作ることの無力さを知る

昔から作ることが好きで、作る仕事に就きました、という人は多いと思う。
自分もそうだった。
それで作る仕事に就いてみて、
作れば作るほど、作ることの無力さばかりを思い知らされる。

作った直後の完成品には、足が付いていない。
赤子のように、自分で歩くことができない。
歩けないままではただのゴミになってしまう。
少なくとも対価を必要とする場面では。
だから私たちは、作ったものに足や羽をつけて、
作ったものを必要としている人のもとへ届けたり、
逆に招待状を人へ送って、この場所へ呼び寄せることをする。

そうやって取りつけた足や羽は、時に人を不快にする。
法的・倫理的に疑問が残るような手段を取らざるを得ないこともある。
使う人を幸せにしたいと思って作られたものが、
使ってくれるであろう人のもとへ届くまでの間に、
気づかないうちに不快感を発生させる原因になっている。
それに気づかされる度、
今自分がしている行為の無力さを思い知らされる。
作ったものが役にたつかどうかは、届けてみるまで分からない。
届けなければ自分が死ぬ。
自分は本当に無力だ。

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