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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(135)「半済」と「地頭」を作品に即して確認! 結城宗広の「七支刀」は本来の形状と用途を逸脱してもはや呪物か!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2023年12月3日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 『逃げ上手の若君』第135話は「兵糧1338」。読み返してみると、「兵糧」の問題のみならず、いくつもの重いテーマやキャラクターの陰影が発見できます。

 なお、顕家が率いた奥州武士たちの「大規模な略奪」については、本シリーズの前々回で触れています。

 その前に、まずはこれだけは言わせてください……北畠顕家少年(5年前)可憐すぎ! スッピン姿ヤバすぎ! そして後者については、個人的にものすごく気になったことがありました。ーー〝え、これが顕家の地顔ってことは、まつ毛バサバサのオヤジの北畠親房もメイクしてるってこと!?〟(しょうもない疑問ですみません。)

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 さて、まずは「半済」と「地頭」について確認しておきたいと思います。

半済交渉(雫の手にしている書状には菊の御紋があったり、
たった1ページで必要な情報をわかりやすく盛り込んでいるのがスゴイ…)

 「半済(はんぜい)」とは、「南北朝内乱期に,国衙領,本所領の年貢半分を軍勢の兵粮料所(ひようろうりようしよ)として武士に与えたことから発生した制度」〔世界大百科事典〕とあります。
 ※国衙(こくが)…令制で、諸国に設置された政庁。国司が政務にあたった役所。国府。国庁。〔日本国語大辞典〕
 ※本所(ほんじょ)…平安末期・中世、荘園領主(本家・領家)や国司などの上級諸職所有者をさす。当初は国司あるいは国衙に対比して荘園領主をさす用語としてもちいられたが、鎌倉以降、地頭を中心とする武家勢力の進出にともない、荘園公領制の職の体系下における地頭職以下の中下級諸職に対比して、国司を含めた上級諸職一般をさす用語としてもちいられるようになった。本家。本主。〔日本国語大辞典〕
 ※兵粮料所(ひようろうりようしよ)…南北朝時代に幕府が軍勢発向諸国の本所領年貢を,1年を限って兵粮米にあてるよう指定した所領。年貢の半分をあてる場合が多いが,3分の1の場合もあった。〔世界大百科事典〕
 割愛した部分には、室町幕府がとった施策という説明もありましたが、「年貢などを半分納入すること」である半済自体は鎌倉時代からあったもので、後醍醐天皇の南朝側には「朝用分(ちょうようぶん)」という「半済」と同じような制度が存在したようです。

朝用分(ちょうようぶん)
 南北朝内乱期に南朝の課した臨時の公事。みずからの財政や軍勢の兵粮などのために南朝方寺社本所領を対象にしたもの。室町幕府の兵粮料所(半済)と近似した政策である。南朝正平年間の初期(1348ころ)から弘和年間(1383ころ)までの政策と思われる。半済が年貢の半分であったのに対し,3分の1の徴収であった。
〔世界大百科事典〕

 「地頭」とは、ごくごく簡単に言うと、所領の持ち主とは別にその地を管理していた人たちといったところでしょうか。第135話を例にとれば、雫が交渉に行った先のしゃくれアゴさんが「管理人の俺」と言っていますので「地頭」です。そして、彼の管理している土地(所領)の持ち主は「京の公家」です。「俺の取り分はもう抜いてあるし」の「取り分」というのは、管理人である「地頭」に対する報酬(管理手数料)に相当するわけでです。
 「まあ渡したところで困るのは京の公家だ」ということが可能だったのは、「顕家卿」の背後に南朝のドン・後醍醐天皇の存在があったからですね。

地頭(じとう)
1 平安末期、所領を中央の権門勢家に寄進し、在地にあって荘園管理に当たった荘官。
2 鎌倉幕府の職名。文治元年(1185)源頼朝が勅許を得て制度化。全国の荘園・公領に置かれ、土地の管理、租税の徴収、検断などの権限を持ったが、しだいに職域を越えた存在となり、室町時代には在地領主化が進行した。承久の乱以前のものを本補地頭、以後のものを新補地頭という。
〔デジタル大辞泉〕

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 ところで、シイナはなかなか手ごわいぞ……と思いました。「あの娘は戦いしか生きがいを知らん」「仲間という生きがいをお前達が教えてやれ」という正宗の見立て通りです(第131話「正宗1337」)。
 「兵糧のためなら喜んで」とうっすら微笑むシイナと、「逃若党うちではそういうのなしで」と険しい顔つきの弧次郎が、あまりにも対照的です。シイナは「自分を粗末にする」という意味がよくわからないのです。
 シイナの借り受けはダメとなったら「金を五倍だ!」と要求を釣り上げたしゃくれアゴさん、無表情で「全部下さい」という結城宗弘の餌食となってしまいました(チーン)。

 「七支刀しちしとうだと 飾り物でしか見た事ないぞ

 弧次郎も亜也子も、宗広の刀に困惑の表情を浮かべていますが、私も〝七支刀に刃つけちゃだめでしょ……〟と思いました。これまで一部しか見えなかった鎧の文字といい、刀にびっしり刻まれた文字といい、もはや特級呪物でしかないです。
 七支刀は、頼重が手にしていた〝蛇行剣〟と同じで祭祀用の剣です。ところが、宗広のそれは七つに枝分かれした刃のいくつかがギザギザです。これはもう、戦場における実用品ではなく拷問器具の類であって、彼の趣味の悪さが伺えます。
 
七支刀(しちしとう)
 奈良県天理市、石上(いそのかみ)神宮蔵の古代の鉄製剣。刀身の左右に三本ずつ枝刃が交互に木の枝のようにつけられているところからいう。全長七五センチメートル。六五・六センチメートルの剣身の両面に金象嵌(きんぞうがん)の銘文があり、百済から日本に贈られたものと読まれる。四世紀後半の作。
〔日本国語大辞典〕

(レプリカ)

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 時行のことを「甘っちょろいお子様」だと冷徹な視線を向けて威嚇する結城宗弘に対して、南部師行の「バキキッ」はかっこよかったです! 雫から受けたクジラの恩を感じているのかもしれません。
 とはいえ……実のところ、宗広も自分の立ち位置がよくわかった上で「狼藉」に及んでいる事実が明かされます。
 
 「我らは所詮野蛮な東夷あずまえびす 大将軍のためどんな汚れ役も引き受けます

 そんな結城宗弘をはじめ、奥州の武士たちの行動原理は、「全ては余を天下の中枢に押し上げるため」だということを、時行は顕家本人から聞くことになります。その中で、顕家はこんな重要なことも言っています。

 「北のえびすは善悪の判断がつかないなどと京の者は言うが とんでもない 奴らは悪事と理解した上で動いている

 これは、かつて諏訪頼重が「これからの世は正しいだけでは本当に正しい事をできませぬ」(第11話「坊ちゃん1333」)とした考えと一致します。一方で、「無自覚な極悪」(第57話「尊氏1335」)の足利尊氏とは正反対のあり方です。
 時行と頼重、顕家と奥州武士たちという二組の主従の持つ共通点とは? そして、彼らと尊氏との決定的な違いとは?? 

 「少し話そう 余と獣共が北で過ごした五年間を

 後醍醐天皇ではなく北畠顕家を慕い、付き従う奥州武士たちと顕家との間でどのような交流があったのか……『新古今』が鍵であろうことも気になってしかたありません。

〔参考とした辞書・事典類は記事の中で示しています。〕


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