまには通詞が必要でございます。私が同行するのは道理でございます」
其方そなた、覚悟はおありか。此度の入関は敵地に入るのと同義ぞ」
「そもダルボン卿も聡明な方。この身に何かあれば、我が家との闘争となります。それに利ありや、愚ありやはわきまえている方でございます。火の粉が頭上に広がるにおいては敏感なお国柄」
 醍醐は一歩を踏み出そうとした。
「貴君はいかんぞ、敵意を呷るようなものだ」
「そして仏蘭西には危うい側面がある。この百年の内に、革命の時勢で王を殺し、皇帝を放逐し遂には獄死させる国だ。この門司という租借地は日の本の喉首に掛った匕首である。そして欧州情勢が三竦さんすくみになっている今より、奪還の好機はない」
 軽い溜息をついてユーリアが語りだした。
「村田さま・・長崎にLe Angeというサロンがございます。そこで耳目にした噂によれば、やはりビスマルク翁は弥生3月に宰相の座より追われ、引退を余儀なくされたようです」
「成程、それは江藤新平君が欧州に置いた、大使からの書簡報告を受けておる。それではプロイセンと露西亜との再保障条約は廃棄となるか」
「期限は水無月6月となります」
「それは西欧暦かね」
「はい、もう二週間もありませぬ」
「欧州は戦乱の火花が散るか」
 橘醍醐には両者の会話の機微は判らぬ。
 ただユーリアが銘家の出身であること。
 さらに彼女が長崎のサロンを巡りながら、西欧事情について調べていたこと。それは恐らくは陸奥宗光の指図であろうこと。
 そこまでは了解した。
「醍醐君、貴君には任務がある」
 呆気に取られているであろう醍醐に、締め括りのように蔵六は言った。

 丸菱の石造倉庫に入る。
 蔵六と醍醐のみである。
 ひんやりとした空気の中に、天窓より光軸が斜めに屋内に突き刺していた。その筋交い状の斜光の束の内側にのみ、埃が輝きながら浮いていた。
 その巨大な倉庫をすたすたと蔵六が奥へと進む。途中で、儂だっ、と大声で呼ばわった。そうして小山の如き黒鉦くろがねの物体の前で歩を停めた。
 複数の銃身が束ねられており、機関部らしき塊に接続されていた。黒々と鈍く光る、それは禍々しい毒蟲の如き姿であった。全体を巨大な木製の二輪動輪が支え、整備をしていた男たちが敬礼をして並んでいた。
「ここで試射などは出来まいな」
 その言葉に丸菱の整備員たちが頷いた。
「動体保存をしていたのであるが、腔発事故こうはつじこを起こさねばよいが」と口走り、「あのな、古い火薬を使ったり銃身が未整備で撃ったりすれば銃の薬室内で誤爆をするのだ。誤爆、つまり腔発事故では射手は只では済まぬ。良くて腕一本、悪くて即死よの」
「これは・・」
「グラバー卿の隠し持つ、南北戦争で配備されたガトリング砲よ。この円筒砲身が回転しながら撃発し、連続斉射が可能となる。どうじゃ、これがあれば数人でこの居留地は護れよう。二個小銃隊よりも火力高し」
 蔵六は更に奥へと案内する。
 次に鎮座しているのは六門のアームストロング砲である。
「これは・・・」
「なに高雄丸の搭載砲よ。まずはこれを先に荷下ろししておいた。偽装はしたがな」
 醍醐の眼は見開いたままだ。
「ユーリア嬢の色香に惑わされおって、検分を怠るとこうなる」
 彼は顎を撫でながら、入国審査に乗船してきた赤ら顔を役人を嗤うのである。
 
 

 


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