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デリバティブとリスクヘッジ(2013)

デリバティブとリスクヘッジ
Saven Satow
Sep. 20, 2013

「嵐の先頭にはばたく大鷲になるより、遠い雨の予兆に舞う子虫になりたい」。
森毅『「予測」「ブーム」「次元」』

 異常気象が語られる昨今ですが、世の中には天候に売り上げが左右される業種があります。テーマパークやゴルフ場、スキー場、ビヤホールなどがそうでしょう。天気は経営者や従業員の知恵と工夫で変えることができません。こうしたリスクに備えるために活用されているのが「天候デリバティブ(Weather Derivative)」と呼ばれる金融商品です。

 天候デリバティブは損害保険とは似て非なるものです。損害保険は実際の損害に応じて保険金が支払われます。一方、天候デリバティブは気温や降水量、降雪量など一定の気象条件について基準値を設定し、実際の値とそれとの差に応じて補償額が得られる契約です。降雨量の補償の例を挙げると、基準値と1mm当たりいくらと決めておきます。当該日にその値を何mm上回ったかで産出されて補償が得られるわけです。実際に損害が出たかどうかは問われません。

 天候に大きく影響される事業主がリスクをヘッジするために、こうしたデリバティブは購入されています。保険会社がこの金融商品を用意しています。

 門外漢には天候デリバティブが驚きかもしれません。今さまざまな金融商品が販売されています。訴訟保険というのもあります。近年、保護者が教職員個人を相手に訴えるケースが増えています。そのため、訴訟保険に自腹で加入している教職員も少なくありません。それだけのリスクの下で日本の教師は働いているのです。

 デリバティブは、本来、株式や債券など基礎となる証券に関する価格や指標によって価値が決まる金融商品の総称です。しかし、経済活動に伴うリスクを回避するために、さまざまな対象に拡張されています。

 経済学では、将来の危険性を「リスク」と「不確実性」に分けます。確率論によって算出できるのが前者、できないのが後者です。現代のアメリカ経済学は不確実性を無視して、リスクに偏重しています。それはケインジアンだろうと新古典派だろうと違いはありません。

 「異端の経済学者」とアメリカで見なされた制度学派の重鎮ジョン・ケネス・がるブレイスは、1977年、BBCの放映する連続TVドキュメンタリーを担当し、それに『不確実性の時代(The Age of Uncertainty)』とタイトルをつけています。これは正統派経済学への強烈な皮肉なのです。

 さて、デリバティブは「先物」・「オプション」・「スワップ」の三つに大別できます。デリバティブはリスクヘッジが目的と言いましたが、実際にはそれ以外に「投機」や「裁定」も含まれます。裁定は、金利差や価格差を利用して売買し利鞘を儲ける取引で、いわゆるサヤ取りです。

 先物は、満期日もしくは受渡日と呼ばれるあらかじめ決められた将来の期日に、特定の財を定められた価格での売買を保証する取引です。ただし、先物の売り手と買い手が任意で期日を決め、実際に財を受け渡す取引は「先渡取引」と呼ばれ、「先物取引」と区別されています。先物取引は取引所を通じて多数の参加者が同一の条件で行う取引を指します。

 さらに、正確には、原資産が商品のものを「商品先物取引」と呼び、「先物取引」、すなわちデリバティブ取引は商品以外のものです。商品先物は現物商品の受け渡しもできますが、主に反対売買を満期日の前に行って決済しています。これは「差金決済」と呼ばれ、売買の差益を現金の受け渡しで決済します。

 先物を利用したリスクヘッジは農産物でしばしば見られます。肥料や除草剤、農機具の燃料など生産費用の総額を超える価格で農産物が売れないと農家は赤字になります。けれども、収穫時まで価格はわかりません。収穫前に農産物の取引を済ませていれば、そのリスクを回避できます。

 リスクヘッジは投機と関連しています。農家は黒字になる価格を希望します。取引相手は収穫時の価格が予想以下なら赤字ですが、以上ならその差額を利益にできます。この取引相手は投機を狙ってもいます。先物によるスペキュレーションは、受渡日に現物価格が先物価格を上回ることを予想して行われます。投機は原資産の市場価格に関する買いポジションの予想に従って利益を出そうとする投資手段です。もちろん、得をすることもあれば、損をすることもあるのです。

 裁定取引について説明しましょう。ある金融商品の先物価格を予想して、購入するために資金を調達したとします。期限が来たら、元利合計で返済しなければなりません。現在の現物価格に対する将来の先物価格の金利が資金のそれを上回っているなら、その差を利益にすることができます。これが先物を使った裁定取引です。

 しばしば規制の必要性が主張される「空売り」は「ショートセル」とも呼ばれ、裁定取引の一種です。証券会社から値下がりを予想した証券を信用借りし、売却した上で、買い戻して引渡日に返却して利ザヤを稼ぐ手法が往々にして見られます。先物価格の値下がりを狙って仕掛けますので、時として、金融市場場の混乱につながります。日本国債は外国人投資家の保有率が少ないから、暴落しないというのは、先物取引を軽視した楽観的すぎる見方なのです。なお、現在、日本国債を最も保有している外国人投資家は中国政府です。

 オプションは原資産をある特定の日時もしくは条件を満たした時に約定価格で売り買いする権利のことです。先物は義務ですが、オプションは権利ですから、行使しないで放棄することもできます。買う権利を「コール・オプション」、売るのを「プット・オプション」と言います。約定価格はオプションでは「行使価格」と称されます。また、オプションの価格は「オプション・プレミアム」もしくは「オプション料」と呼びます。

 オプションによるリスクヘッジを説明しましょう。輸出代金の為替レートに伴うリスクを回避するケースを想定します。決済日の為替レートがどうなるかわかりません。外貨建ての契約の時、円安なら受取額は増大、逆なら減少します。そこで許容できる範囲の為替水準で行使できる外貨売りの権利を購入しておくのです。この範囲を超えて円高が進んだ際にオプションを行使し、受け取った外貨を円に変換します。そうすれば、実際の受取額の減少が抑えられるわけです。範囲内であれば、行使しなくてかまいません。それが権利という意味です。

 オプションによる投機や裁定は、原資産の価格に依存し、その将来予想によって行動が決定される点では先物と同様です。けれども、オプションは権利ですから、コールとプットを組み合わせるポートフォリオが用いられます。原資産の価格が変動して、コールを放棄する場合にはプット、プットを放棄する場合にはコールをそれぞれ行使するように合成しておきます。こうすると、実は、オプションも先物と同じ利得が発生するのです。このオプションを買う場合にはオプション・プレミアムを支払い、売る場合には受け取る取引をすれば、裁定が働くことになります。オプションもプレミアムを通じて裁定取引ができるのです。

 ポートフォリオを始めとする数理ファイナンスは行列式を利用します。これは、実際に手を動かしたことがあればわかりますが、非常に計算量が多いものです。コンピュータを用いてもメモリの大きさが必要で、理論を実用するにも事実上の限界がつきまとっています。性能の向上に伴い、数理ファイナンスも身近になったと言えます。今やデリバティブはコンピュータなしでは考えられません、その再帰的影響が金融市場に現れることも少なくありません。

 スワップ、もしくはスワップ取引はあらかじめ決められた条件に基づいて、将来の一定期間に亘り、キャッシュ・フローを交換する取引です。キャッシュ・フローは時間を追った資金の出入りです。

 スワップ取引の代表が「金利スワップ」です。固定金利で確定した金額のキャッシュ・フローと変動金利で未確定の金額のそれを交換校勘します。他にも、異なる通貨のキャッシュ・フローを交換する取引もあります。これを「通貨スワップ」と言います。

 また、クレジット・デリバティブの一種である「クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)」もあります。売掛金を回収する前に倒産するリスクが想定されます。倒産されては、その損害がツケで商品を納入した企業に及ぶのみならず、金融機関も融資が焦げつくことになります。このリスクをヘッジする手段がクレジット・デリバティブです。

 CDSはこの一つで、主に貸倒れリスクをヘッジする目的で使われます。A社がB社にツケで商品を売ったとします。A社はB社の債権を保有したことになります。そのA社がB社を参照企業とするCDSをC社から購入したとします。A社はC社に保証料を支払います。しかし、もしB社が倒産したら、C社はその損害分をA社に払うことになるのです。

 前近代社会は遺産相続社会です。身分や職能によって生業が家業とされ、生産力も小さいので、供給不足が常態であり、失業問題は存在しません。もちろん、将来予測は難しいですから、その備えも多少用意しています。中世の寺院は火災等に遭った時の再建費用を常時プールし、目減りしないように交易に投資して資産運用をしています。備えあれば憂いなしです。

 近代社会は、理念上、自由で平等、独立した個人によって成り立っています。しかし、それは、遺産相続が確かではなくなるのですから、将来のリスクや不確実性を大きくさせます。前近代から近代への移行には人々にとってインセンティブが必要です。生活保護を始めとする社会保障は、リスクや不確実性の高い社会に突入する代わりのインセンティブです。生活保護受給者を非難するのは資本主義の前提を理解していないのです。

 デリバティブは将来のリスクを回避して、資本主義が適切に機能するようにさせる目的があります。けれども、すでに明らかなように、リスクヘッジは投機や裁定と表裏一体です。デリバティブはリスクを売買しているのであって、消滅させているわけではありません。ですので、みんながリスクを避けたら、資本主義になりません。余力のない人から余力のある人へ見返りと引き換えにリスクを移動させ、均衡に到達させているのです。しかし、回避されたリスクも国内外の経済が不均衡に陥れば、再帰的に資本主義を不安定化させる危険性があるのです。ヘッジ自身が不均衡をもたらせば、デリバティブはリスクを増加させることになります。

 自身の生み出すリスクさえも売買の対象とするデリバティブは資本主義らしい金融商品とも言えます。デリバティブは問題解決ではなく、未来の問題への対応です。複数の未来を考えておけば、現在の選択に幅が出ます。選択の自由が資本主義の原則の一つだとすると、デリバティブはそのために活用されるものです。リスクは、結局、リスクなのです。
〈了〉
参照文献
森毅、『ぼちぼちいこか』、実業之日本社、1998年
吉野直行、『銀行と社会』、放送大学教育振興会、2010年

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