高校のこと

自分の母校には美術系の学科があって、自分はそこに通っていた。
自分が好きな作ることに存分打ち込めたし、
周りの友達も面白い人優しい人が多くてすごい楽しかった。
そこには絵を描くことをちゃかす人も、ことあるごとにうやうやしく色紙用の似顔絵を頼んでくるやつも、人に散々リクエストをつけておいてそれを勝手にどっかのサイトに投稿するようなやつもいない。
お互いの距離を保ち、お互いの大切なものを理解しあうことをわかっている人たちの集まりだったように思う。
小学校と中学校は殺伐としていて、ひたすら気配を消すことでやりすごすタイプの人間だったので、高校の思い出が余計に燦然と輝いている。

それからしばらくして、その高校の友達が教員採用試験に無事合格して、地元で先生をやることが決まったらしい。
いつか母校の先生になるかもね、という話を母親とLINEでしていたところ、
母親に「羨ましい?」と聞かれた。

私は大学入学直後、ものすごく母校に帰りたがっていた。
大学入学直後の私のホームシックときたら、度を越している節があった。
入学して数週間後、突然高校のときのクラスの先生から電話がかかってきて、初めての一人暮らしが堪えていたのと、大学にまだ適応しきれていなかったこともあって、電話口でいきなり泣き出したこともあった。ちなみにその電話は、後輩に大学入学後の近況報告や受験の相談を受けに高校に来てほしいという内容だったのだが、それを言われた時は跳ねて喜んだ。
他にも、絵画じゃない専攻を選んだにもかかわらず、1年のデッサンの授業で、先生に「君は油絵のようなデッサンをするねぇ」と言われた時に、高校の時に油絵をやっていた自分、つまり母校での自分を褒められたような気がして、誇らしくなっていた。
大学で、高校の時のクラスメイトとまったく同じあだ名がついた人がいた。が、当時は大学という場所自体にあまり心を許せていなかったのか、私は高校の友人のあだ名を、大学の友人に対して使うことになんとなく抵抗があった。

実は自分も、大学入学直後は、美術系の教師を一瞬だけ目指していたことがある。それは、決して子供の自己実現を助けたいとか導きたいとかそういう偉大な動機からではなく、今思えばただ単に母校にもう一回帰りたかっただけだった。教育実習の場所は、大学の提携校か母校かを選べるはずで、その制度を使ってもう一回母校の一員になりたいと、自分は無意識に考えていたらしい。
教職の授業はだいたい休みの日に集中で行われることが多かったが、講義を聞くのが苦ではない性分だったので、わりと楽しんで受けていた。
けど、結局教職免許の取得は一年であきらめた。
当時は、自分が人の上に立つことが考えられない、自分はそんなに立派な人間ではないから、と周囲に説明していたような気がする。
けれど多分本心は、取らなくてもいい単位をとることが面倒になったことと(教職の授業の単位は必修ではなかった)、なんだかんだで新しい環境に慣れて、高校に対する執着がなくなっただけだったんだと思う。
今思えば、その方が自分にとって健全だったと思う。場所の思い出に対する執着心だけで未来を決めることの方が、単純すぎるし何より危うい。

羨ましいかと聞かれて、もちろん、もう一度戻れるなら戻りたいという気持ちはあるが、羨ましさみたいな気持ちは沸いてこないことに気がついた。
その理由を考えてみて、自分は先生としてではなく、普通に生徒としてあの学校に戻りたいだけなんだろうな、と思った。
LINEで文字に起こした時、それが確定されてしまった。
もう自分は、自分が望む形ではあの場所に戻れないことがわかってしまった。

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