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一汁一菜でよい

いつだか養老孟司さんが、
「料理研究家の土井善晴さんの一汁一菜の本が良かった。」と言っていて、それをなんとなく覚えていた。

図書館に行った際にそういえばと思い出し、借りてきて読んでみる。

「一汁一菜でよいという提案」 土井善晴

土井先生は言う、

一汁一菜とは、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)。
その原点を「ご飯、味噌汁、漬物」とする食事の型です。

一汁一菜とは、ただの和食献立の勧めではありません。
一汁一菜というシステムであり、思想であり、美学であり、日本人としての生き方だと思います。

思想、美学、日本人としての生き方である。
ほほぉ〜、、、これについては最後まで読んで、なるほど!となるが、今はまだ深掘りしないおく。

土井先生は、更にこうも言う。

一汁一菜をする上で、脳が喜ぶ食べ方ではなく、身体が喜ぶ喜ぶ食べ方をしましょう。

テレビやメディア、都会に溢れる脳を刺激する「美味しそう〜」な食べ物に惑わされてはいかんのだ。脳が喜びそうな食べ物は、スパイスが効きすぎていたり、味が濃い、油もたくさん使っているものも多い。それらを食べた時、脳は瞬時に美味しい〜!となるのかもしれないけれど、結構な割合で後々消化にものすごいエネルギーを使い、胃もたれする。
身体が喜ぶ食べ方には、食べ終わってから感じる心地よさ、身体がきれいになったような気がするのだとあった。

例えばこんな献立があるとする。

なめこのお味噌汁にご飯、
一菜は、冷奴にメカブとオクラ、鰹節を乗せポン酢を一周かける。

この一汁一菜を食べた後、なんだか身体が、腸が洗浄されているような感覚がある。実際その後の胃腸の調子も良い。脳が喜ぶ食べ方ではなく、身体が喜ぶ食べ方とはこう言うことなのだろう。

一汁はお出汁の効いた味噌汁。
味噌は発酵食品であり、具はその時旬の野菜や海藻類だったりする。
一菜は漬物だって良いし、
その時の旬のものを軽く炒めたり煮たものでも良い。

一汁一菜は思想であり、美学であり、日本人としての生き方

近年の私の中のテーマに、「日本人という民族を知る」ということがある。

思春期をアメリカで過ごし24歳で日本に戻って以来、全く自分の国のことを知らないことに改めて気づき、日本をちゃんと知りたいと思うようになった。司馬遼太郎の歴史小説から過去のストーリーを知ったり、実際訪れて肌でそこに紡がれてきたストーリーを感じる。そして、その土地に脈々とある食文化を食べそこにある県民性を知る。

そのうちに、どの国からも侵略されなかった島国日本が独自の文化をここまで保つことができた事は、奇跡なのでは!と感じ始めている。

弘前の居酒屋で食べた貝焼、ニシンの出汁がきいた味噌汁、信州で食べた風味豊かな新蕎麦、野沢菜の漬物、四条で食べた京寿司、山梨の姉夫婦から送られてきたあんぽ柿。
日本各地、味噌も違えば出汁の取り方も違う。私の母は、鰹節で取ったお出汁の味噌汁であった。弘前では、ニシンのお出汁が一般的なんだ。
とろけるほどの甘さのあんぽ柿を食べながら、渋柿を吊るすことで渋みを甘味に変えるという知恵はいつからあったのだろう?と考える。

脈々と受け継がれてきたその土地の食文化には、自然とともに寄り添って生きてきた人々の暮らしが垣間見える。そして共通するのは、いつも私たちの胃に優しいものばかりな気がする。

本の中で土井先生が、一汁一菜が思想であり、美学であり、日本人としての生き方だと思います。

とおっしゃっていたことにとても共感する。

私自身里山で暮らしていて、その時期の里山の恵みが一汁一菜となり食卓に並ぶ。
そこには私の里山の暮らし方も垣間見えるのだろう。

里山の一汁一菜の食べ方は私自身の体も喜ぶ感覚もあり、この食べ方が良いという気がしている。

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