おフランスでは負けてからが勝負ざんす 3 #青ブラ文学部
フランスは敗戦国ですよ。
第二次世界大戦において。
ですがちゃかりと戦勝国に仲間入りして、ばかりか国際連合には五大国の一翼を担います。
ナチスドイツの電撃作戦においてフランス共和国は降伏し、ペタン将軍を首班とする傀儡政権ができます。フランス国土の最も工業化の進んだ、パリを含む半分がヴィシー政権となります。
フランス共和国はほぼ二等分に分断され、南部ではレジスタンスとして市民が銃を取って抵抗します。ゲリラ戦を市街で行うテロ容認の時期です。
ヴィシー政権下では、あらゆる都合がナチス優先となりまして。
それで進駐してきたドイツ人の家庭で、生活苦から働くフランス🇫🇷娘が増加します。未成年もしくは未亡人などなどが、家政婦をしたり、通訳をしたり、タイピングをしたりと。
なかにはドイツ人と寝る娘もいたでしょうよ。
最も著名人なのは、ココシャネルでしょうか。
フランスのエレガンスの真髄と呼ばれ、女性たちを旧来のコルセットのような束縛から解放する、という衣服のデザインを行いました。
実はこの時期の彼女は、ナチス情報機関に所属する、ディンクラーゲ男爵の愛人でもありました。
そのヴィシー政権は、連合国軍のノルマンディー上陸作戦で崩壊します。
ノルマンディー上陸作戦では、連合国軍兵士らによる強姦が相継ぎました。ヴィシー政権はナチス傀儡政権なので、敵国を占領した高揚感のご褒美というわけです。
輝かしいパリ解放の、光景です。
4年間に及ぶナチスドイツによる、抑圧。
その憎悪は彼女たちに向かいます。何しろテロ容認の気風ですので。
パリだけでなく、国家を取り戻したフランス共和国の全土でこの復讐めいたリンチが発生します。
集団で取り囲み、髪を剃り取られ、衣服を剥がされて市中を引き回します。肉体に鉄十字を描かれた女性もいます。
ナチスと寝た女、とレッテルを貼られて蔑まれます。まさに犠牲の羊です。
実際の愛人は、ほんの僅かだったでしょうに。
これが彼らの考える、自由、平等、博愛です。
シャルル・ド・ゴール大統領。
将軍であった彼は、ヴィシー政権時にはイギリスに亡命していました。彼の麾下である軍隊は武装解除されて、辛酸を舐めていました。
なのにここからフランス共和国は、五大国の仲間入りを果たすのです。
往時は大日本帝国の一部でありながら、戦後には日本を戦犯国と罵る国家の気風にも通じるものがあります。
パリオリンピック、私は一切その競技を観ていません。
彼らの主張は、真髄を糊塗したものしか思えなくて。
このような国が徳川幕府の後ろ盾となり、傀儡政権にしようと画策していたことを思うと、背筋がぴんと伸びる思いですね。
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