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澤村の自己紹介 "Connecting the dots" 小学生編

小学校は歩いて10分ぐらいのところに6年間通った。小学生の頃を思い出して自分の本質を探っていくと、4つのエピソードが思い浮かんできた。ランドセル、野球とサッカー、織田信長のマンガ、友達ん家のキョロちゃん人形だ。


みんなと同じランドセルは選ばない

小学校に入学する際にランドセルを買うことになった。この時のことは結構よく覚えている。もう30年ぐらい前の話だが、今の小学生もランドセルは買うのだろうか?横浜の高島屋の両親と買いに行ったが、自分は黒いランドセルを全く欲しいとは思わなかった。なぜかその時、青を直感的に選んだ。店員さんは少し戸惑った表情だったが、両親は「みんなは黒だよ」とか「とりあえず黒にしておきなさい」と言うことは一切なかった。自分としては何も疑問を感じることなく選んだランドセルだったが、小学校に初めて行く道の途中から奇妙な視線をずっと感じた。教室に入ると、ほとんどの子から「なんで青なの?」と言われ続けた。「なんか青が良かったから」としか言えなかった。正直当時は親に「なんで買う前に言ってくれないんだよ」とちょっと思ったこともある。なぜ黒に惹かれなかったのかは明確に覚えていない。自分の家庭環境が大きく起因していそうだが、「常識的にみんなこれ」といった感覚が植え付けられていなかったのだと思う。これはとても有難いことで、今ではすごく感謝しているし、こういったことを植え付けられなかったことが自分を形作ってきている。おかげで人生の大きな決断をする際には、「普通はこうかな」などと考えることはあまりなかった。

負けず嫌いは昔から


小学生になってもサッカーを続けていた。2年生の頃に中村俊輔選手がマリノスに入団し大きな話題となった。マリサポだった私は自分の名前と1文字違いのスターに興奮していたし、当時のサッカークラブでの背番号は25だったので、勝手に自分を重ね合わせていた。3年生の時に公園で父と遊んでいると、練習していた地元の少年野球のコーチから「野球やらない?」と誘われ、その場で練習に参加した。そこから野球にのめり込んだ。4年生の時には松坂投手の横浜高校が甲子園で春夏連覇を達成し、ベイスターズが38年ぶりに優勝して日本一となった。横浜のミラクルイヤーである1998年に4年生だったというのは、自分の中ではものすごく大きなことだった。松坂投手、当時の甲子園を沸かした松坂世代の選手たち、大魔神佐々木投手、石井琢朗選手、鈴木尚典選手など当時のベイのスターたちは、25年以上経った今でも自分のヒーローだ。とにかく憧れたし、野球を続けたのも元を辿ればここのインパクトが大きい気がする。こうしてサッカーから野球へと関心が変わったが、変わらないのは「負けることが大嫌いということ」だった。体育のサッカーなどで負けるだけでも悔しがっていた。今でも授業、なんらかのコンテスト、部活の試合の際にはこの「負けたくない」思いが強くあるし、それが自分の成長を支えている。

人間模様の面白さを知る

小学校に入学し図書室に入り浸るということはなかったが、週に何度か行って関心が湧く本を手に取っていた。最近でこそ私は毎日本を読むが、当時は習慣として読むことは一切なかった。どこの出版社かは覚えていないが、歴史上の人物の伝記シリーズの漫画が結構な数あった。4年生の頃のある日、ふと織田信長の歴史漫画を手に取って読んでみた。すぐにハマってしまい、あっという間に読み終えたし、中身を特に意識しなくても覚えていた。秀吉や家康など戦国時代の武将は全て読み、坂本龍馬など幕末の人物たちも読んだ。歴史にのめり込んだのは、それぞれの人間模様が面白かったからだ。祖父とは歴史のことを語り合ったり、戦時中のことを聞いたり、自分の先祖のことも聞いたりしていた。おかげで小学校でも中学受験の勉強でも社会はかなり得意だった。ただ年号を覚えたりすることよりも、「それぞれがどのような人物だったのか」、「彼らが何を目的にどのように行動したのか」といったことを知るのに魅力を感じていた。だから今でも人を相手に仕事をしたり、チームで何かを成し遂げることが好きで、苦にならないのだと思う。

何だかんだミーハー

3年生の頃、近所の友人宅に遊びに行った時に、友人のお母さんが集めていたキョロちゃん人形のコレクションがあった。あまり目にしないものを見て、私はとても欲しくなってずっと眺めていた。友人のお母さんからは「それはあげられないよ」と優しく言われたのをよく覚えている。当時はカードダスが流行っていて、友人の悟空のキラカードを羨ましく思っていたのも記憶にある。ランドセルのエピソードとは真逆の性質だが、人が持っている流行品や最先端のものは、とりあえず手にしてみたいと思ってしまう。今でもそう思う部分はある。裏を返せば、最新技術もどんどん取り入れられると解釈しているし、これからも色んなものを柔軟に受け入れられる自分であり続けたい。

過去は振り返った時にしか今と繋がらない


これを書くために小学生時代の記憶を辿りってみた。自分が過去に意味づけをしている部分もあるが、自己理解には大きく役に立つと思う。特にその時その時の感情を思い出して、紐付けながら行うと良いなと感じた。私は少年野球を最後までやりながら中学受験をし、国立大学の附属中学校に進むことになる。次回は中学受験を経て中学を卒業するまでの、中学生編を書いてさらに自己理解を深めていきたい。

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