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酔いどれ雑記 8 エゴン・シーレの命日


本日、10月31日は夭逝の天才画家、エゴン・シーレの命日です。彼の最後の言葉が「僕も戦争も終わりだ」だったというのは本当なのでしょうかね......?すごく彼らしい言葉に思えますけれども。

ヘッダー画像は1900年代初頭のウィーンの地図です。当時ウィーンにあったデパートが販促(?)のために作ったもののようで、まさにシーレが生きていた時代のものです。

真面目にシーレについて書けと言われたら一体いつ完成するかわかりませんので(一応、私の卒論はシーレについてでした)、今日は小難しいことは無しで短くいきます。

あ、卒論で思い出しました。ちょっとキワドイ話になってしまいますが、試問の時に私は「人間の陰部をえぐるような作風が......」「後期の作品は陰部も残しつつ、また違った方向性の......」などと「暗部」と言わなくてはならないところを2、3回間違えて(?)言ってしまい、気付いたとたん非常に恥ずかしくなり、その後何を聞かれ何を答えたのか全く覚えていないという出来事がありました。尤も、その論文は「陰部」という言葉も数か所出てくるのですが......。シーレの作品、特に初期にはどういったものが多いかご存じの方なら、私の言い間違いもやむなしと思ってくださるでしょう。まぁ無事卒業できたのでよかったです、はい。

もう10数年前ですが、ウィーンを訪れた際にシーレのお墓参りに行ったことがあります。写真、見づらくてすみません。

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墓石に彫られた男女は一体何者なんでしょうね?シーレの作品、作風をご存じの方なら「なんか違う......シーレっぽくない」と思うかと思います。シーレの墓所はウィーンのはずれにありますが、中心部からのアクセスは悪くありません。そして、墓地も広くないのですぐに見つけられます。

余談(?)でもないですが、クリムトの墓参りも2度行ったことがあります。こちらの墓地は広めなので案内の紙をもらうか、管理人に聞いた方がよいかも知れません。↓この『接吻』は私がアイロンビーズで作ったものです。

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シーレは当時欧州で猛威を振るっていたスペイン風邪(インフルエンザ)で亡くなりましたが妊娠中だった妻もシーレが亡くなる3日前に亡くなっています。「僕は行かなくてはならない、世界中で僕の作品が飾られるように......」とも臨終の際に言ったとされていますが、彼の遺志に反して没後100年経った今でも彼のほとんどの作品がウィーンに残っています(そして、個人蔵の作品もかなり多いと思われます)。

28歳......シーレが長生きしていたらどんな作風へと変化していったのか、していかなかったのか気になります。志半ばで亡くなった芸術家たちを想うと、私の寿命をあげるからせめて未完成の作品を完成させてほしい......だけど私の5年、10年など、彼らの作品の一小節やひと刷毛のカドミウムイエローにも満たないのだろうなぁ...........。