さわー

日記のような感じで文字を書きます。 twitterでは主にドット絵を描いています。 あ…

さわー

日記のような感じで文字を書きます。 twitterでは主にドット絵を描いています。 あまりゴキゲンな感じの文章は書けないです、すみません。

最近の記事

作ることの無力さを知る

昔から作ることが好きで、作る仕事に就きました、という人は多いと思う。 自分もそうだった。 それで作る仕事に就いてみて、 作れば作るほど、作ることの無力さばかりを思い知らされる。 作った直後の完成品には、足が付いていない。 赤子のように、自分で歩くことができない。 歩けないままではただのゴミになってしまう。 少なくとも対価を必要とする場面では。 だから私たちは、作ったものに足や羽をつけて、 作ったものを必要としている人のもとへ届けたり、 逆に招待状を人へ送って、この場所へ呼び

    • 「ずるい」がサイン

      ずるい、という感情を持つことがしばしばある。 最近気づいたのだけど、このずるいという感情は 「今自分は無意識に何かを我慢してしまっているのではないか」というサインなのではないか、と考えている。 これはものすごく些細な例だけれど、 自分は最高点を出したのに、かたやあの人は赤点取らなかっただけで家族に祝ってもらえて焼肉食べに行ってる投稿をSNSを見かけてしまって、ずるいなーという感情を持ってしまう、というような。 そんなの自分も焼肉食いに行けば済む話のはずなのだが、もともとそう

      • 山の上に建つアンテナは美しくないのか

        大学の授業で、山の写真をスクリーンに映し出して教授が言った。 「こんな美しい山の頂に、こんな醜いアンテナが建っていることに 危機感を持たないような人間が芸術やっててはいけない」 結構前のことなので曖昧だが、こんな旨のことを言っていたと思う。 腑に落ちない。 自分が路地裏を巡ったり室外機の写真を撮ったりして喜ぶような人間だからかもしれないが、果たして山の上に建つテレビアンテナは本当に美しくないのか。 自然の中の人工物はどこまでも異物なのか。 単に純粋で混じり気がないというのは

        • 卒業制作のこと

          卒業制作の提出が終わった。 あれほど年末年始も休めないことを呪っていたのに、 区切りがついてしまうと、途端に祭りの後の虚しさみたいなのが押し寄せてくる。 ゼミの友達がしんどさのあまり鬱と躁を行ったり来たりしてる横で、 私は夜の2時過ぎに帰ってきて寝て起きてまた制作に向かう生活を 呪いつつも楽しんでいたのだと思う。 それで、高校の時の卒制が終わった後のことを思い出した。 高校が美術科だったので高校でも卒業制作があったのだが、 高校の時の卒制が終わったあとも同じような気持ちだっ

        作ることの無力さを知る

          主体的って何だ問題

          この前twitterでバズってたのを見て、もしかする未来展を見に行った。 その時、別の展示室で現代美術の展示もやっていたので、ついでがてらと思ってそっちも見に行った。 そしたら、結果的に一番心に残ったのは現代美術の展示の方だった。なぜだろうと考えて、それは「主体的な参加」にあるような気がした。体験型の技術展示よりも、置いてあるだけの美術展示の方が、自分の中では主体的に作品に参加できたような感覚があった。 でも不思議だ。体験型展示は自分から参加して体験しに行っているのに、見る

          主体的って何だ問題

          東京湾岸地域を歩く時に感じる違和感についての考察

           お台場とか、あのへんの街を歩いていると、なんとなく違和感があることに気がついた。この前、友人と展示を見るためにお台場へ行った時にも、なんでなのか気になって考えていて、渋谷、新宿とかのいわゆる「東京」と何が違うのか、それは「街の主観的な大きさ」なんじゃないかと思った。  臨海地域を歩いていると、まるで自分が小さくなってしまったかのような感覚になることに気づいた。 不思議の国のアリスか、ガリバー旅行記かなんかのように。  渋谷とか新宿とかはすでにたくさんのものがあって、多くの

          東京湾岸地域を歩く時に感じる違和感についての考察

          夜の散歩と世界の解像度

          最近、歩く時間は大切だなあと思う。 自転車で移動している時に考えることは、本当にとりとめがない。 安全確認もしなければならない。 残りの思考の枠を、自動思考レベルの雑多な思考が、 無意識に浮かんできては散々埋め尽くした後消えていく。 気づいたら目的地に着いている。 あれ、そういえばここじゃなくて違う建物に行こうとしてたはずなのに、 自分はなんでここにいるんだ、としばらく駐輪場で立ち尽くす。 歩く時は、ものをゆっくりと見ることができる。 普段、思考の質と引き換えに移動速度を

          夜の散歩と世界の解像度

          「かけた時間がそのまま形になるもの」を作る

          ろうそくを溶かして固める。 ろうそくを溶かして流し込んだだけ、やがて冷えて固体になり、 装い新たなろうそくが出来上がる。 それは、卒業制作のアイデアに悩んでいる時期だった。 友人が学園祭で売るためのろうそくを手作りしていて、 それを手伝ってほしいと言われた。 ろうそくを作るのは初めてだったのと、 アイデア出しに息が詰まっていたので、気晴らしがてら、と承諾した。 3時間ぐらいの作業で、20個くらいのろうそくができた。 それだけのろうそくを作っていると、 最後の方にはろうの扱い

          「かけた時間がそのまま形になるもの」を作る

          高校のこと

          自分の母校には美術系の学科があって、自分はそこに通っていた。 自分が好きな作ることに存分打ち込めたし、 周りの友達も面白い人優しい人が多くてすごい楽しかった。 そこには絵を描くことをちゃかす人も、ことあるごとにうやうやしく色紙用の似顔絵を頼んでくるやつも、人に散々リクエストをつけておいてそれを勝手にどっかのサイトに投稿するようなやつもいない。 お互いの距離を保ち、お互いの大切なものを理解しあうことをわかっている人たちの集まりだったように思う。 小学校と中学校は殺伐としていて、

          高校のこと