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風花の舞姫 鬼篝り 3

 物心がついたのは慶長年間だった。
 四世紀は生きてきたことになる。生まれは堺だった。当時は下り酒の樽廻船で大坂は賑わいを見せていたが、そこからあらゆる地域を巡ってきたことになる。
 この樽沢の神社に棲むようになって、もう20年にはなる。
 歳を取らない巫女として噂になることを避けてきたし、今では「先代の姪」という名乗りで通している。
「鳴神さま、鳴神六花なるかみ りっかさま。ぜひまたこちらに参ります。お焚き上げもこちらにお願いいたします」
 奥さまは花咲くような笑顔を、車窓から覗かせて去っていった。出不精の私でも、駐車してある場所まではお見送りした。
 先刻に祓ったときは、刃の姿で切りつけてきた。まとめた髪の結い紐を断たれた時だ。今度は形状を変えてくるのだろうか。鉛筆の芯の炭素組成もダイヤモンドのもそう変わらないので、注意しないと。
 
 あの交差点にいたのは、動物霊だった。
 車に撥ねられて死んだ動物の地縛霊で、数体が集まってそれなりの能力を得ていた。見通しのいい交差点であるものの、目眩しで幻惑して、運転者には虚像を見せていた。事故が絶えない交差点になったのはそういう理由だった。運転者の足首に憑依して操ることさえ可能だったかもしれない。
 あの子が交通事故死したのは、そんな吹き溜まりの霊場だ。

 なんかね、たくさんいたの。猫が多かったかな。お腹がすいていて、琴乃がなんか持ってないかって。それで誘われたの。でも学校だったし、あげる
ものなんてなかったの。
 ずっと一緒にいたよ。
 でもよく噛んでくるし、引っかくし。遠くでじっとみていたよ。

 彼女のノートから、鉛筆芯の成分を引きはがすときに語ってくれた。
 炭素と紙面を密着させている水分を、超寒気で分子的に絶ったのだ。
 文字の悪戯書きは別人の手に依るもので、裏の悪意まで見えている。
 それがもうひとつの半紙に封じてある。
 ここからが私の食餌だ。
 壁にもらせていた緋扇を手に、本殿の結界に入った。
 ただ祓うだけなら、こんな舞台装置も装束も本当は必要がなかった。ただの演出だけど、尤もらしく依頼人に観せる必要があった。
 半紙がふるふると蠢いている。
 僅かな変化を見誤らないように近づいた。暫く時間を置いたので、解凍されてしまったようだ。
 やはり。
 しゅん、と空気が鳴って針が眼を突いてきた。
 甘い。読めているわ、それくらい。
 私の呼気が空中に幾つも冷気溜りを作っている。超寒気の地雷のようなものだ。その針は宙を疾走しながら先端から分子的に崩されていく。
 もちろんそれをい潜る針もある。
 緋扇を一閃させて、宙で叩き落とし、かつ扇面で受けた。左右から同時に突いてきもしたが攻撃に工夫も練達もない。
 そして相手には物理的な限界がある。
 最後に襲ってきた一本に。手を唇にかざして、呼気を放った。
 周囲の空気ごと氷結しぱあっと霧散して、消えた。
 そう。私は雪女なのだ。

 私の食餌は人間の生気だった。
 江戸期から大正年間までは、森や山里での行方不明は、神隠しと言われていた。皮肉にも私は神になり損ねた身ではあるけれど。
 当時から食餌は月にひとり程度だったので、無難にこなせてきた。勿論ながら山狩りの捜索もあったけど、ひと通りすれば詮索もしてはならない穢れとなり、噂にも上らなくなっていた。
 最近は違う。草の根一本までの緻密な捜査が行われる。生きにくい世の中になった。それで私が思いついたのは、お祓いを通じて持ち込まれた霊体の生気を喰べることだ。今回のもなかなか上物だ。
 ただ億劫になって数日はもじもじとしていた。
 なぜなら下界は私の想像を超えて炎熱のようで、ラジオで気温変化ばかりを聴いていた。
 しかしながらその日が容赦なくやってきた。
 電動アシスト付きのマウンテンバイクを納屋から取り出して、下界に降りる決心をした。川の瀬音が届かない場所まで押して、雪女にとって外気温は只事ではないと観念した。
 執務所に戻って黒電話でタクシーを予約した。
 人間の金銭には余裕があると気づいたからだ。
 タクシーで安曇野まで下り、JRに乗り換えた。
 ごく平凡な長椅子に向き合って座る車両で、夕日が山を茜色に染めて溶けかけていた。松本駅で乗り継いだ頃には紫色を尾を引いた雲が、天空にまたがっていた。
 目的地は韮崎にらさきという盆地の町のようだ。
 中央本線で2時間ほどだし、夜のとばりが下りたら少しは涼しくもなるだろう。それでも我が身の周囲には冷気を放出していた。制服を着た女子高生が、空調以上に効きすぎるらしく肩を抱いて座っていた。
 悪いことをしたな、と多少は思う。
 
 韮崎の市街を歩いていた。
 初めて来た場所ではあるが、琴乃の記憶を垣間見ているので、道の選び方にそう苦労はなかった。
 そこは住宅街であり、本道が脇道が交差する三叉路で、その奥に忌み深い鬼門があった。恐らくはそこに小さな祠があったはずだが、人の世の常で解体されて影も形もない。これでは霊の吹き溜りが生まれるはずだ。
 暑いので髪は上げて簪で留めている。
 その場所はすぐに分かった。
 鬼門から二間ほど離れた場所に、花束とお菓子のようなものや飲み物のパックが並んでいる。歩道の境としてコンクリートの車止めの帯がある。そしてそのお供えのある箇所には、黒々としたタイヤの跡が残っている。
 そのお供えには安倍川餅が多いのは、この地域の風習だろうか。
 手提げ袋から茄子を取り出して、髪の中からあの針を数本抜き取った。緋扇で払い落としたものを髪に刺して保管していた。それを四肢に見立てて茄子に刺して、お供えの傍にそっと置いた。
 年経た雪女の髪に刺されて、生きた心地ではなかったろう。
 そこへ。
 闇を裂いて。
 人影が現れた。
 見覚えのある背格好。
 喪服のような服の色味が暗がりに溶けていて、その姿は沼から大鯰が魚影を現したかのように見えた。

※以前に書いた「墨鬼」を再構成・改題・加筆しております。現地取材で混同していた地名などの修正を行っております。

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