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クロサワの孫(2010)

クロサワの孫
Saven Satow
Oct, 14. 2010

「人間は、これは私である、といって正直な自分自身については語れないが、他の人間に托して、よく正直な自分自身について語っているものだからだ。作品以上に、その作者について語っているものはないのである」。
黒澤明『蝦蟇の油』

 黒澤明には、多くの子がいる。フランシス・フォード・コッポラやスティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、ジョン・ミリアスを始めとして「クロサワ・チルドレン」のリストは際限なく続く。『マッド・マックス』のジョージ・ミラーは「直接的にしろ、間接的にしろ、どんな映画監督もクロサワの影響を受けている」と言っている。クロサワの子どもたちは偉大な父の映画を自分なりに租借し、独自の方法論に高めている。

 私は、青二才が好きだ。
 これは、私自身が何時まで経っても青二才だからかもしれないが、未完成なものが完成していく道程に、私は限りない興味を感じる。(略)
 私は、青二才が好きだといっても、磨いても玉にならない奴には興味がない。
(黒澤明『蝦蟇の油』)

 しかし、クロサワには孫がいない。ドナルド・リチーは、『クロサワ映画の魅力』において、その一因として高度に発達したCG技術を挙げている。アクション映画では、CGをうまく制御できず、シークエンスが過熱し、アクションが暴走してしまう。技術を使うのではなく、使われているというわけだ。しかも、まだ手探りの状態とは言え、3D技術も映画現場に浸透しつつある。この困難はさらに増していくだろう。

 クエンティン・タランティーノが『デス・プルーフinグラインドハウス』(2007)においてCGを使わずに、カー・アクションを撮ったのは、一つの対応策である。ただし、これは、カラーが定着した後で、モノクロ映画を撮るようなもので、新鮮さを感じさせるものの、味代の流れに対するアイロニーである。

 CGとアクションの齟齬もあって、今日,ドナルド・リチーによれば、日本国内外共に、クロサワではなく、小津安二郎や溝口健二の孫が活躍している。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984)のジム・ジャームッシュがその典型例である。

 しかし、よく考えてみると、日本の映画人を見る限り、孫どころか、岡本喜八監督がそのパロディらしき作品を何本か撮っているが、黒澤の子もいない。確かに、それには、あまりにも偉大な巨匠が長生きしたという事情もあろう。監督生活に限っても、『姿三四郎』(1943)から『まあだだよ』(1993)までの50年にも及び、その後も脚本を書き続けている。日本映画を最初に世界に認知させた生きられた伝説と格闘し、乗り越える挑戦はきつすぎる。

 日本映画には、そのため、黒澤に対する屈折した意識が見受けられる。1960年代の東映時代劇が端的な例である。1950年代、東映は、利益優先主義に則り、スター・システムを全面に押し出した類型的な作品を大量生産している。片岡千恵蔵や市川右太衛門、月形龍之介、大友柳太朗などの戦前からの時代劇スターに加えて、中村錦之助や東千代之介、大川橋蔵などの詩人もデビューし、東映時代劇ブームを巻き起こしている。しかし、その作品たるや勧善懲悪で、通俗的、安っぽく、どれを見てもたいした違いがない。このような惰性によって生産された作品は次第に飽きられていく。

 そんな中、1961年に『用心棒』、62年に『椿三十郎』が封切られる。この黒澤映画の前では、もはや東映のチャンバラは子どもだましにしか見えなない。いずれも興行成績が非常によく、時代劇から客が離れたのは作品の質の問題だったことが明らかになる。

 東映も黒澤時代劇の成功に刺激を受け、従来の路線を変更する。1963年7月、長谷川安人監督の『十七人の忍者』が封切られ、リアリズムに基づく「集団抗争時代劇」というジャンルを始める。同年12月公開の工藤栄一監督の『十三人の刺客』(1963)のヒットによってこの路線が本格化する。けれども、類型化の体質がそのままだったため、集団抗争時代劇もマンネリ化し、結局、残虐シーンを見せ場とする映画が急増している。

 集団抗争時代劇ブームのきっかけとなった『十三人の刺客』であるが、そのプロットには『七人の侍』との類似性が認められる。片岡千恵蔵扮する島田新左衛門をリーダーとする武士十三人は、老中土井大炊頭の命で、明石藩主松平左兵衛斉韶一行を寂れた宿場町の落合宿で襲撃する。実は、この宿場は彼らによって迷路のように改造され、そこに誘いこまれた韶公以下五十三騎を徐々に殺し、最後に血みどろの死闘に至り、ただ累々たる死体が宿を覆っている。宿での話の展開は『七人の侍』とよく似ている。

 『七人の侍』は非常に汎用性が高く、これを参考にすれば、集団抗争時代劇を量産することが十分可能である。

 『七人の侍』は異なる性格の人物が集まって、一つの目標を達成する物語様式を編み出している。この様式を用いれば、場面設定や人数を変えるだけで、物語をいくらでも創作できる。集団抗争時代劇から刑事ドラマ、ドリフのコントに至るまで影響は幅広い。この人物造型は、ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』を始めとするイギリスの冒険小説でも見られるが、そこでは内面的要因ではなく、外面的要因が重視されている。この傾向は現在でも強く、リメークの『荒野の七人』(1960)においても、それが見られる。各キャラクターが性格よりも、ジェームズ・コバーンのナイフ使いのように、特技や容姿の違いで造型されている。

 また、リアリズムを個人ではなく、集団に感じさせる場合、それぞれの人物を小さく描く必要がある。それには誰が誰かわからないほどの乱戦が最適である。百姓や侍、野武士がぬかるみの中で入り乱れて死闘を繰り広げるシーンは、そうした集団のリアリズム描写を具現化している。『ロード・オブ・ザ・リング』でもその応用が見られる。

 黒澤明の映画への貢献の重要な一つがこうした汎用性の高い手法を考案した点である。たんに面白い映画を作っただけでなく、監督はそのアルゴリズムを明確にしている。映画人は、だから、クロサワに影響を受けずにいられない。

 しかし、『十三人の刺客』を始めとする集団抗争時代劇は、リアリズムをアイロニーと把握している点で、黒澤映画と異なっている。彼らは、過剰なまでの残酷シーンを繰り返し、以前の勧善懲悪主義からの反動も手伝って、勝者など誰もおらず、暴力の虚しさだけが残ることを強調する。

 けれども、これは解決を暗黙の習慣に委ねているだけである。映画からわざわざ言われるまでもなく、政治問題を暴力によって解決できないことくらい多くの人々は実感している。暴力の他に何があるのかという問いが作品の前提となっていて然るべきだが、かの時代劇にはそれが抜け落ちている。とにかくぶっ壊せば、何か自然に生まれてくるはずだという暗黙の習慣が勝者としている。

 『七人の侍』では勝者は百姓=生活者だったが、『用心棒』と『椿三十郎』においては知恵がそうである。とりわけ後者では顕著である。加山雄三扮する伊坂伊織ほか若手の武士は城代家老睦田に、次席家老黒藤と国許用人竹林の汚職粛清の意見書を指し出たものの入れられず、大目付菊井に諭されて、ひそかに社殿に集まっている。けれども、たまたまそこに居合わせた三船俊郎演ずる椿三十郎は、城代家老が味方で、大目付が真の黒幕だと忠告する。人から馬鹿と思われても気にしないところがすでに大物であり、相当の狸だというわけだ。実際に、その通りで、結局、この汚職問題は城代家老が巧みに処理する。一件落着した後、一同を前に、城代家老はこう言う。

「わしに人望が無かったことがいかんかった。このわしの、間延びした顔にも困ったものだ。昔のことだが、わしが馬に乗ったのを見て、誰かこんなことをいいよった…『乗った人より、馬は丸顔』」。

 この睦田城代家老のようなしたたかでしなやかな食えない狸を他の監督による時代劇で見ることはない。『用心棒』と『椿三十郎』をミックスしたような岡本喜八監督の『斬る』(1968)にも登場しない。

 この城代家老と対照的なのが大目付の菊井である。仲代達也演じる室戸が「菊井はキレものだと自惚れている。だから」と言うと、三船敏郎の椿は「そこんところをまくなでてやれば目を細くしててのどをならすっちゅうわけだ」と返している。菊井は汝自身を知らない。知恵は自分自身を対象化する反省的思考から始まる。自分が見えずに頭がいいと過信する自惚れ屋は、人を利用しているかと思っていても、実際には、その逆である。

 山本周五郎の原作『日日平安』にもかかわらず、この映画には斬る場面が多い。確かに、黒澤監督は改変している。しかし、先のセリにより政治問題が暴力で解決しないことを黒澤監督は示している。実際に危機を陥った際に、主人公たちを救っているのは暴力ではなく、知恵である。暴力シーンが過剰であればあるほど、その虚しさが際立つ。椿三十郎と室戸半兵衛の最後の決闘場面は、そうであるからこそ、両人共に認識しているように、どこまでも無意味である。そのためには、あの決闘シーンは映画史上に残る迫力を持っていなければならない。脚本には、「この先はとても筆では書けない」とだけ記されている。

 それに加えて、方法への意志に欠けるため、集団抗争時代劇は残虐シーンを見せ場にし、それを過激化するほかない。『椿三十郎』を参考に、サム・ペキンパーはスローモーション・アクションを考案し、傑作『ワイルド・バンチ』(1969)を制作している。この手法は、今や、アクション映画に欠かせない。他方、東映時代劇はその類型化にとどまっている。黒澤映画を積極的に模倣して、それを独自の方法に抽出するのではなく、表面的にとり入れただけである。行き着くところは暴力の虚しさではなく、そうした映画の空虚さである。『十三人の刺客』も、当時、評判だったにもかかわらず、方法論を持たない浅はかなリメークをされるまで忘れられている。

 再映画化に当たる人は、前の作品に遠慮して作るのだから、食べ残しの料理を材料にして変な料理を作るようなもので、そんなものを食べさせられる観客こそいい面の皮である
(『蝦蟇の油)

 類型的作品はその裾野を広げる役割を果たす。一方、先進的作品はその可能性を広げる。両者が分裂すると、映画は衰退する。先進的作品が見出した可能性を類型的作品が定着させる。しかし、先進的作品は類型的作品が育む土壌なくしては、成長できない。類型的作品は映画を豊かにするために必要不可欠である。

 クエンティン・タランティーノやロバート・ロドリゲス、ティム・バートンが類型的作品の因習を方法論化して、先進的映画を創作したのは意欲的な試みである。映画の秩序に再構成を促し、非常に意義深い。ところが、その方法論を類型化したとびきり安直な作品がすでに登場している。それもそのはずだ。タランティーノが各種の映画賞で審査委員を務めている時代である。
 
 その意味で、黒澤の孫は映画界に求められていると言ってよい。黒澤明は、確かに、大きな存在である。しかし、それを重荷と考え、直視することを避けてはならない。黒澤が忘れられることはない。そこには映画に関する無尽蔵の示唆に溢れている。まず、改めて、黒澤映画の映像美を反芻することが必要だろう。

 監督も、『蝦蟇の油』において、『羅生門』(1950)の撮影の前、無声映画を再検討したと次のように述べている。

 当時、私は、映画がトーキーになって、無声映画の好さを、その独特の映画日を何処かへ置き忘れて来てしまったように思われて、何か焦燥感のようなものに悩まされていた。
 もう一度、無声映画に帰って、映画の原点をさぐる必要がある。
 特に、フランスのアヴァンギャルドの映画精神から、何かを学び直すものがある筈だ、と考えていた。
 当時は、フィルム・ライブラリイもなかったので、アヴァンギャルド映画の文献をあさり、昔見たその映画を思い出しては、その独特の映画美を反芻していたのである。

 アクションよりも、むしろ、『羅生門』から流れる心理サスペンスの系譜にクロサワの子孫を見出せよう。最近でも、スカンダー・コプティ=ヤロン・シャニ監督によるイスラエル映画『アジャミ(Ajami)』(2009)に『羅生門』の影響が認められる。クロサワの子孫は映画界に遍在していると捉えるべきだろう。

 2010年9月に日本映画専門チャンネルで放映された『メモリーズ-我が心の黒澤明-』によると、所ジョージは、『まあだだよ』に主演した際、監督が膨大な量のエコンテを描いていることに驚かされる。けれども、彼は、すぐに、絵コンテのあるシーンは、この通りに演じて欲しいという要求だと気がつく。そこは監督にとって重要であり、きっちり構図が決まり、明確なイメージがある。反面、絵と絵の間は役者の裁量に任せられている。言ってみれば、動画ファイルの圧縮と同じ発想であり、黒澤映画は絵の連続体である。それを知った所ジョージは決して監督から雷を落とされない。こういったところにクロサワの孫たりえるヒントがある。
〈了〉
参照文献
黒澤明、『蝦蟇の油』、岩波書店、1984年
『PLAYBOY日本版』2008年3月号、集英社
DVD『椿三十郎<普及版> 』、東宝、2007年

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