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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(65)これぞ悪人正機なのか…瘴奸の退場に涙…そして、頼重の持っている変な刀が気になって調べてみる

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?〔以下の本文は、2022年6月12日に某小
説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「…瘴奸 貴様は賊としても武士としても生真面目すぎたわ
 瘴奸の残した「ふみ」を読み、小笠原貞宗はその死を悼みます。ーー瘴奸が残した最後の言葉は、貞宗への恩と、自分の郎党たちへの思いでした。『逃げ上手の若君』第65話は、貞宗のこの言葉を何度も噛みしめずにはいられませんでした。
 『太平記』に登場する平野将監入道が、現代の新たな物語の中で新たな生命を得て、その生をまっとうしたという点でも、本当に興味深いキャラクターでした。そして、他者を思って死んでいった瘴奸について、鎌倉時代の僧・親鸞のある有名な教えを私は思い出しました。
 おそらく、皆さんも日本史や倫理の授業で一度は耳にしたことがあるであろう「悪人正機」です。

悪人正機説(あくにんしょうきせつ)
 浄土真宗の開祖、親鸞が唱えた説。親鸞の弟子、唯円が親鸞の教えをまとめた「歎異抄」の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という言葉に基づく思想である。末法の世に生きる者すべては悪人であり、自分の力で悟りを目指す修行や善行では救われず、悪人としての本性を自覚し、救いのための一切の自力による行いを放棄し、阿弥陀仏がすべての人間を救うとする約束、阿弥陀仏の本願をひたすら信じ、阿弥陀仏に身を委ねることによって救われるとする(ただしこの場合の「悪」は、単純な善悪でなく、仏教的な意味での「悪」とされる)。親鸞は、すべての者が悪人だからといって、意識的に悪事を行うことは「本願ぼこり」として、厳しく戒めた。〔情報・知識 imidas〕

 「本願ぼこり」というのは、第18話で部下の腐乱の疑問に対して、「南無阿弥陀仏 こう言っときゃ仏様が全て罪をチャラにして下さる 便利だろ」と言った瘴奸のそれのことを指しますが、その過程も経て、瘴奸は自分の行ってきた「悪」の虚しさを自覚し、地頭としての日々を過ごしたのだと思います。ーー「文」に記された言葉は、神仏の持つ神聖さをその身に宿すとされる子どもたちや、自分を認めてくれた貞宗と郎党たちという他者とのかかわりから生まれたにちがいないのですが、それこそが「阿弥陀仏がすべての人間を救うとする約束、阿弥陀仏の本願をひたすら信じ」ということの実体であると私は考えています。

 『逃げ上手の若君』の少年漫画としてのエンターテインメント性には、誰もがワクワクするところですが、その背後に、当時の思想(それは、とりもなおさず我々現代人の精神的な課題でもあるのですが……)を織り込んでいる松井先生の力量には、いつもながら驚かされます。

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不敵な笑みを浮かべる諏訪頼重

 「頼重殿 速戦で倒す勝算はあるのですか?
 「自信は無いですが私が出る以上不可能はありませんぬ 何せわたくし… 神様でこざいますから

 久しぶりに、頼重の不敵な笑みが出ました!
 そういえば、今回は先に当時の仏教のことに触れましたが、現代では〝神仏〟と一緒にされる神様と仏様が、当時の思想書や物語を読むと、まったく同じではないという印象を受けます。
 とても平易に、誤解をおそれずに一言で述べると、仏様の教えはロジカルでシステマティック、神様の教えはミステリアスでスピリチュアルです。
 ましてや、縄文時代のおそろしく古い信仰まで現代に残していると言われている諏訪の神様は、謎多き神様です。ーー最後のコマで、頼重の手にしている刀、何コレ!?って思いました。
 そこで、何かヒントが見つかるかと思い『諏訪市史』のページをパラパラめくっていたところ……ありました! 「フネ古墳から発見された鉄製武器(鉄剣類)」の図の中に一本、頼重の持っている物ほどでないけれども、くねっている刀剣が!!
 フネ古墳については、次のように記されています。

 昭和三十四年、農耕中発見された古墳である。諏訪盆地西南部の赤石山脈の最北端の高峰、守屋山山麓にある丘陵上に増築され、標高約八〇〇メートル、諏訪湖面から約四〇メートルの比高となる。
 上社本宮の西側丘陵上で、西方の同標高に片山古墳がある。いずれも上社の宮山と称される丘陵上である。フネ古墳の築造された地字名は「ふね」とよばれる。ここからは西は湖北一帯、東方は八ヶ岳全山まで一八〇度の展望のきく立地である。

 そして、くねっている刀剣は「蛇行剣」と言うそうです。

 蛇行剣とは剣身がS字状に四曲ないし五曲している剣をいう。長剣で刀幅も広く、剣の厚さも厚い。鍔は鹿角を用いており、剣身に木製鞘の跡とみられるものはない。布又は革製の鞘(覆い物)をつけていたとみられる。蛇行剣の副葬は全国的にも希少である。

 蛇行剣はフネ古墳で発見される以前は、全国例で五例ほどしかなかった。本古墳の発見により注目され現在一〇余例が知られている。(中略)フネ古墳の築造された位置は、天竜川水源諏訪湖南方の丘陵山で、伊那に近い水霊信仰のある守屋山の山裾である。全国の蛇行剣出土の土地に、龍蛇・水霊信仰の強い地域であるという説もあり、フネ古墳の性格を考えるうえで注目されている説である。

 なお、フネ古墳の時期は五世紀前半と推定されているそうですが、「フネ」という語にも反応してしまいました。なぜなら、「フネ」は宇宙人の乗り物だと、何人もの人から聞いたことがあるからです(笑)。
 刺して引き抜いたら痛そうな蛇行剣ですが、他から出土されている物の調査・研究からも、武器ではなく祭具として使っていたものだろうとされているようです。
 正統派武士の貞宗からしたら、確かに頼重は胡散臭さの塊ですよね……。それでも、人間と世界というのは、ロジカルでシステマティックなことだけで割り切れないのは事実です。
 北条氏の御内人としての諏訪氏は、ロジカルでシステマティックなものを扱うことに長けていたと思われますが、諏訪明神そのものであり、また、明神を奉じる神官でもある諏訪氏は、それとは真逆の、曖昧で混沌としたものを扱い、まさに乱世に斬り込むことを役割としていたのかもしれない……などと想像しています。

〔諏訪市史編纂委員会『諏訪市史 上巻』を参照しています。〕


 いつも記事を読んでくださっている皆さま、ありがとうございます。興味がございましたら、「逃げ若を撫でる会」においでください! 次回は8月9日(火)開催予定です。
  ※詳細は追ってnoteにてお知らせいたします。


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