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可愛くなりたいのは、自分に満足したいから。


いつの時でも
「自分は、自分なりに可愛い。」

そう思えていれば幸せだし、私たちはそれが欲しいから、可愛くなろうとするんだと、思う。

穴を埋める美容。

私はこれまで、100万回くらいの可愛くなりたいを、自分に送ってきたけれど。

考えてみたら、私にとって

可愛くなりたい = 責められない自分になりたい

で、はっきりとした理想の姿なんて、なかった。

なんとなく描いている「正解の容姿」と、今の自分とを照らし合わせて、足りない部分を埋めようとしていただけで。

鏡を見るたびに、自分から責められるのが嫌で、
そこから逃れたいという、欲求でしかなかった。

完璧な容姿。

完璧な容姿になったら、責められない自分になれるのに。と思っていたけれど、その旅に終わりはなく。

そりゃ、そうだ。

ある程度の共通観念はあるにしても、完璧な容姿なんて、ぼんやりしすぎているし。そんなもの、そもそも存在しないんだから。

白い霧の中にあるゴールを目指したって、たどり着けるわけがなかったんだよなあ。。

完璧な容姿 ≠ 責められない自分

じゃあ、本当のゴールは、どこにあるんだろう?

大事なのは、自分に満足しているか。

「責められない自分」をひっくり返して、その反対を考えてみたら

自分に満足したい ≒ 責められない自分になりたい

だった。

本当のゴールは、自分を否定するのをやめて、
私はこれでいいんだ。と、思いたかっただけで。

ほんとうは「自分に満足する気持ち」が欲しかったんだとわかった。

自分をいいと思える時間。

つまり、自分に満足していたい。
自分をいいと思っていたい。

それを感じる要素のひとつに、可愛いと思える自分が、あるだけで。

自分のことを可愛い、と思う時間は
自分のことをいい、と思えている時間だから。

それがたくさん欲しくて。

容姿を通して、自分のことをいいなと、思いたかっただけなんだなと。

ずっと幸せでいるために。

そうはいっても、可愛くみられたいもんだし、人にいいと思われてると余計に、嬉しくなったりもする。

だから、可愛くなろうとするって、とても素敵なことだと思うし、人間、特に女のこなら誰もがもってる基本的な欲求だと思う。

ただ、それが「完璧な自分じゃないとダメ」となると、苦しくなってしまうから。

自分に満たされていたい。
自分のことをいいなと思っていたい。

そういう根っこの望みを大事にしたうえで

「もっと可愛くなっちゃお♩」という風にスタートすることが、幸せにつながると思う。

完璧な正解の容姿、なんてないし。
それをゴールにしてたら、一生幸せになれない。

年齢を重ねれば、皮膚もたるんでくるし、シミもしわも増える。妊娠したら、体重も大幅に増えるし、綺麗な体型じゃいられない。

でも逆に

そんな時でさえも、自分なりに満足していられたら、幸せそうだね。

こんな自分も素敵、
そう感じる心がほしいんだよね、きっと。


おわり

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100万回の可愛いを、君に送ろう。


La la la la ...

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