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長崎異聞 41

  これにより露は、亜細亜へ侵略を開始する。

 そう蔵六、いやさ兵部省大臣、大村益次郎卿は予言する。
「僭越ながら、その道理は判りませぬ」と醍醐は正直に言う。
「そうさな、貴君は剣術を嗜んでおるが、前後に刺客を立てられたら如何する。それも同格の剣士であった場合だ」
そもそもそんな窮地には陥りませぬ。ですが已む無き場合であれば・・・そうですな、前後が、初撃を一閃する前に横へ退きますな」
「正しい。同格の戦力に挟まれた場合は横へ退路を導き、背を護る。そして両者を正面に据えて、闘うしかあるまい。戦も同様よ。それを理解していたのが、独逸宰相ビスマルクであった」

 益次郎は語る。
 ビスマルクは仏蘭西に対して包囲外交を行った。
 独墺露でのそれぞれの皇帝が結んだ三帝同盟(1873)と独墺伊の国家が結ぶ三国同盟(1882)を結ぶ。かつ仏との宿敵である英国とも協調する。
 露西亜皇帝が更新拒否することで三帝同盟が解消すると、ビスマルクは独露再保障条約を締結してまでも、仏を孤立せしめる。
 なぜそこまで仏蘭西を敵視していたのか。
「確か卿はナポレオン帝を高く評価していました」
「然り、彼は草莽のなかから出でて、仏の頂点に立った。四面を敵にした仏蘭西を背負ってな。一介の砲兵伍長から皇帝に昇りつめたのが、ナポレオン公よ。謂わば太閤秀吉公に近い」
「その軍事力を忌避したのですか」
「違うな、あの国が示した脅威は、仏蘭西のrevolution革命という熱病よ」
 橘醍醐はその奇矯な言葉の真意が理解できない。
「かの国はの、ブルボン王家の国王ルイ16世の首を断頭台で打ったのよ。さらには貴族・豪族のことごとくを断頭して回った。財産を収奪して回ってな。
そこで考えてみよ、西京におわす帝、さらに葵御紋徳川家を我ら日本人は踏みにじれるかね。なかなか出来るものでもあるまい」
 滔々たる歴史の上にある権威をも踏み躙る、その感覚は確かにない。畏れ多いという感覚を失しているのだろうか。
 ビスマルクはその十重二十重の同盟の鎖にて、仏蘭西を拘束し続けた。西欧で藻掻き足掻いたその国は突破口を亜細亜に求めた。幕府に接近し知識を焚きつけ、外交で優位を取ろうとした。
「然しな、儂は危惧しておる。その本分は変わらぬものよ。我が盟友、江藤新平が書簡で知らせてきた。いずれ連中は、そのrevolutionを持ち込んでくる。あの西マルセイユと名付けられた門司港というのは、日本にとって喉首に刺さった毒針なのだ」
 鉄血宰相ビスマルクを引退に追いやったのは、父の後継となり日陰暮らしを強いられた凡庸な皇帝ヴィルフルム2世である。彼はまず宰相の手腕を否定することから始まる。
 露西亜との秘密条約を破棄したばかりか、露皇帝アレクサンドル3世に対して亜細亜を視野におくべしと進言したらしい。
「つまりは独逸は前後を露仏同盟に挟まれ、西欧での活動を封じられた。ばかりか後背を衝かれる心配のなくなった露西亜は、亜細亜へ長駆して遠征も可能となる。
その一翼を担うのはシベリア鉄道。全長2万5千キロになんなんとする鉄道は開業を迎えておる。モスクワとアジアまでひと月もかからぬ。厳冬期の三月は使えない無益な鉄道だ、されどそれが兵站となれば、如何する」
 ぞわりと背筋が泡立った。


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