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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(147)史実でもかなりのキーマンである高師冬!……期せずして再会した諏訪頼重が時行を「間違って」ないと断言するのは「冥土」基準だから!?

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年3月8日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 『逃げ上手の若君』第147話は、なにもかもが「急展開」!
 でも、もっともショックだったのは一縷の希望を抱いていた雫が、弧次郎が外した仮面の下の吹雪の顔を見て涙した場面です(弧次郎が一太刀浴びせられたのもちょっと驚くぐらいの吹雪の凶悪さ……吹雪ファンの私ですら〝え、誰?〟でした)。

 「あれはもう 元には戻れない

 第38話「戦車1335」で、清原国司に対してまったく同じ一言を雫はつぶやいています。尊氏の持つ「神力」に強く侵された清原国司と吹雪ですが、彼らの「悪しき神力」の描写からは〝他人よりも〇〇でありたい〟という強烈すぎる〝我欲〟の発する悪臭が漂ってくるようです(実際、なにがしかの霊能力のある方は、〝欲〟をはじめとする邪悪な気のようなものをまとう人からは、ドブのような匂いがして吐き気をもよおすといったことを聞いたことがあります)。

 ※尊氏の「神力」に屈する人と屈しない人については、本シリーズで過去に考察しています。興味のある方は以下をご覧ください。

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 ちなみに、高師冬については古典『太平記』での最期が印象に残っていて、それが『逃げ上手の若君』のストーリー展開上かなりインパクトがあったため、ネタバレは避けたいと思いあまり触れてはいなかったのですが、あらためて確認してみるとそこに至るまでもかなりのキーマンだと感じました。
 それでも、青野原の戦いまでの彼はというと、「南北朝時代の武将。師行の子で、師直の従兄弟。師直の猶子となる。左衛門尉・三河守・播磨守。足利尊氏の将として活躍し、建武三年(一三三六)の比叡山攻撃に参加。」と『国史大辞典』にあります。『太平記』においては、九州・多々良浜の戦いで名を連ねていますし、後に、『逃げ上手の若君』では斯波家長に関東を託された上杉憲顕と対立します(この対立構造には、足利尊氏・直義兄弟が関係していますが、詳しくは作品の流れに従ってと思っています)。軍事のみならず、政治的な面でも優れていたようです。
 なお、『太平記』では、高師泰の気合いの入った進言に奮起した足利方の兵が、京に迫る北畠顕家軍を迎え撃とうと「時刻を移さず向かへとて、大将軍には、高越前守師泰、同じき播磨守師冬、細川刑部大輔頼春、佐々木大夫判官氏頼[崇水が事]、同じき佐渡判官入道道誉、子息近江守秀綱、この外、諸国の大名五十三人、都合一万余騎、二月四日に京を立つて」とあり、師冬が大将格であることが語られます(あれ、師直の名がない?……師直が指示だけ出して京に帰ったという『逃げ上手の若君』の演出がうますぎる)。
 
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 「すまない吹雪 君を救えなかった

 吹雪の二刀が放つ必殺技「さかさきょう」を受けて意識が遠のく時行は、そのような状態であっても、吹雪の身を案じています。ーーそこに登場するのは、「頭に変な輪っか」を戴き、「変な船」こと水上バイクで時行を拾って三途の川を爆走する諏訪頼重!?
 凶刃に斃れる前、顕家は心の中で「時行よ 汝がここで死ぬとすれば その身に宿した優しさのせいだ」と語りかけます。一方で、頼重は「貴方様が歩んできた道は… 何一つ間違ってはおりませぬ」と述べています。
 ーーおそらく、いずれも正しいのだと思います。顕家は、現実世界を生きる青年として目線での考えであり、頼重は、すでに死んで別の次元からのとらえ方をしているのです。

(顕家は、現実世界を生きる青年として目線での考え)
(頼重は、すでに死んで別の次元からのとらえ方)


 少し視点を変えてみますが、タロット・カードの死神は「悪魔の使い」ではなくて「死んだ人の魂を集める役目を負っている天使の一人」であると、東條真人先生の『タロット大事典』では説明されています。すでに「正義の天使テーミスが生きていたときの行いをすべてを後世に書き記し、死神に手渡している」ので、それに従って死神は「光の国」行きの魂と「転生」組の魂とを選別しているといいます(「日本や中国の神話に出てくる閻魔大王」と「同じ役割を果たしている」とも記されています)。
 そして、「正義の天使テーミス」は、現世の価値観や基準で死者の魂を裁くのではなく、「あなたがどれだけ自分を生かし、偽りのない生き方をしてきたかどうかを量っている」、つまり、「どれだけ真の自己を実現したかということだけが、量られる」というのです。ーーだとすれば、冥土に向かうその瞬間に「君を救えなかった」という心残りを吐露した時行は、「何一つ間違って」いないと言えのるではないでしょうか。

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 第110話で物語から退場していた諏訪頼重が、インチキ顔でいきなり登場したのには、最高すぎて涙が出ました。ーーさすが松井先生、ここで本格的に現代人には理解しがたい日本の中世の「不思議」の世界観を入れ込んでくるとは! 
 『太平記』には、地獄に迷い込んだ山伏が、果てることない責め苦に合う結城宗広の姿を目の当たりにするという話があります。正気に返った山伏は、宗広の供養をするようにと彼の家族に手紙を書き送ります(結城宗広さんは人気キャラだ(と思う)から、『逃げ上手の若君』でも描かれる……かも!?)。宗広は自業自得だと思いながらも、果たして地獄の存在を信じている現代人はどのくらいいるのでしょうか。
 ……とはいうものの、危篤状態の人が三途の川から戻ったという話は、よく聞きますね。私の友人の一人は、夢の中で兄弟と一緒に三途の川を渡ろうとしたお母様を救いに行ったと話してくれました。
 また、諏訪大社と〝冥界〟のつながりは深そうです。頼重が乗っている水上バイクには諏訪梶紋が入っているので、頼重は今〝死神〟(言っておきますが、〝天使〟ですよ!)のお役目をしていたりするのかも……などと想像してしまいました。
 そろそろ、第1話からずっと秘されてきた「すべては北条家への忠義のため!」という頼重の真意も明かされるのでしょうか。ーー結城宗広は地獄にいましたが、北条や諏訪のご先祖様たちは「満開の梅林」の先にいてほしいです。

〔『太平記』(岩波文庫)、東條真人『タロット大事典』(国書刊行会)を参照しています。〕


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